第一章 雪月 ①
――恋とは、いつ生まれるのだろう?
――いまだ、どういったものか、ちょっぴりわかっていない。
――最初は憧れだった。
――気がつけば、甘えていたし、頼っていた。安心できるわたしの心の拠り所。
――いつも輝いていて照らしてくれる優しい紅い月。
――そうして、重ねた日々は色褪せるよりも、どんどん色が濃くなっていく。
――ずっと美しくて、ずっと焦がれている。
――そんなあいつを、わたしは今どんな気持ちで見てるんだろう?
――心にへばりついた『名前のない感情』は理由を求めて歩き彷徨ってる。
――近づくと息苦しいし、痛いし、辛い。
――だけど、心が満たされていく。
――この気持ちはいったいなんなのだろう?
――わたしはこの感情になにを思い描いているのだろう。
高校二年生の冬。
春はまだ遠い。
氷点下まで温度を下げた世界。
そんな世界の朝は、凍った薄雲がところどころにかかっているが、太陽は元気よく快晴、眩しく晴れ渡っていた。
早いもので、いつのまにか霜月から師走へと月日は流れ。
時間って経つのが早いなぁ、なんて思いながら、ぼんやり外の景色を眺めていると、ひらひらと粉雪が踊り、舞い降りてくる。
わぁっ、と。ひとり空を見上げ感動。
初雪だ……。
写真にでも撮っておきたい美しさ。
窓を開け、外の景色を眺めながら、紅月魁斗はぶるっと体を震わせる。
えらい、寒くなったなぁ。
真っ白な息を吐く。
こりゃあ、早いうちに降り積もるぞ。
※※※
朝の晴天とは打って変わって、昼食後には重い雪雲に世界は覆われていた。今は風こそ吹いていないが、すでにぼたん雪が地面に降り積もっている。
なんてこった、もうこんなに降り積もってる。
縁側から外を眺め、目を見開く。
外に出ていないからわからないが、おそらく膝あたりまでは雪が降り積もっているだろう。
一面が白銀世界。
我が住処が山の上だからか、すごい速度で雪が降り積もったものだ。
そんなふうに思い、外を眺めながらも、すこしワクワクしてくる。
すると魁斗の隣にスッと、ある人物が姿を現す。
「魁斗さん」
その人は心に沁みるように名前を呼ぶと、まるで粉雪のようにふわりと優しげな笑みを向けてくる。雪にも負けないその美しさを纏う人物の名は皆継家の長女にして当主代理の皆継左喩だ。
左喩は笑みを浮かべたまま、じっとこちらを意味ありげに見つめ続けてくる。
「……」
その目を見返す魁斗はピーンと電球マークを頭上に飛ばした。
左喩の言いたいことが閃いたのだ。
そして、答えを合わせをするように口を開く。
「左喩さん……雪遊びですね?」
通じ合ったように左喩は長いまつげと眉毛を上げる。そして、魁斗の答えが正解であるように口許をほっこりと綻ばせ、目尻を下げた。
「魁斗さん……」
まだ左喩の口からは正解です、と言われたわけではない。
魁斗は左喩の口から続く言葉を緊張した面持ちで眺め、ゴクッと固唾を飲んだ。
一呼吸置き、そして左喩のほんのり桜色の唇が開かれていく。
「正解です」
※※※
玄関を開けるとまるで世界が違った。
玄関扉から一歩足を踏み出すと「うわっ、すごい……」と、ガキ丸出しの声を上げ、周りを見渡す。
どこもかしこも白、白、白の白景色だった。
朝とは違って、外の一面はキラキラと輝く白銀の世界に成り変わっていた。太陽の光が雪に反射して、より一層眩しく輝く。しばらく、唖然と立ち尽くすぐらいに降り積もっていた。
やはり山の上だからか、降り積もるのが早いな……。
だが! と、魁斗は腰に手を添え仁王立ち。
雪には、寒さには負けまいと、天を眺めふんぞり返る。
そんな魁斗は寒さに凍えぬように自室にて青色のスノーウェアに着替え、頭にはニット帽を装着。耳まで隠れるように深めにかぶり、手袋は毛糸ではなく防水性のものをはめ込んでいる。そして、玄関にてスノーブーツを履き、準備はもう万端。
おれに寒さは通じないぞ……。
喧嘩を売るように心の中で天に言う。
魁斗は玄関扉を閉めると、足を踏み出して歩き始める。
実際に外に出て見たら、思った通りに膝あたりぐらいまで降り積もった雪。
ザボン、ザボンッ、と柔らかい雪の上を歩いては、ボコッと沈んで、何度か足を取られそうになる。
そうして、庭の真ん中あたりまで辿り着くと、雪で冷えた空気を思いっきり吸い込んでみた。肺にひんやりとクリアな冷気が入り込み、それが心地よく、なんだか清められていく気がする。
東京に比べてやっぱり空気がうまいなぁ、などと感動しつつ、生温かい息をはぁ~っと吐く。白くけぶった息が空に昇って溶けていく。庭からは連なる山々が白く染まって神々しく輝いていた。
