第二章 風花 ②
なんだか、恥ずかしい……。
そのまま立ち去ろうとしていたのに方向が同じだったためか、風花が走って追いついてきた。横並びで自分の教室に向けて一緒に戻っている状況になっている。
あの笑顔で『一緒に帰ろうよ』なんて言われたら、断れない……。
隣の人物はすでにパックにストローを差し込んで、イチゴ牛乳をちゅーちゅーと吸っていた。吸いながら、たまにちらっとこちらに目線を向ける。
魁斗は先ほどの自分の立ち振る舞いを含めて、気恥ずかしくて、まともに目線が合わせられない。風花を横目に覗き見るが、口を開くことができなかった。
一瞬目が合って、微笑みを浮かべられて、ドキッと心臓が鳴る。
よけいになにをしゃべっていいのかわからなくなる。そうしていると風花の方から話しを振ってきてくれた。
「魁斗くんってさ、たしかAクラスだったよね?」
質問されたら、もちろん答えることはできる。
乾ききっている唇を一度舐めてから、魁斗は口を開く。
「うん。おれは一年生の時からずっとAクラス」
我が高校のクラスはA~Cまである。たまたまかもしれないが自分はずっとAクラスだ。ちなみにA~Cまでクラスが分かれているが勉強の成績などは関係ない。Aクラスだからといって成績が良いというわけではない。
「そっか……わたしはなぜかずっとBクラスなんだよねぇ。だから……一緒になったこと、ないね」
どこか物憂げな顔をして、風花が渡り廊下の先を見つめる。
「そうだね……」
としか、返事を返せず風花の横顔をちらっと覗き見る。
なんでそんな表情をしているのだろうか?
いまだ廊下の先を見つめたまま、物憂げな顔をしている風花が呟く。
「二年生にあがるときにクラス替えがあったのにね……」
なにかを含めるような発言に魁斗は顔を横に向かせて、じっと風花を見つめる。
鼻から顎まで美しすぎるラインが描かれており、精巧なアンティーク人形みたいだった。肩まで伸びるつやつやのストレート髪がさらりと揺れ、揺れたその隙間から、ちらっと見える首筋がまたなんとも色っぽい。
そんな引き込まれそうな首筋を眺めていたら、風花がこちらを見ていた。綺麗な瞳で真っすぐに見つめて、そして屈託のない笑顔を浮かべる。
「三年生にあがる時はさ、一緒のクラスになれるといいよね」
明るい声音でそう言って、さらに強く笑顔を弾けさせる。
魁斗は思わず口を半開きにさせ、半歩分、風花から距離を取った。
どうしてかは自分でもわからない。おそらく眩しすぎたのだ。体が勝手に反応した。すると、風花は不思議そうな目で見つめてきて、瞬きを早める。
「んん? なんで離れるの?」
尋ねられ、目を合わせてくる。眼差しを笑みに緩めて、大きく一歩こちらに近づいて来た。
うわっ――と、また心臓が高鳴る。
「や、べつに、なんでも……」
答えるも、背筋を使って体を後ろに反らせていた。
やっぱり美人というのは心臓に悪い。それも左喩さん並みの美人だ。会話をするだけで緊張する。それに、この子は……なんだろう……噂通りにずいぶんとフレンドリーだ。ぐいぐいと距離を詰めてくる感じ。きっと、この子のパーソナルスペースは距離が近いのだろう。これはたしかに男子が勘違いを起こしてもおかしくない。なんだかイケそうな気がするという噂が立つのも頷ける。
魁斗は思わず一歩後ずさった。
「ちょっとぉ、なんで逃げるのぉ~」
楽しそうな口調になって風花が大股で二歩こちらに近づいて来る。風花の肩や腕が魁斗の体に接触。
ヒェッ……。
声にならない声を、喉だけで響かせる。
さっきよりもずっと側から、見つめられる。のけ反って逃げることもできない。咄嗟に目を逸らし、
「あ、あの……」
「ん? なあに?」
もじもじしそうな体を必死に抑えながら魁斗は言う。
「ち、近いです」
自分も人との物理的距離は近い方だと思う。だが、風花はそれ以上に近い。あと、繰り返すが心臓に悪いほどの美人だ。身体が勝手に反応してしまう。
くすっ、と風花が口許を押さえて笑った。長いまつげに縁取られた瞳がパチリと開かれ、表情が明るくなる。そして、いたずらっ子のように目を細めていき、にっと口角を上げて言う。
「可愛い」
ズギャーンと弾丸みたいな、なにかが心臓を貫いた。
そして、不意に思ってしまった。
なんだか、イケそうな気がする……。
※※※
風花とは教室の前で別れた。
バイバイと手を振り返し、そのまま後ろ扉から教室に入ると、友作が驚いたような顔をして真っ先に近づいてきた。
「お前! なんで風花ちゃんと一緒に戻ってきたのっ!?」
声のボリュームが大きめだった。
その声に教室内のクラスメイト、主に男子が魁斗へ向け視線を集中させる。
なんか誤解されそうだ……。
とりあえずは友作に事実を述べてみた。すると、
「たまたま自動販売機で鉢合わせをして、ジュースをあげた? そして、渡して帰ろうとしたら、風花ちゃんが『一緒に帰ろう』って言ってきて……そんで一緒に帰って来たってことか」
友作が律儀に復唱してくれる。それも声のボリュームは大きめで。
誰に説明してんだ? と思ったが、周りの男子どもに説明する手間が省けるため、ナイスボリュームだった。
「お前……美人と仲良くなれる秘訣とか持ってんのか?」
友作が変なことを尋ねてくる。
「なんだそれ? そんなの持ってないし、持ってたらほしいし……」
「お前、ほんとは持ってんだろぉ~」
そのまま面白がって茶化してきそうな友作をしっしと手で追い返す。軽くあしらわれた友作は、ぶつぶつと文句を言いながらも自分の席に戻っていった。
一回息をつき心を落ち着かせると、なんとなしに視線を廊下側の席に向けてみた。一瞬、累と目が合う。累はなぜか後ろを振り返っていて、むすっと不機嫌そうに口をへの字にしている。突き放すような冷たい目で一瞥されると前に向き直し、机に頬杖をつき、なにも書いてない黒板を見始める。
なんだ、今の……。
意味がわからず、首を傾げる。
まぁ、いつものことかと自分の席へと戻っていく。
席に着く前に、そういえばと自分の手に持っている紙パックのオレンジジュースを見つめる。
まだ、飲んでなかったな……。
途端に風花の弾ける笑顔が脳内で再生されて、慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「はぁ……飲も」
ひとり呟いて、紙パックにストローを差す。
ストローに口をつけると、ちゅーちゅーと吸ってみた。
渡されたオレンジジュースは妙に甘くて、酸っぱくて、なんだか青春みたいな味がした。




