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【第四幕 開幕】 鬼狐ノ月 ~キコノツキ~  作者: 椋鳥
第四幕 ~恋の聖誕祭~
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第一章 雪月 ⑦


 親子丼を食べ進めながら、そういえばと気がついた。


 この家にはおれと母さんがいつでも遊びに来れるように皿も箸もコップも布団だって三つずつある。それなのに、おれはまともにはこの家には来たことがなかった。

 この部屋にはどことなく母さんが残してくれた面影を感じる。


 心が、また少し穏やかになっていく。


「たまには、いいな……」


 思わず口から零れていた。

 向かいにいる累がその言葉に反応して、目線を上げると、こちらを見つめる。


「たまにじゃなくていいんだよ?」


「……お前が男兄弟だったら頻繁に泊ってるだろうな」


「なに? 女だとダメなわけ?」


 累が不服そうに聞いてくる。


「ダメだろ……」


「兄妹でも?」


「兄妹でもだ」


「……思春期突入?」


「もうとっくに突入してる」


「……へぇ、そっか。じゃあ魁斗は異性への関心が強まってんのね、だからそんなこと言うのか」


「そんなことって……これは普通の反応だよ。とにかくダメなもんはダメ。今回は仕方がないけど……」


 ふーん、そういうものなのね、と累はつまらなそうに目を細めながら親子丼の鶏肉をスプーンで掬って口に入れると、


「美味し……」


 ぽろり、と感想を漏らす。


「……」


 見ていて今度は以前と違って、累が無防備になり過ぎていて危険に感じてきた。

 ちょっとこれは家族として兄としても正さなくては、と魁斗は胡坐をかいていた足を正座に組み直して姿勢を正すと、顔を引き締める。


「累、お前……そう簡単に男を家に泊めたりすんなよ」


 持っていたスプーンで累のことを差し、言葉を伝える。

 言葉を聞いて、累は心外だとばかりに顔を怪訝なものにして魁斗を強く睨む返した。


「泊めるわけないじゃん」


「たとえ、それがおれでもだ」


「はぁっなんで!?」


 ここは繋がらないみたいだ。

 魁斗は言い聞かせるように、累の目を強く見返す。


「累、あまり思春期の男を舐めない方がいい」


 大真面目に告げる。

 しかし、累は訳がわからないと眉根を寄せている。


「なに、どういうこと?」


 問う累に対して、魁斗はまなじりをぐっと強める。


「男はな……誰しもが心の中に野獣を飼ってるってことだ」


「どうゆうこと? 詳しく」


 思ったよりも累が食いついてくる。


 自分で言い始めて、ちょっと困ってしまった。


「あのな、男はな……その、なんだ? ……三大欲求ってあるだろ? その中の性欲が、みんなじゃないけど女性よりも強いんだって……つ、つまり、変態なんだ」


 なにかを口走った気がした。


「魁斗も?」


「えっ! ……そ、そうだよ」


 完全に口走っている。しかも流れで変態と認めてしまった。


「まぁ、それは知ってるけど……」


 ん? さらっと今なに言いやがった?


「なに? やましい気持ちでもあるわけ? わたしにも」


「いやっ! そんなことは、ない! ……のだが……理性がぶっ壊れたら、男はブレーキが踏めずに大事故を起こすことだってありうるって……話に聞いたことがある」


 おれは本当になにを言っているんだろうか。


 自分でも訳がわからなくなっていた。


「ならないよ」


「へ?」


 累の返答に思わず間抜けな声を出す。目線を向けると、累は迷いのない目でこちらを見ていた。そして、自信たっぷりに続きを口にする。


「魁斗はならない」


「……なんで?」


「だってやさしいもん」


 ……お前、丸裸になり過ぎだぞ。


「それに……」


 累がなにか言葉を続けようとしたが、そのまま言葉を途切らせる。一度顔を俯かせてゴクッ、と空気を飲み込むと、慌てて丼ぶりを持ち上げて親子丼を口の中へとかきこみ始めた。

