一 おてんば姫様の脱城
「あーあ、つまんないの! もっと面白い事ないのかな?」
短い足をバタつかせながら、幼い少女が不満げに頬を膨らませていた。
目が覚めるような朱色の短い髪を揺らし、ぴょんと立ち上がる。先程まで座っていた椅子を勢い良く蹴り飛ばし、彼女は部屋の中をうろうろし出した。
――彼女の名前は、ザラ・エペスト。
年齢は八歳になったばかり。元気いっぱいのとても可愛らしい女の子だ。
しかし彼女は、普通の女の子ではない。王国エペストの姫様なのである。
本人はそれを、あまり自覚してはいないけれど。
「おとー様はお仕事、おかー様お出かけ、おにー様は武器の練習なんて! それでザラはお城の中で一人お勉強! ずるい!」
地団駄を踏みながらザラは、部屋にひとつだけある窓の下までやって来ていた。
ふと窓の外の青空を見上げた彼女は、澄んだ飴色の瞳をキラキラ輝かせ――叫んだ。
「お空綺麗! ザラもお外行きたいな! そうだ、抜け出しちゃお!」
抜け出しちゃお、と言っても、ここは王城の四階。
なかなか簡単に出られるものではないのだが……。
「うーん、そうだ! 人はおカネで動くっておにー様‘が言ってた! じゃあおカネを使えば良いよね!」
「という事で、ザラはこっそりおにー様のお部屋からおカネを盗み出しちゃったのでしたー!」
赤茶色のドレスを翻し、ザラはニタっと笑う。
その手には五つの金貨。丁度兄が留守で良かった。
金貨を後ろ手に隠し、彼女は軽やかに城の廊下を駆け回る。
そして、目的の人物を見つけた。
「メアリ! ちょっと聞いてよ!」
それは、新入りメイドのメアリ。
気が弱いと有名で、この作戦を果たすにはもってこいだった。
「あ、あ、な、なんでしょう、ザラ様。お部屋で勉強していなくては……」
「そんなのはどーでも良いの! ねーねーザラね、メアリに良い物あげる!」
「い、良い物……?」
掃除していた手を止め、メアリが目をぱちくりさせる。
彼女に金貨を突き付け、ザラはこう言ってのけた。
「これ! おカネあげるから、ザラをお城の外に連れてって! ……これは命令。ね?」
「気持ち悪い! 出して、出してよ!」
「あ、あ、あの、静か、静かに。バレちゃったらあたし、殺されます……」
ザラは今、メアリの手にする鞄の中に隠れつつ移動していた。
ぐらりぐらりと揺れるので、胃が気持ち悪い。でも何を訴えてもメアリは出してくれないので、耐えるしかなかった。
「我慢我慢! せっかくお城から出られるんだもん、見つかっちゃったらつまんないしね!」
「し、静かにして……」
ザラがどうしてメアリを頼ったのかと言えば、単純に彼女が買い出しへ行く係だったからなのと、きっと断らないだろうと踏んでいたからである。
そして見事作戦は成功し、城の兵隊に怪しまれず城外へ出る事ができた。
「つ、着きました。えと、ど、どうぞ」
ゴソゴソと音がして、鞄の蓋が開く。
暗い世界からの突然の解放に、ザラは目を擦り、身をくねらせながら鞄から這い出した。
「ふぅ! 息が詰まる暗黒とはおさらば! って、ここが街なの?」
「そ、そうです……」
地面に降り立ち、ぐるりと周囲を見渡してみる。
すると辺り一面、ひっそりとした家々が並んでいた。
そしてその奥には、見慣れたお城。――いや、見慣れたと言っても内側から見慣れているだけで、外から見るのは初めてだった。
そしてザラは理解する。やっと、憧れのお外に出られたのだと。
「やった! 脱出作戦大成功!」
そして脇目も振らず、赤茶のドレスを翻して猛ダッシュを始めた。
「ま、待って……。どっか行かないで下さい、はぐれたら、こ、国王陛下に、首を切られる……」
メアリがあたふたと追って来るが、ザラは彼女を振り返ると笑った。
「ザラ、しばらくお城に戻るつもりなんかないよ! あんな窮屈な所、飽き飽きなんだもん! だからメアリ、バイバイ!」
しばらく幼女姫様とメイド少女の追いかけっこは続いたが、結果としてザラは見事逃げ切った。
この後にメアリがどんな大目玉を食うか、そんな事はザラの知った事ではない。
だって、ザラは決めたのだから。
「ザラは旅に出るんだもんね!」
だがそれは完全なる思い付きであり、特段理由はない。
強いて言うなら――。
「広い広ーい世界を見てみたいな! おとー様は世界は広いんだって言ってた! じゃあザラはそれを見てみる! 面白い事を探して大冒険の旅にしゅっぱーつ!」
天に指を突き立て、幼い少女は可憐に笑う。
こうして、まだまだあどけないおてんば姫様、ザラ・エペストの自由気ままな放浪は始まったのだった。