第三章 そして、はじまりを迎える ④
魁斗は左喩と別れた後も、少しだけ駆け足で登校。学校の校門が見えてくると、速度を落とし、ゆっくり歩き始める。
いつもの校門。
その近くでコンクリートの壁に背中を預けて立っている累の姿が見えた。
「おはよ、累」
魁斗は手を上げながら累に近づくと、いつものように挨拶をする。
「……おはよ」
一度目を見交わすと、すぐにふいっと顔を背ける。そのまま、累はそそくさと校舎の中に入っていってしまった。
この一年はこんな調子だ。
頭をポリポリ掻いたあと、しばらくして魁斗も校舎の中へと入っていった。
教室に入ったら、久しぶりに会った面々が盛り上がっており、楽しそうに談笑したり挨拶を交わしていた。
「よう!」「おーっす!」「久しぶり~、元気だった~!?」「海行ったか~?」など各々挨拶を交わしながらハイタッチ、手を合わせぴょんぴょん飛び跳ねる、肩を組み交わしたり、小突き合っている者たち等々、教室内は喧騒の真っ只中。
そんな喧騒の中、男友達のひとりが教室に魁斗が入ってきたことに気がついて、手を振って近づいてくる。
「おいっす、魁斗。久しぶりぃ~!」
こちらから声をかける前に、手を上げて挨拶してきてくれたのは男友達のひとり。
――南原友作――
こいつは名前の通りに友達を作ることが上手く、誰にでも気さくに声をかけてくれる。交友関係が広く、女子にも物怖じせずに話しかける。顔は濃い顔だが整っており、いわゆるソース顔と言うやつだ。コンプレックスは身長が低いことらしい。ただいま159㎝。高校に入って身長が伸びると信じて制服を少し大きめのサイズを買ってみたらしいが、この一年では全く伸びなかったという。本人曰く、『贅沢は言わないから、せめてあと1㎝欲しい』と切実に願っているようだが、神様はもう1㎝をまだ与えてはくれないみたいだ。魁斗の中では、この学校で一番仲が良いと思っている。
「ああ、おはよ、久しぶり」
手を振り返した後に、握りこぶしを作ると友作とグータッチをしてパラパラと指先を動かし花火を表現する。二つの花火が教室内に弾けた。
「魁斗は夏休み中はずっとバイトしてたんだっけ?」
友作もグータッチからの花火をやり終えると、魁斗の夏休み中の過ごし方を尋ねてくる。
実は夏休み前に、魁斗は友作に海やらプールやらキャンプなどの遊びの誘いを受けていた。だが、夏休みの間も修行や仕事の依頼をするため、夏休み中はずっとアルバイトと称して、小さな嘘をついて断っていたのだ。
小さな嘘というのは、裏案件ではあるものの一応仕事もしてお金を稼いでいたし。多少は真実であると自分で勝手に納得させてアルバイトと名乗っているからだ。
「おう、稼いだぜ」
ブイサインを突き出す。
魁斗の一年前の事件のことは、さすがにクラスメイトにはバレていた。親を失い一人、孤独に生きていくため、お金が必要で自分で稼いでいるのだろうとクラスの人たちからは認識されている。そのためか、疑われることはなかった。まさか今住んでいる家が学校の人気者である左喩の家であることは誰も知らない。クラスメイトからは一人で以前の家に住み、自分でお金を稼いで頑張って生活をしている、そんな悲劇的で可哀そうなクラスメイトの男子として見られている。当の本人は気づいていないが……。
「そうか。大変だったんだなぁ……」
なんでこいつは目尻に涙を溜めているのだろうか?