 

 なにか、自分でも制御できない余計なことを口走らないように……。





 ※※※





 母さんと累、三人で暮らしていた時のことだ。

 満腹になるとこたつに寝転んで、気がつけば爆睡という累を何度も目撃したことがある。


『累、そんなところで寝ると風邪ひくぞ!』とか、偉そうに兄みたいなセリフを何度も吐いた記憶がある。『寝ないってば』なんて言葉を吐くがたいてい眠りにつく三十秒前。案の定、累は眠った。その眠る累の横顔を見ていると、次第に自分の体も弛緩してしまい、眠気に襲われる。そして、二人して並んで眠ることもしばしばあったものだ。


 そう今みたいに……。





 ハッ、と魁斗は蘇るようにがばっと上体を起こす。

 いつのまにやら眠っていたようだ。


 たしか、ご飯を食べた後は空になった丼ぶりを洗い終え、風呂に入って出ると、累が首までこたつにもぐり、身体を丸めて寝息をたてていた。無防備なその寝顔を見ながら、一緒にこたつに入っていたら、いつのまにかまどろんで寝てしまっていたようだ。たぶん温かかったのもそうだが、満腹になったのも大きな一因。そして、累の眠っている顔を見るとなぜか自分も眠たくなってしまう。


 こいつの寝顔には睡眠効果でもあるのだろうか……。


 魁斗は傍らで眠りこけている累の肩を揺さぶる。


「おい、累、起きろ! こたつで寝たら風邪ひくぞ!」


 遠い昔のような懐かしく思えるセリフを吐く。


「うーん……こたつでお稲荷さんを食べよう?」


 どんな返事だ……しかも、よく夕食を食べ終えた後にまたそんな夢が見られるな。


 累の小さな肩がこたつ布団から這い出してくる。そして上体を起こすと、しぱしぱとしている目を擦る。


「あれ……? お稲荷さんは?」


 こたつの上をぽーっと眺めて、お稲荷さんが無いために累がそう呟く。


「ないよ、夢だそれは。それより布団敷くぞ」


「ふぁい」


 口元を押さえて、あくびを漏らしながら返事をされる。魁斗が先に立ち上がると、累の手を引っ張り上げて立ち上がらせる。


 押し入れの方でごそごそと準備を始めると、どうやら目が覚めたようだ。寝具を取り出す時に、チラッと累がこちらを見て、


「布団はひとつでいいかな?」


 小ボケをかましてくる。


「そういうボケはもういいから」


「はいはい」


 冷静に対応すると諦めたのか、やる気がなさそうに寝具を二セット押し入れから出してくれた。


 こたつを部屋の端に寄せると、せかせかと畳の上に寝具を伸べる。そして、やはり六畳一間に布団を二つ並べると距離がだいぶ近い。こたつがだいぶ場所を取ってもいるし……。


 累は用意する時も『一緒の布団で寝ればいいのに……』とか言いながら寝具を畳の上へ伸べていた。


 絶対、意図的にボケているため無視した。


 それはわかってはいたのだが、思春期の自分には少々刺激が強い言葉だ。累はまったく恥じらいを見せずにひょうひょうとしているが……。


 なんで、こいつは平気なんだろうと思った。


 だけど――と、魁斗は考える。


 累の反応はべつにおかしくないのかもしれない。中学三年生までは同じ屋根の下で一緒に暮らしていたのだ。さすがに中学生になってからは一緒の部屋で寝るということは無くなったが、それまでは一緒に寝ていたんだし。こたつで隣同士で雑魚寝なんて中学に上がってもざらにしていた。


