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五 おてんば姫様、砂漠を行く

 街から街へ、森を抜けて海を渡り、また次の場所へと向かう。

 今日も今日とておてんば姫様は気ままな旅を続けていた。


 やって来たのはエペスト王城からずっと東の砂漠地帯。

 陽光に煌めき、砂粒達が黄金に光り輝いている。

 その中を颯爽と駆けるは灰色の馬だ。そしてその上に跨るのは、朱色のショートヘアを靡かせる可愛らしい幼女――ザラ・エペストである。


 灼熱の陽光が照り付けているが、ザラは全然へっちゃらだった。


「えっと、このまままっすぐ行こう!」


 砂漠の向こう側には何か面白い物がある予感だ。

 ただひたすらに、砂を蹴って馬は走り続ける。

 しかし砂漠はなかなかに広く、走っても走ってもまるで一歩も進んでいないかのように思えた。


「うーん、この砂漠、どこに終わりがあるんだろ! 夜までに街に行けるかな? まあいっか! そろそろお腹減ったなあ。なんか食べようっと!」


 少し休憩しよう。

 グレーを立ち止まらせ、街で仕入れた食事をパクリと口へ放り込む。

 朝から走り通りだったから、食べ物が体に染みるようだ。いそいそと二口目を食べようとした、その時、


「……?」


 突然、何だか妙な違和感を得た。


「誰かいる?」


 静かな息遣いが背後から聞こえた気がしたのだ。

 振り返る。だがそこには誰もいない。

 考えてみれば普通はこんな砂漠に人がいる筈がない。気のせいかと思ってまた食べ始めるが、


「やっぱり誰かいる気がする! おーい、誰なの?」


 グレーもそれを感じているようで、なんだか落ち着きがない。

 ぐるりと首を回してみる。すると今度は、視界の端に異様なものが映り込んだ。


「ヒヒィ――ン!」


 直後、高く嘶いて、グレーが凄まじいスピードで走り出す。

 あまりに突然の事にザラは仰天し、必死で振り落とされないよう雌馬の胴体に抱き付いた。


「ガルルル、ガァー!!」


 背後から聞こえる地響きの如き咆哮。

 ちらりとそちらを見やると、そこには先程目の端に見えた物の姿がはっきりとあった。

 金色の体毛を輝かせながらこちらへと駆けて来るそれはまさしく、


「ライオン……!」


 しかしおかしな事に、そのライオンには鬣がなかった。

 その時ザラはふと、昔父が言っていた事を思い出す。


「獣の王とも呼ばれる獅子だが、その全てに鬣が生えている訳ではない。あれは王の証であり、それ以外の雌の獅子はそれを持っていないのだよ」


 つまり今こちらを猛烈な速さで追って来ているのは、雌ライオンで間違いないだろう。

 ザラの聞き齧り情報では狩りをするのは雌ライオンであるらしく、恐らくこちらを取って食わんとしていた。


「ザラってそんなに美味しいのかな? 可愛いから?」


 山姥の時といい今といい、ザラの肉は大人気らしい。

 それはなんだか嬉しい気もしないでもないが、困った事であるには違いなかった。


 グレーと猛獣との距離が、一秒ごとに縮まっていく。

 やばい、そう思い、ザラが何か指示を飛ばそうとした瞬間。


 突然横から強い衝撃を受け、幼い少女の体が軽々と宙を舞った。


「うわあっ」


 叫び声を上げたと同時に、視界がぐるぐる、ぐるぐると回転する。

 ――そして数秒後、背中から砂の中に激落したザラの意識はあっけなく暗黒に落ちたのである。





「う……、ん?」


 薄目を開けると、そこは薄暗い洞穴のような場所だった。

 体を起こして、視線を巡らそうとし――、「あっ」とザラは思わず声を上げる。


 だってすぐそこに、金色の雌獅子の瞳が無数に輝いていたのだから。


「ガルルルル」

「ガルルルル」

「ガルルルル」

「ガルルルル」


 身の毛がよだつような感覚を覚え、ザラは思わず小さく震えた。

 ここがどこなのか、今どんな状況なのか。そんな疑問は一瞬で頭から吹っ飛んでしまう。

 食われる。そう思ったが、一向にライオン達が身動きする様子はない。まるで、何かを待っているかのように――。 

 その時、突然声が響いた。


「待タセタナ。支度ハデキタカ?」


 おかしい。どこにも人間はいない。

 ただ、その声は洞穴の奥からゆっくりと現れた一匹の獅子から聞こえた気がした。


