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被害者の向う側

作者: せいいち

 列島に大きな爪痕を残した長雨が去ってひと月になる。

 死者多数のほか、さまざまな被害を耳にする。しかし、それが実はどこか他人事で、身につまされるところがないのが本当ではないか。口にすると憚られるから、口の端にはできないのが事実であろう。

 九十年代以降、あまりに甚大で、あまりに考えられないような事件、事故、災害が頻発し、情報過多に報道されて日常の光景となり、人の気持ちから弾力性が失われて硬直化してしまったところに、その原因はあるのかもしれない。

 他者の悲しみも、単にひとつの情報として受け取り、生身の人間が体験した事柄も、濾過にまかせるままデジタル音に姿を変えて流れ去ってゆく。一度、心の中で立ち止まらせることができれば、すぐにも気づくはずだ、自分の身に降りかかったことならばどれほど悲しく、どれほど辛いことかと。それが人間の本当の感情であったはずだから。

 この三十年あまりの社会の姿が、人からそうした当たり前の感情を枯渇させているとしたなら、実はそれが、無意識のうちに私たちが受けた最大の被害だったと後年気付くかもしれない。

 災害や大事故につながる凄まじい気候変動を、何の疑いも抱かずに作り出してきたのは私たち自身である。現代という社会が日夜垂れ流し、巨大な負荷を地球に与えている文明と自称する利器に私たちが手を触れない日はない。私たち自身がいつも被害者であり、一方でいつも加害者であるという事実から、もはや目を逸らすことは不可能だ。

 現に、気候は手のひらに乗る小さな画面の中の図と数字となりはてた。人間が空を眺めることを止めてしまってから、すでに久しい。雨の日は傘を用意するための朝であって、雨音や雨が来る前の香りに身を浸す風情は、抽象化された暮らしの外に追いやられてしまった。

 ひと月前、甚大な雨の災害を受けた人たちは、私たち自身に代わってその身に被害を受けてくれた代理人だ。少しだけ時と場所が違っていれば、次は私たちの番だ。

 スマホでいま必要でない一週間先の天気を見るくらいなら、明日来るかもしれない地球からのしっぺ返しをその手のひらの奥に刻んでおくべきだ。私たちは、そうした地表にして生きることを自ら選んだのだから。

 でも、無意識なら責めを負うこともないのでは、とあなたは言うか。そんな心許ない声なら、すぐにも止まない大雨がかき消してくれることだろう。

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