 おれが思春期に突入して、意識しすぎなのかもしれない。


 だけど、今はまたそれよりも少しお互いに成長した高校生だ。大人と子供の狭間でもあって心だって微妙な時期。


 それに、累は家族ではあるが血は繋がっていないひとりの女の子。

 思春期を迎えている高校二年生の男子が意識をしないわけも無くて……。

 だから、なんというか、もちろんおれも男なわけで……。

 累は信頼をしてくれているようなんだけど、いろいろと男の本能的なものがそもそもこの身体には備わっているわけで……。

 もちろん、理性は手放さないよ、だって累は大事な家族なんだしさ……。


「なにひとりでぶつぶつ言ってるの?」


 どうやら深く自分の世界に潜っていたらしい。

 突っ立ったままぶつぶつと呪詛のようになにかを唱えている魁斗の姿に引きつった顔を向けている。


「なんでもございません」


 答えるも、累はおかしなものを見るように首を傾げる。


 互いに布団は敷き終えた。あとは横になって寝るだけだ。

 さっきこたつで寝たときのように何も考えずに眠ればいいわけだ。

 馬鹿な考えは止めよう。

 外が大雪で帰れないから家族の家に泊まらせてもらってるってだけ。

 今さら、なにを緊張してるんだ。相手は累だぞ。


 頭の中で自分に言い聞かせるように呟き、目を閉じてから大きく息を吸うと、緊張を解くようにゆっくりと吐く。


 そして目を開けると、平静を装って片手を上げ、おやすみの挨拶をしようと口を開けていく。


「よ、よーし、トランプするか?」


「しないわよ」


 どうやら、自分という男はバカらしい。





 ※※※





 もぞもぞと累が寝返りを打つ気配が伝わってくる。

 その音だけでも頭は、カッ! と覚醒して、まだまだ夢の世界へは逃げられそうもない。

 スマホの画面を見てみたら、もう日を跨いでいた。メールが一件入っていて、確認すると大雪により明日は休校のようだ。ありがたい。このままだと学校で一日中眠ることになっていたかもしれない。


 窓の外を眺めてみる。

 真っ暗闇の夜空に右半分だけ光って見える半月がぷかぷかと眠るように浮いていた。


 月を見ながら、ふと先月のことを思いだす。


 先月はたしか二回ほど、この家に泊まりはしたけれど、いずれも累がボロボロの非常事態の時だった。一回目は夜中にずーっとドライヤーで服や髪の毛を乾かしてやったりとまともな泊まり方じゃなかったし。二回目は累が風邪をひいて弱っていた時だったし。こうして互いが、少なくともその時よりも元気でまともな精神状態の時にお泊りするのは初めてだ。


 隣に目をやると枕に頬をつけたまま、横向きになって目を閉じている累の顔が見える。両手で毛布の端をぎゅっと握りしめて、むにゃむにゃと気持ちよさそうに寝ている。


 寝てるなこいつ、普通に……。意識しているのはおれだけか……。

 

 はぁっ、と聞こえないようにため息をつき、頭の後ろで両手を組んで、天井につるされている豆電球をぼーっと眺める。


 厄介だな、思春期というものは……。


「うぅ、ん……」


 隣から小さな寝言が零れる。

 横を向き、魁斗は累のその寝顔を覗く。

 まるで、遊び疲れて眠ってしまった子供のように、口許がちょっと綻んでいる。


 何年か前までは、こうやって隣同士で寝てたんだよなぁ……。


 今では懐かしく思える。

 その時の自分たちから、さらに時が経って、現在もこうして一緒に居られる。隣で寝ることだって出来ている。まぁ、今回はたまたまだが。


 でも、これが……たとえばさらに十年後には、おれたちはどうなっているんだろう。


 累の顔をじっと見つめる。


 そのとき互いの隣にいるのは、誰なんだろう。


 そんなことを考えながら、目を閉じる。


 いつまでこうしていられるのだろうか。


 なぜだか急に心の奥が寂しくなる。

 今はまだ見ない累の隣にいる、その人物。それを想像して胸が痛くなる。

 想像していた以上の寂しさが込み上がってきそうだった。


 たぶん……気のせいだろう、と無理やり胸の奥底へと押し返した。

 深く深く沈みこませる。


 そして、ようやくまどろみの中へと溶けていった。

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