このように魁斗は見当もついていない。
「なんかあったらさ、必ず言えよ。おれたち友達だしな……。いつでも、ご飯を持ってきてあげるから……」
目頭を抑えながら友作がわけのわからないことを言っている。だが、自分のことを思ってくれていることだけはわかる。
「うん。なんかよくわからんけど、ありがとう」
とりあえずはお礼を言っておいた。
だが、頭の中では、そんなにひもじく見えるのだろうか、と首を傾げる。
そうこう会話をしていると、今度はクラスメイトの女生徒の一人が歩み寄ってくる。
「魁斗くん。おっはよぅ! 久しぶりだね~。ちゃんとご飯食べてる?」
そう言って近づいてきたのは、クラスメイトの――恵京好――だった。
好は名前の通りに誰にでも好かれる気立てのいい女の子。他人に対して思いやりがあるし、気が利くし、ささやかな気遣いもすごい。明るくて優しく親切な性格。容姿はスポーツマンらしく肌が焼けており、褐色。スタイルは良いが、さほど胸は大きくない。見たことはないが……。身長は友作よりも1㎝高い模様。目は桃花眼で女性なのに妙にイケメンな顔立ちをしている。髪はスポーツする時にうざったいからと、ショートカットで大概は後ろ髪をゴムでまとめている。最後にもう一度言うけど、ほんとにすごくいい子。
「おはよ、久しぶりだね、このちゃん。ご飯食べてるけど……?」
なんでみんな、おれがご飯を食べているのを気にするんだろう……?
「あ、そうなの? それならよかった! 何かあったらすぐ言ってね。ご飯持ってきてあげるから」
あれ? なんかさっき同じセリフを聞いたような気がする……。
「……おれってそんなにひもじそうに見える?」
好と友作が互いに目を見交わす。
「「いや、ぜんぜんそんな風には見えないよ!」」
二人は同時に答えながら、ハハハ、ハハ、ハ……となぜか苦笑いで後ずさっていく。二人の額は一瞬で汗をかいていた。
そんな久しぶりに会った面々と挨拶を交わしていると、朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴った。それと同時にガラガラと教室の前ドアが開き担任の先生が入ってくる。
「おはよう。みんな久しぶりだな、元気だったか? よーし、始業式行くぞぉ」
流れるように挨拶が終わり、生徒一同は体育館へ移動。
魁斗の高校二年生の二学期が始まった。
※※※
久しぶりの授業は、とても頭によく入った。
眠気はまったく無く、気分も上々。それに一年前よりも集中力が増した気がする。
……これも、修行の成果かな。
魁斗は努力することの大切さを、あの家で学んだ。それまでは、いかにバレずして怠けるかということや楽に結果を出す方法など、くだらないことばかりに思考を巡らせていたが、何事もまずは一歩踏み出して行動をすること。そして、少しずつでも継続することが力をつけ、成長する一番の近道なんだと今は思っている。そうして、全力でやることを覚えたら意外に勉強も楽しい。そう思えるようになった。それだけでも、あの家に行ってよかったなと思う。
時刻は午後三時半。
授業をすべて終え、終礼もただいま終了。
「気を付けて帰れよー」という担任の言葉を皮切りに、生徒は散り散りに解散。
終礼が終わったと同時に伸びをして、累の席に目をやるが、もう姿がなかった。
相変わらず早いな、と思いながら周りを見渡していると、友作たちが近づいてくる。
魁斗は友作たちと会話しながら帰り支度を始める。
「このあと魁斗はどうすんの?」
友作と数名の男友達は帰宅部であるため、このあと特に予定がないのだろう。おそらく遊びに誘ってくれようとしている雰囲気だ。
しかし魁斗は、皆継家へ帰宅したらすぐに修行をするということが日課になっていた。自分の中での決まり。今回も波風が立たないようにアルバイトと称して誘いを断る。
「ごめん。このあとバイトがあるんだ」
両手を合わせて友作に伝えると、なぜか瞳を潤ませながら、
「そうか、そうだよな……。じゃあ、しょうがないよな。うん、うん。体に気をつけろよ」
体調まで気遣ってくれる。
いいやつだなぁ、と思いつつ、帰り支度を終えると、「また明日」と友作たちに手を振りながら立ち去る。
「おう、また明日~」と友作たちは笑顔であいさつを返してくれた。教室を出るときに「ちゃんと飯食えよ~」と一声かけられる。
だから、なんで飯の心配するのだろう……?
