8-1:リスタート
分からない、と偉大なる祖父は言った。
ローレの外周を迂回し、わざわざ狭い北口から戻ってきたリベリオをゴッフリートとその妻は困惑で迎えた。結婚式ののち急ぎ王都に戻った孫が、妻ではなく母親を連れてローレに戻って来たからだ。
季節は夏の盛り、ローレ家の処遇が決まる査問会まで幾ばくもない。暗く思い詰めた目をした孫をゴッフリートはローレ城で最も遮蔽性の高い部屋へ通し、周囲へ一切の近寄りを禁じた。
ローレ城でも数少ない石造りの扉が閉まると、中にはリベリオ、ゴッフリート、ゴッフリートの妻、ルクレツィアが残された。
「ゴッフリート、お祖父様」
「次に会うのは王都の査問会かと思うておったが」
キョロキョロと室内を見回したルクレツィアが、二つある応接セットのうちの片方に腰掛ける。首に巻いていたスカーフを外すと、細首を回る赤い線があらわになった。
八十になろうとするリベリオの祖母ことルクレツィアの母は、四十年余りが経ってもルクレツィアに対する引け目が消えないらしい。ルクレツィアと並んで座る距離は親子にしては少しばかり離れていたが、首の傷には気付いた。
「ルクレツィア、首の傷はどうしたの? どこかに引っ掛けたのかしら?」
分かる人間が見ればそれが何であるかは一目瞭然だ。ゴッフリートが口を開くまでもなく、リベリオは自ら申告した。
「私が母の首を絞めました。その痕を付けたのは私です」
祖母が息を飲み、ゴッフリートは白眉を顰めた。
「……話を聞こう」
ルクレツィアの相手をそのまま頼み、もう片方のソファーに腰掛けて向かい合った。
「リリアナはどこへ?」
「お前の嫁御の護衛に出ていった」
「……兄の愚かな行いを、聞かせずに済みました」
祖父とここに居ない妹に頭を下げ、リベリオはぽつりぽつりと話し始めた。要領を掻い摘んで話すこともできず、起きたことを順に話すだけの辿々しい説明をゴッフリートは怒鳴ることも遮ることもせず静かに聞いていた。
フェルリータにポルポラの足跡を辿りに行ったこと、イズディハール皇太子の助力を受けたこと、魔石宝飾はポルポラがスパーダという商人から競売で購入したこと。
「捕らえたスパーダが隠し持っていた手紙です」
差し出した手紙をゴッフリートが開き、目を通す。
リベリオは革袋から魔石も取り出した。耳飾りの片方、それから端が紫紺に染まった雫型の首飾り。
「……湖水の館で、母が身につけていたものです。商人を連れて来たユリウス伯父上が贈ってくれた、と」
手紙と首飾り、それからルクレツィアの首をことのほかゆっくりと確認し、ゴッフリートは深く深く嘆息した。片手で顔を覆い、誰ともなく頭を振って。
「許せとすら言えぬ。グレゴリオ、マリネラ、マリアーノ、誰に詫びても、この首を差し出しても詫び足らぬ。あまつさえ、お前とリリアナにこんな重石を負わせてしまった」
「……母が加担していたと知って、我を忘れました。騎士として、……いいえ、人として道を外れた行いです」
母が生きた証人になることすら忘れた。出来なくて良かったのか否かも、まだ分からない。
「お前と同じように、リリアナも気付けなかった己を責めるだろう。だが、リリアナでなかったのが、せめてもの救いだ。リリアナであれば、ルクレツィアの首を即刻落としかねなかった」
リリアナにはそれが出来る技量があり、その後に自ら後を追いかねなかったとゴッフリートは言った。
「親の因果を、子が引き受ける責はないのだ」
ゴッフリートの言葉を鵜呑みには出来なかったが、祖父と孫らしく肩を叩かれれば詰まっていた息は少しだけ楽になった。もう片方のソファからは、祖母の啜り泣く声がする。
「……ユリウス伯父上は、何故このようなことをされたのでしょうか。マリアーノ殿下とイズディハール殿下が共に言われました『狙える先が多すぎる』と」
魔石を研磨できる人間を使い、ルクレツィアに染めさせ、フェルリータでポルポラに購入させる。だが、ポルポラが必ずしもグレゴリオに売るとは限らない。グレゴリオに売ったとて、グレゴリオが誰に贈るかも分からない。
「分からぬ」
そう、ユリウスの父は答えた。
「グレゴリオがマリネラに贈ることを願ったのか、グローリアに贈ることを願ったのか、分からぬのだ」
ゴッフリートが知る限り、ユリウスと現国王ヴァレンテ・カルダノの仲は良好であり、王国に対する不満は考えにくい。帝国とはミオバニア山脈を挟んで長く小競り合いを繰り返しているが、暗殺を目論むほどの深い接触はない。
「査問会はもう、すぐだ。ユリウスを主犯、加担したとしてルクレツィアを我々ローレ家自ら捕縛し王都に移送するのが責であろうが……」