「……? でも普通、ライオンは喋れないのにどうして」


「驚イテイルヨウダナ、人ノ小娘ヨ。吾輩ハ獣王レーベ。コノ砂漠ヲ統ベル、人ノ言葉ヲモ解スル獣ノ中ノ超越者ダ」


「砂漠をスベる? チョーエツシャ? よく分かんないけど、ザラを食べる気なの?」


 首を傾げるザラに、豊かな鬣を靡かせる黄金の猛獣――レーベはふふふと笑った。


「ソウダ。貴様ノヨウナ若イ人間ノ娘ノ肉ハ初メテダカラ、味ワッテミナイ訳ニハ行クマイ。ナントモ美味ソウダナ。デハ……」


「小娘じゃなくてザラ・エペスト! エペスト王国のお姫様だよ! ライオンなんかに食われてたまるか!」


 獣王がこちらへ飛び掛かろうとした瞬間、叫び、ザラはぴょんと跳ねて逃げた。

 レーベは獲物のいた筈の場所に崩れ、目を丸くする。


「素早イ。今ノ我輩ノ攻撃ヲ避ケルトハ……。ト、ソンナ事ヲ言ッテイル場合デハナイナ。貴様、今、人間ノ国ノ姫ト言ッタカ?」


「言ったけど……、それがどうしたの?」


 逃げようとしたものの雌獅子達に取り囲まれていてはそれも無理なようで、ザラは恐る恐るレーベを振り返った。

 この状況からどうやって逃れようか、必死に考えていると、


「ム。人間ノ姫カ……。コレハ困ッタ事ニナッタ。コレデハタダデ食ウ訳ニモ行カヌ。人ト争イニナッテモ負ケハセヌダロウガ、多少ノ犠牲ハデルニチガイナイ。ダガシカシ、単ニ逃ガスノモ惜シイナ。――ソウダ、良案ガ浮カンダ」


 獅子王の言葉遣いが難し過ぎてザラにはよく分からないが、何かを思い付いたようである。

 愉快そうに口角を吊り上げると、レーベは言った。


「人間ノ姫ヨ。貴様ニ三ツノ問イヲ出ソウ。モシモソレガ全テ解ケタラ、逃ガシテヤロウ。ダガ、答エラレナイ愚カ者デアルナラバ、吾輩ガ食イ殺シテヤル」


「つまり、その問い? に答えたら良いって事だね! 大丈夫、ザラなんでも解いてあげるよ!」


 希望が見えたので、ザラは一安心。

 頭が良い自覚はあまりないが、まあなんとかなるだろう。


 雌ライオン達が王の方を心配そうに見つめるが、獣王レーベは余裕たっぷりだ。


「デハ一ツ目ノ問イ。昼ヲ照ラス者ハ東ニ現レ西ヘ消エル。デハ、昼ヲ照ラス者ガ消エタ後、夜ヲ照ラス者ハドノ方角カラ現レルカヲ答エヨ」


「……?」


 これ、意外に難しくない?

 そう思わず口にしそうになった程、ザラにとっては意味不明な問題だった。

 昼を照らす者とか夜を照らす者とか、消えたり現れたり、方角という意味もいまいち分からない。

 でもこれに間違えば目の前の猛獣に食われてしまう。まだまだ旅を続けたいザラにとって、それだけは困る事であった。


「うーんと、夜を照らす者……」


 夜を照らすのは、街明かり。

 しかしそれは現れたりしない。他に夜を照らす者と言ったら?

 そしてザラは閃いた。


「月! それでおかー様は月はヒガシから昇るって言ってたと思う!」


 朱色の髪を揺さぶって叫ぶ幼女に、驚いたような顔をして頷くレーベ。


「コンナニモ容易ク答エヲ導キ出セルトハ思ワナンダ。正解ダ」


「やったー!」と跳んで喜びはしゃぐザラだが、「マダダ」と獅子王はそれを制する。


「安堵スルノハマダ早イゾ。二ツ目ノ問イヘ移ロウ。吾輩ガ今マデ食イ殺シタ人間ノ娘ノ数ヲ当テヨ」


 これまた先程とは大きく違う難問である。

 レーベが今までどれだけの人間を食い殺して来たかなんて、到底分かったものではない。この洞穴には血の匂いが濃厚に染み付いていて、それで彼が今までどれ程の命を貪っていたかが知れようというものだ。

 何十人、何百人、何千人かも知れない。そんなとてつもない数を、どうやって言い当てれば。


「――あっ!」


 その瞬間、またザラの脳内に電撃のようなものが走った。

 そうだ。これはそんな無理難題ではない。獣王は最初から答えを出していたではないか。


「人間の娘の肉は初めてだって言ってた! 人間の肉を食べた数は分かんないけど、人間の女の子はまだ食べてないって事! つまりゼロ人!」


 勢い良く答えたザラに、またもやレーベは深く首肯した。


「ナントモ賢イ娘ダナ。コレマタ正解ダ。シカシ油断スルデナイ、最後ノ問イヲ投ゲヨウ。コレガ解レバ、コノ勝負ハ吾輩ノ負ケトナル。……百獣ノ王タル吾輩ガ唯一敗北シタル者、ソノ名ヲ答エヨ」