※※※
校舎を出て歩き進めると校門近くの壁に背中を預けてしゃがみこんでいる累を発見する。魁斗は累の目の前まで近づいていき、
「おっす」
そう言って手を上げて、累に微笑みかける。
累は顔を上げて声をかけた主を見つめ返す。おのずと上目遣いになり、透き通った瞳が微かに揺れる。
「うん」
累は立ち上がると、壁に預けていた背中とスカートの汚れをパンパンと払う。
「帰るか?」
「うん」
一緒に並んでいつもの歩道を歩き始める。
皆継家に向けての家路について、その途中の河川敷。
「今日は、お前も道場くるの?」
累に尋ねる。
魁斗は平日・休日も含めてほぼ毎日修行をしているが、累は時々、道場に顔を出す程度だ。
「う~ん、どうしようかなぁ……」
「来いよ。一緒に鍛えようぜ」
部活みたいなノリで誘ってみる。
累には、まだ組手で一度も勝ったことがない。
魁斗は、累と右攻から一回でも勝利することを密かに目標にしていた。
「じゃあ……まあ、行ってみようかな」
おっ、乗ってくれた。
「よし、今日こそは一本取るからな!」
ビシッと累の顔に向けて指を差す。
「人に向けて指差さない」
累は差された指を呆れたような顔で払いのけると、冷静に注意してきた。
そのまま二人で並んで歩いていると、ふと、今日一日の学校での累の振る舞いを回想。
授業中や休憩時間でさえ誰とも関わることがなく、ただ静かに席に座って、つまらなそうに頬杖をついて黒板を見ていた。昼食の時は教室を出ていき、授業が開始する直前に戻ってくる。明らかに人とは接点を持たないようにしている。いつものことなのだが、相変わらずの心の閉ざし様。
累は学校に来て楽しいのかな……?
あの態度を見ると絶対に楽しいとは思っていないのだろうが唐突にそう思った。
「なぁ、累」
「なに?」
「累はなんで学校で誰とも絡まないんだ?」
「絡む必要がないから」
すごい合理的な答えが返ってきた。
「でもさ、つまんないだろ、それじゃ。楽しくなくない?」
「学校は別に楽しむ場所じゃないでしょ」
完全に合理的な考えが返ってくる。
うーん、合理的というか、利己的というか……。
なんなんだろう、と累の顔を見る。
今の累を見ていると、なんだか危ういものを見ているような気がしてしまう。
魁斗は少しだけ思考の世界に潜った。
学校は確かに学びの場ではあると思う。だけど、それだけではないと自分は思っている。ある人は友達に会うため。ある人は頑張っている部活のため。ある人は勉強して知識・教養を身につけて、将来のなりたい職業に活かすため。言ってしまえば、学校に行く意味というのは人それぞれ。だから、累に口出しするのはおかしいとは思う。思うのだが、どうにも腑に落ちない。累がおれや母さんに見せてくれる顔は色とりどりだ。累は、本当は楽しく笑う子なんだと自分は知っている。だけど……理由はわからないが、他者にはそれを見せない。それが歯がゆいのと虚しいのと切ない。おせっかいなのかもしれないが、累は本当にこのままでいいのかと自分事のように考えてしまう。累にはもっと、笑っていてほしい……。
ぐるぐると回る思考を終え、魁斗はようやく口を開く。
「でもさ、けっこう話したりすると面白いやついるよ。ほら、友作とかこのちゃんとか。あいつらはほんとにいいやつだよ」
魁斗が引き下がらないことに対して、しつこいと思ったのか、明らかに累は怪訝そうな顔を浮かべた。
「信用できない」
魁斗の言葉を一蹴する。
「信用できないって……あいつらは、ほんとにいいやつだと思うけど?」
「あんた……そんなになんでもかんでも人を信用してたら、いつか足元をすくわれるわよ」
累は逆に指摘してくる。その言葉にちょっとイラっときてしまった。
「お前、誰も信用してないのか?」
話す声が少し強くなる。その言葉を言うと悲しくもなってきた。
怒ったような表情を浮かべる魁斗に累は、はっきりと答えた。
「わたしは誰も信用してない」
言い切り、累は背を向ける。
「……おれのこともか?」
胸がチクリと痛んだ。思わず聞かずにはいられなかった。
累はしばらく黙って顔を俯かせる。そして、顔をそっとあげた後に、目を合わせないまま魁斗に向けて答えた。
「あんたは……特別よ」
そう言って累は先を歩いていく。
「……」
自分は特別だと言われて正直嬉しいと思った。
だけど、それと同時にまだ何かが引っかかっている。
あいつの心の中は、なにか、とてつもないものを隠している。
そんな気がする。
これまで一緒に過ごしてきた時間や交わしてきた言葉はものすごく多かったはずだ。そのはずなのに、なぜか妙に遠く距離を感じる。
おれはまだ、累のことを何も知らないのかもしれない――
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