「そうしたとして、ユリウス伯父上は罪を認め、理由を語るでしょうか」
罪を認め、理由を自白するのだろうか。リベリオはスパーダとルクレツィアというユリウスに加担した人間を確保している。手順そのものは解明されているのに、目的と理由はぼやけて拡がったまま判然としない。
「エヴァルド殿下が伝えて下さいました。国王陛下は魔石宝飾が市中に出回ることの方を危惧されておられると」
「然り。亡くなったのはマリネラ付きの侍女と、ミオバニアで焼け出された集落の民。国王陛下や王子王女殿下にお怪我がなかったことを幸運だとぬけぬけと喜び、加担した全員の首を差し出して終いになど出来ぬ」
犯人が誰かではなく、誰が誰をどうしてどのように狙ったのかという経過こそを王と査察部は求めている。
「育て上げ、同じ地に住みながら、ここに来て子の考えひとつ計れぬ愚かな親だ。儂にならばユリウスが全てを偽りなく話してくれるなど、盲目にもなれぬ」
だが、と老いた祖父は続ける。
「もし、ユリウスが全てを偽りなく話す者が居るとすれば、それは――」
ローレにほど近い鉱山からリリアナが人手の要請を出すこと三日。人手の先頭に立って鉱山の宿舎まで駆けつけてきた人に、ステラは目を丸く見開いた。
「リ、リベリオ様……⁉︎」
「まあ、兄様ではありませんか」
宿泊している二階の窓から外を眺めることが習慣づいたステラに倣い、リリアナも窓から顔を出す。集落の広場には、ローレからの人員と移送用の馬車が数台、それからステラのよく知る人の姿があった。
二人でばたばたと宿舎の玄関に出て行くと、ステラ達の姿を見つけたリベリオがかつてない速さで走り寄って来た。
「ステラ! リリアナ!」
「ヒッ⁉︎」
「兄様⁉︎」
ステラとリリアナをまとめて抱きしめる様は、はたから見れば感動的な再会だったが、どうにもリベリオらしくない。リベリオの腕の中、何事かとステラとリリアナは顔を見合わせた。
騒ぎを聞きつけて降りてきたクラウディオが、苦笑しながら挨拶した。
「ご無沙汰しております、リベリオ様」
「クラウディオ殿。先日、フェルリータで義母上を始めミネルヴィーノ家の方々に助けて頂きました。本当に、どう御礼を申し上げれば良いか……」
「家族の危機ですから、どうぞお気になさらず。……そちらも色々あったようで、積もる話は仕事を済ませてからにしませんか」
気付いたリベリオが周囲を見渡すと、北方軍のリベリオの友人達や、馬車の御者が困り顔で肩をすくめて見せた。そこでようやくと、リベリオは周囲に指示を出していなかったことに気付いた。
「す、すまない……」
「いえいえ、大急ぎで来て下さったんでしょうから」
「捕らえた賊は、宿舎の地下室を牢替わりにしてあります、兄様」
クラウディオとリリアナに頷き、リベリオが周囲に指示を出した。リリアナが捕らえた四人は檻付きの馬車に入れられ、騎馬で警戒しながらローレに移送される。
「予定通り、出入りはローレ城の裏門を使ってくれ。お祖父様かお祖母様が出て来られるはずだ」
軽装ではあるが、馬車を操る御者も北方軍の騎士だ。たかだか山賊の移送には大掛かりが過ぎる。野次馬が集まり始める中、段取り良く賊は地下から引き出され、馬車はローレに戻るべく出立した。
「山賊の捕獲にご協力頂き、感謝致します。私個人はもう数日滞在させてもらいますが、よろしいですか」
リベリオが集落の長であり宿舎の管理者に礼を言い、少しばかりの謝礼を渡す。
「光栄なことにございます。辺鄙なところですが、どうぞこちらへ」
リベリオは名乗っていないが、連れてきた兵が北方軍の制服であったこと、紫紺の髪色からローレ家の縁戚であると判断したのだろう。村長は頭を下げ、野次馬を散らしながら宿舎まで案内してくれた。
「飲み物は俺が食堂から持ってきます。先に部屋に入っていて下さい」
この宿舎は鉱山を訪れる旅人や商人が泊まるために建てられており、それなりの大きさと部屋数がある。一階には食堂など共有施設があり、二階には宿泊用の部屋が並ぶ。周辺の森林からの木材に恵まれており、豪華ではないが痛みは少ない。
「クラウディオさん達の部屋を使わせてもらいましょう」
ステラ達が使っているのは、二階の一番奥の部屋とその手前の部屋だ。家族用の部屋が無かったため二人用の部屋を二つ使っている。
「ミケさん、リリアナです」
一番奥の扉をリリアナが叩く。扉が少しだけ開いて、隙間から互いの確認をした後に招き入れられた。
明日以降もこのくらいの時間に上げていく予定です。最後までお楽しみ頂ければ幸いです。