童心に戻り、雪をスノーブーツで蹴とばす。両手で雪を掬い空に向かって思いっきり持ち上げた。すると再度、雪が降ってきているようにきらきらと舞い降りてくる。これだけでも、なんだか楽しい。そして、お次は雪の上へとダイブ。柔らかな雪の中に埋もれた。全身がひんやりと冷たい。起き上がり、スノーウェアについた雪をぽんぽんと払うと、じーっと地面に降り積もった雪を眺めた。
手を伸ばし、ほんのひとつまみだけ雪を摘まんでみて、口の中に入れてみる。雪を食べると、やっぱり口の中がひんやりと冷たい。
魁斗は、累と母さんと三人。昔に雪が降った時のことを思いだす。
あの時もおれが雪を食べてみて、『美味しい!』って叫んだら、累も不思議そうな顔をして真似して食べてたな……。特段美味しくはないがひんやりとして、口に入れるとすぐに溶けるから、なんだか面白かった。その時に母さんに、『その辺の雪は泥がついてて汚いから食べないのよ』って失笑しながら注意されたっけ……懐かしいなぁ。
口の中で溶ける雪は冷たいが、なんだか胸の中は温かい心地がする。
もう一口食べてみようかな……。
もう一度、雪を摘まんで口を大きく開けていると……
「お、美味しいですか? 魁斗さん……」
振り返り、声をかけてきた人物と目が合う。
おそらく変な奴だと思われたのだろう。
目をまん丸くさせながら左喩が背後から不可解な面持ちでこちらを見ていた。
ああ、雪景色がこんなにも眩しいだなんて知らなかった。
魁斗の瞳には左喩が映る。
左喩も自室で白色のスノーウェアに着替え、頭に白色のニット帽を被っている。視界がよく見えるように黒髪を横に流して耳にかけ、綺麗な顔がはっきりと見える。手には淡い桜色の毛糸の手袋をはめ込んで、ボアとフリースのついた女性らしいスノーブーツを履いていた。
雪と共に舞い降りてきた天使みたいだ……。
左喩も嬉しそうに庭に降り立つと、はしゃぐように雪を手で掬い頭上へと放つ。白色の雫がキラキラと舞い、まるで左喩の美しさをよりいっそう際立たせるようにまわりを彩る。
「すごい、雪ですよ、雪! いっぱい積もってます! ね、魁斗さん!」
今さらながら雪が積もっていることを連呼し、興奮するように両手を広げて、まるでドラマの撮影みたいに体をくるくると回転。
すごいのはあなたのその美しさですよ、左喩さん……。
あと仕草が可愛すぎます、とは言わずに黙っておいて、ただその様子を見惚れながら眺め続ける。
そんなぽけーっとしている魁斗に左喩は真冬に咲いたひまわりみたいに輝く笑顔をくれた。魁斗は眩しすぎて思わず目が眩む。軽い眩暈がした。
な、なんて、破壊力……。
くらっとする体をどうにか足で踏ん張り、支えとどめる。
雪が明らかに左喩の美しさを何段階も際立たせているのは間違いない。
魁斗は悶えそうになる自分の体をどうにか抑え制御に専念。
暴れるな、おれの中の男の本能よ。抑え込め、我が理性。
こうやって眺めていると、今でもこの人と一緒に暮らしていることが信じられないと、そう思うくらいに現実離れをした人のように思えた。
降る雪はさらに強くなって、左喩の背中まである黒髪にひらひらと氷の切片がくっつく。雪を纏わせる左喩を眺める魁斗は未だに美しさに言葉が見つからない。
「魁斗さん」
自分に向けて呟くその口許にも雪が触れる。触れたそばから溶けて消える。目を細めながら、淡い笑み。それが、なんだか妙に艶っぽく感じて、心の中が溶けていくようだった。
この景色は文句なしの絶景だ……。
そして、しまったと強く後悔した。
頭を抱えて雪を降らす天を仰ぐ。
スマホをフェアのポケットに入れとくんだった。そしたら、この美しい光景《左喩》を写真に撮って、切り取っておくことができたのに……。あとで必ず、写真を撮ろう……。
そういえば雪遊びをするんだったな、と魁斗はようやく当初の目的を思い出す。
いつまでも見惚れているわけにもいかない、と顔をぶんぶんと左右に振って、手招きしている左喩のもとへと駆け寄る。
そして、両手に雪を掬うと、まるで海でカップルが水を掛け合うみたいに左喩に目掛けて雪を放った。きらきらと雪が舞い、左喩の右のほっぺたに雪が触れ、また溶けていく。
「あっ、やりましたね~、では、わたしも……」
左喩は両手いっぱいに雪を溜めるため、腰を屈めて、ずぼっと両手を雪の中へと埋めていく。
雪をかけ返すつもりだ。
ほんとにカップルみたいだと魁斗は、ふふっと笑う。
さあ、来い、と身構えた。
「えーいっ」
左喩が振り上げた両手は地表をひっくり返すように、勢いよく大量の雪が目の前で弾け飛んだ。そして、眼前が完全に雪の壁に支配されると、次の瞬間には雪崩に巻き込まれたかのように魁斗の体がさらわれる。目の前が真っ暗になり完全に雪の中へと埋もれてしまったのだった。
……うん、現実離れしているのは間違いなさそうだ。