 これで最終問題。

 獣王レーベが過去に負けた者を言えば良いだけだから、割合簡単だ。

 ザラは寝る前によく聞いた昔話を思い出してみる。

 ……だが、獣王が負けた話なんてなかった筈だ。記憶にある限りは。

 つまり、


「レーベは負けなし! だから負けた者なんて誰もいない!」


 確信を持ってそう答えたその時、獣王はにやりと笑い――、「外レダ」と言った。


「吾輩ガ敗北シタル者。ソレハ老イル事ダ。コレバカリハ吾輩ノ圧倒的ナ力デサエドウスル事モデキン。サテ、貴様ハ最後ノ最後デ誤ッタ。覚悟ハデキテオルダロウナ?」


「間違えちゃったみたい! ……ええと、どうしよう?」


 見回す限り、十頭以上の雌ライオンがこちらを睨んでいる。

 逃げ場はない。獅子王が再びこちらへ爪を向けた、その時だった。


「ヒヒィ――――ン!」


 激しく嘶く声がして、高い蹄音を立てる優美な馬が颯爽と駆け出て来たのだ。


「あっ、グレー!」


 グレーは軽やかに雌ライオンの群れを飛び越えると、ザラの目の前で立ち止まる。


「アノ馬カ。縛ッテオイタ筈デハ……? オイ待テ、逃ゲルナ!」


 獅子王が戸惑っている間にもザラは背上に飛び乗っており、既に彼女の脱走劇は始まっていた。


「皆ノ者、アノ娘ヲ捕マエロ!」


 レーベの叫びに従い、群れの雌達が一斉に咆哮する。

 そしてザラ目掛けて猛烈な勢いで走り出した。


「うわあ、捕まったらガブガブされる事間違いなしだね! 辛いと思うけど頑張って逃げて!」


 暗い洞穴を抜け、開けた場所に出た。

 さっきまであんなに陽光が照り付けていた筈なのに、もう日が大きく傾いている。

 どうやら思っていたより長く気を失っていたようだ。一面の砂漠からジュウジュウと音を立てて湯気が立っていた。


 どちらへ進めば良いのか分からない。少し悩んでいるとふと、獣王の言葉が脳裏に蘇った。

 昼を照らす者は東に現れ西に消える。

 確かザラは西の方から来た筈で、つまり、


「日の沈む方と逆に行って!」


 指示を飛ばしたと同時に、背後から獣の唸り声がした。


「ガルルルル」

「ガルルルル」

「ガルルルル」


 多勢に無勢、逃げられるかどうかは分からない。が、やってみるしかないだろう。

 砂埃を巻き上げて、ひたすらに東へと走り、走り、走る。

 後を振り向く。ギラギラと瞳を光らせる獣達の姿が見えた。

 走る、走る、獣の荒い息、走る、蹄が砂を蹴る音、走る、走る、走る。

 どうやら数では負けるが身軽なこちらの方が有利なようで、気付くと距離は徐々に開いている。


「このままなら……」


「逃ゲ切レルトデモ思ッテイルノカ? ソレデアレバ、アマリニモ甘イ考エダナ」


 その声でハッと前に向き直ったザラは、小さく声を上げずにはいられなかった。

 だってそこに、獣王レーベが待ち構えていたのだ。


「普段ハ狩リニハ出ヌガ、ワザワザ出向イテヤッタゾ。……サテ愚カナ人間ノ姫。コノ舌ノ上ニ乗リ、責メテモノ最期ニ吾輩ヲ楽シマセロ」


 ニタリ、と笑う獣王。

 驚きはある。しかしザラはすぐに立ち直り、彼に微笑みを返すと可愛く首を振った。


「悪いけどそれは無理! ザラはまだまだ死ぬつもりないもん! だから、ごめんね!」


 その瞬間、手綱を強く引いたザラ。

 幼女の指示に従い、グレーは天高くへ跳躍した。

 そして、丁度ザラを狙わんと身を起こしていたレーベの頭部、そこへ見事に前脚を掛け、思い切り蹴り飛ばしたのである。


「ウオオオオ――!?」


 意表を突かれたレーベは叫び、なすすべなく轟沈。泡を吹き、四肢をだらんと伸ばしてしまった。


 周りへ集まって来ていた雌獅子も呆気に取られた後、慌てて主の元へ駆け寄って行く。

 一方のザラは、してやったりとばかりに悪戯っぽく笑った。


「ザラを食べようとか思うからだよ! ほとんど負けなしの百獣の王、それに勝ったのはザラなのでした! バイバイ!」


 そうして難なく死戦を乗り越え、おてんば姫様は風のように颯爽と砂漠を走り去る。


「あーあ、今日はちょっとスリルあって楽しかったな!」


 ホッと胸を撫で下ろしながら、はるか遠方をぼうっと眺めた。

 恐らく、この広大な砂の海から出られるのは日暮れ頃になるだろう。その向こうでは何が待っているのだろうか。

 そんな事を思いながら、おてんば姫様は先を急ぐのだった。

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