第五章 クリスマス前 ⑤
週明けからの期末テストは友作たちとの勉強会と左喩のおかげでどうにか乗り越えることができた。追試は一つも無し。ちなみに勉強を教えてくれた友作や好はもちろんのこと、累と優弥も追試は無かった。小笠原と女子ーズは一つずつ追試を取っていたが、「頑張ったよな、おれたち」と開き直って互いに褒め称えていた。
そんなこんなで期末テストは終わり、あとは三日ほど学校に来て、残りの授業を受ければ今学期は終わり。つまりは冬休みに入る。
そして、その前に。
待っている人もいるであろう一大イベントがある。
――今年もクリスマスがやってくる。
授業終了を告げるチャイムが鳴った。
「はぁああ終わったぁ~、あと三日かぁ~」と、教室内にいる誰かが気だるそうに声を上げる。
それもそのはずだ。期末試験が終わり、誰もがぐったり気味に疲れ果てているのに、退屈な授業をあと三日は受けなければならない。
地獄のテスト週間から解放されたクラスメイトたちは教室でたむろっている。「早く冬休みに入らないかな~」と、誰もが思っている台詞が漏れる。それを聞いて同調するように頷く輩が多い。若い体は早く本当の解放感を味わいたいようだ。
「もうおれは授業に集中してないよ。とっくに頭の中は冬休みモード」と、すでに己で解放させていて、早くも気分は冬休みの強者もいる。「それはさておいて、明日はクリスマス・イブだねー」「だねー」と、女子同士が微笑ましく話し合う声がする。「なんでクリスマスの日に学校があんだよ」と、文句を垂れる声と「わたし……クリスマス・イブは誰とも……」と、悲しみを含んだ声もちらほら聞こえてくる。だが、それを聞いて決心するように眉を力強く上げるクラスメイトたちもいる。おそらく、誰かをクリスマス・イブのデートに誘うのだろう。そして、それを妄想し、ニヤつく奴さえいる。若者の心に描くのはハッピーな青春クリスマス。
そんなやかましい教室内にいつのまにか担任が入っていて、「はいはい、お前らあと三日がんばろーな」と、締めの挨拶。
「起立、礼、ありがとうございましたー」と、ルーティンの流れるような終礼を終え、魁斗は机の引き出しに入れている教科書をスクールバックに詰めていく。
「魁斗くん」
突然、名前を呼ばれた。
教室の後ろ扉が開かれ、その向こう側には美少女が立っている。
「風花ちゃん」
自然と名前を漏らす。少しばかり声が弾む。
明らかに風花は、あのデート以来高い頻度で絡んでくるようになった。教室を覗き込み、こちらに視線を向けてくるし、廊下ですれ違うだけで嬉しそうに手を振ってくる。時間が合えばおしゃべりをしにくるし、夜にはおやすみメールを必ず寄こしてくる。
これは、もしや、ひょっとして――
次第に魁斗はこう考えるようになっていた。
クリスマス・イブはこの子と過ごすんじゃないだろうか……。
魁斗は帰り支度を途中で止めて、名前を呼んでくれた人物のところまで急ぎ足で駆け寄る。もう視線なんか関係ない。男どものやっかみなんか知らない、どうでもいい、無視すればいい。足取りまでもが弾む。
「あ、ごめんね。帰るとこだった?」
魁斗が近づくと、ごめんなさいのポーズを作り、申し訳なさそうに謝ってくる。しかし、悪いことなんてない。悪いどころか、むしろ非常に嬉しく思っている。
こんなに可愛いモデルみたいな女子が呼んでくれるのだ。
謝る必要なんてあるはずがない。
魁斗は有頂天にたっていた。
「ううん、まだ帰る支度をしてたとこだから、まったく問題なし。それで……どうしたの?」
やはり顔が熱くなる。風花を見ると胸が躍る。
ドッタンバッタン、と高鳴る鼓動の音を存分に鳴らしつつ、風花の言葉を待つ。
あ、ヤバッ、いい香り……。
待っている間にも匂いが香ってきた。とりあえず、甘い。
風花は顔を俯かせて両手の指をすり合わせる。もじもじと照れたように体を左右に揺らし、頬を薔薇色に染めた。
「あのさ……」
伏せていた瞳を上げていく。
「明日の放課後って、空いてる?」
とてもではないが、目をまともには見られなかった。視線を微妙に逸らす。
そして、言われた言葉の意味に気づく。
「え、明日って……」
もじっと風花が指を重ね合わせた。
「そう……イブ」
「イッ……!」
魁斗は口を『イ』の形にして固まる。口だけでなく、体も硬直。
「一緒に過ごせたら、いいなぁって思って……」
最後まで風花が言葉を連ねる。
聞いて、魁斗はゴクッと唾を飲んだ。
脳裏によぎる。
イブって、たしか……。
『――じゃあ、二十四日のイブ。お互いに相手がいなかったら、お前んちでケーキと飯を食うってことで……どうだ?』
累と会話した内容が思い浮かぶ。
自分が言った言葉だ。
累は頷いていた。
や、でも……あくまでも相手がいなかったらの話。べつにこの件は決定事項ではない。だから、大丈夫な、はず……。
「あっ……もしかして、ダメ、かな?」
答えを返さずにいると、不安げな表情で風花がこちらを見ていた。瞳が揺らぎ、今にも泣き出しそうな顔。
その顔を見て、魁斗は瞬間的に首を横に振っていた。
「ううんダメじゃない! 大丈夫っ」
「ほんとっ!?」
風花は喜びの声を上げると、嬉しそうに魁斗の手を握ってきた。
げ、現実か、これ……?
「よかったぁ~」
そして、心底安心したように声を漏らした。
「あたし……てっきり、断られるかと……」と、口の中で囁くように、か細い声が耳には届いてくる。
こんなに喜んでくれるんだ……おれとのクリスマス・イブ……。
喜びに浸りそうになりながら、俯いた風花のつむじを覗いていると、ぐっと風花が顔を上げた。
「じゃあ、明日。楽しみにしてるっ!」
それだけ告げると、笑顔で風花は去っていった。
呆然と見送るも、途端に不安が襲い掛かる。
……勢いで決めちゃったけど……大丈夫だったかな……。
※※※
帰り支度を終え、累の席に振り返る。しかし、すでに姿はない。スクールバックもなかった。
一応、明日のこと……伝えとかないと、だよな……。
魁斗はスクールバックを片手に担ぐと、大股で教室をあとにした。
校門を越えたところでいつものように累が壁に背をもたれて立っていた。薄紅色の髪の毛が寒そうな風に吹かれて揺れている。そんな中、鼻を赤くし、手袋もマフラーもつけないで、吐く息で手を温めている姿が目に映った。
なんだか無性に心が痛んだ。
急いで駆け寄って声をかける。
「累、待ってたのか?」
「うん」
累は待ち人が来て、嬉しげに目を細めていく。
「そ、そっか……」
魁斗は一度目を伏せると、唇を引き結ぶ。
なんだこれ……なんだこれ……ヤバい。胸が、心が、物凄く痛い……。それに、頭も、なぜか破裂しそう。
眩暈がくるような痛みは罪悪感だろうか。
目頭をぎゅっと押さえる。
いやでも、あれは決定事項ではないんだし……。負い目を感じる必要なんて……。
「どうしたの、魁斗?」
累が不思議そうに顔を覗き込んでいた。魁斗はその顔を見返す。
この寒空の下、鼻からほっぺたまでも赤くして、わざわざ自分を待っていたらしい。
「累」
名前を呼ぶ。続けて、
「今日、お前んち寄っていい?」




