第二章 風花 ④
次の日。
いつも通りに学校は始まる。
ぼけーっと一時間目の地理の授業を受けながら、先生の言葉を右から左に流していると、ふと真面目に授業を受けている友作の横顔が目に入った。
昨日のあれは、やっぱりそういうことだよな……。
そして、廊下側の席に目をやる。
そこには頬杖をつけずに自分のノートにシャーペンを走らせている累の姿があった。
あいつって……案外モテるんだな。
窓際の一番後ろの席からじーっと累の横顔を眺める。
まぁ、たしかに……あいつは見た目で悪いところなんて一つもないよなぁ。尖ってて、切れやすい性格を良くすりゃ文句の付けどころもないし。その性格も、最近は丸くなってきているし……。
そんなふうに考えながら眺めていると、視線に気がついたのか、累が振り返る。
バチッと目が合うと、なぜかムッと眉を寄せて少し睨んでくる。だけど、眼差しは鋭くない。それどころか口許は柔らかく綻んでいた。そして、ふいっとそっぽを向くように前を向いた。
なんだ、それ……?
ぽりぽりと頭を掻く。
あいつのことはやっぱりわからん……。
魁斗も前を向き直すと、なにを言っているのかよくわからない先生の言葉を耳に入れた。
※※※
次の授業までの小休憩。
魁斗は地理の先生の抑揚のない声により睡魔に襲われて、だらしなく机に突っ伏していた。
すると、クラスメイトの女生徒に唐突に名前を呼ばれる。
眠気まなこのまま顔を上げると、その女生徒は教室の後ろ扉の方を指差して、「風花ちゃんが呼んでるよ」と知らせてくれた。
指差した方向に目線を向けると開かれた扉の向こうで笑顔を浮かべた風花が、ひらひらと手を振っている。
なんだろう、と思い、女生徒にお礼を伝えると席を立って風花のもとへと足を運ぶ。教室と廊下の境界線、その向こう側にいる風花に尋ねる。
「どうしたの? 村雨さん」
魁斗の言葉を聞き、風花が唇をちょっと尖らせる。
「風花でいいよぉ。あっ、そうそう! 魁斗くん! もしかして一時間目って地理だった?」
風花は境界線を越えずに、小首を傾げて尋ねてくる。
あいかわらず可愛いなぁと思いつつ、質問に答えようとした……のだが、その瞬間に柔らかなそよ風が吹いてきたみたいに甘い匂いが魁斗の鼻孔に漂う。
チューベローズの艶やかな香り。
官能的に誘うような感覚がして思わず恍惚とする。理性を狂わすような魅惑的な香りから、ハッと意識を取り戻すとようやく返事を返す。
「あ……うん。地理だったよ」
返事をすると風花がほっと息をつく。顔の前で両手をぱんっと合わせると、
「ごめんっ! あたし教科書忘れちゃったから貸してくれない!? 次の授業、地理なんだぁー」
ぎゅっと目蓋を閉じて神社にお祈りするようにお願いをされる。
「べつに、いいけど……教科書、ね。うん、わかった。ちょっと待ってて」
魁斗は一度席に戻ると、まだ机の上に出しっぱなしだった地理の教科書を持って、風花のもとへと駆け寄る。
「はい、これ」
渡そうとして、気がついた。
そういえば、おれさっき寝てたから涎とかついてないといいけど……。
思いながらも風花に教科書を差し出す。イチかバチか神に祈った。
「ありがとぉ」
明るい笑顔を弾けさせ、教科書を両手で受け取ると、程よく柔らかそうな胸に大事に抱きかかえられる。
あっ、いいなぁ、あの教科書……。
己の教科書を眺めていると、
「授業が終わったら、すぐに返しに来るねっ!」
そう言うと、ぴょんと跳ねるようにして身を翻し、隣クラスへと戻っていく。教室に入る前にもう一度こちらに振り向いて、ぱたぱたと手を振られる。手を振り返すと、ぱぁーっと顔を輝かせてもう一度大きく手を振られる。そして、教室の中へ入っていった。
「……」
明るくて……フレンドリーで、可愛い子だよな……。
そんな感想を持ちながら自分の教室に体の向きを変えると、男子生徒たちが殺意を込めたようなギラついた視線を一斉にこちらへ向けていた。
そのギラついた視線に体が固まる。皮膚には鋭い視線が突き刺さってくる。
いやいやまてまて。おれはただ教科書を貸しただけだ。なにもやましいことなんてしていないし、むしろ親切をした。そんな視線を投げられるいわれはない。
チクチクと刺さる視線の痛みに堪えながら、自分の席まで戻って着席。
次の授業の教科書を取り出そうと、机の引き出しを覗く。すると、毎度の如く勝手に前の席に座っている友作が食い気味に訊いてくる。
「おい魁斗! お前、やっぱり風花ちゃんと親しいじゃんかよ!」
その言葉を皮切りに男子生徒たちが眉間に皺を寄せ、耳を象の如く大きくして澄まし始める。返事の言葉を待っているようだ。
「いやいや親しいわけじゃないって……。挨拶とかは交わすけど、一緒のクラスになったこともないし……。べつに、今までそんなに話したこともなかったし……」
「じゃあなんで、魁斗に教科書を借りにくるの?」
「……さあ、たまたまじゃない?」
「たまたまでわざわざ魁斗に教科書を借りに来るか? 他にも仲の良い生徒はいるだろうに……」
「……」
言われてみればそうかもしれない。考えてみれば、このクラスにだって仲の良い友達は居るはずだ。その子に借りればいい。たしかに、なんでわざわざおれの教科書を借りに来たんだろ……?
考えても答えなんて出ない。間抜けヅラをぶら下げてポカンとする。
「なんで?」
友作が目を細めて尋問官みたく尋ねてくるも、理由なんて見つからない。
「おれが知るか!」
「……お前、やっぱり、この前……なんかしただろ?」
「なんもしてねぇよ! 変な言い方するな!」
周りの男子生徒も納得いっていない様子で、一様に眉をひそめている。魁斗の顔をじろじろと見て、意味がわからないとばかりに首を傾げている。
お前ら、その反応もなんか失礼だぞ!
なんだか物凄く腹立たしい気持ちになったので、魁斗は席を立つと教室内の男子に向けて子供のように口をいーっと歪ました。




