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7-16:スターダスト④


「人がいたぞ! まだ生きてる!」


 落雷によって崩落した東の城壁の掘り返しは夜通し進められ、粉々になった石と煉瓦の中から人が掘り出されたのは夜が開ける頃だった。

 巻き込まれた人間が居るやもしれないと人手を集め、何食わぬ顔で陣頭指揮を取っていたリベリオとハルが声の出所に駆けつけたとき、掘り起こされたスパーダは文字通り虫の息だった。手脚はあらぬ方向へと曲がり、ところどころが潰れている。

「ぅ……」

 肋骨と肺が損傷しているのだろう呻き声は弱く、土砂にまみれたスーツは昨夜の見る影もなくボロ布と化していた。

 傍に膝をつき顔を覗き込んだリベリオを知覚しても、長い四肢はもう動かなかった。

「こやつもお前も、運が強いな」

 そう言って笑ったのは、作業員を下がらせたハルだ。生き残ったスパーダと仕留めずに済んだリベリオの運は、生存の方向のみ一致している。


「さて、そこな商人、もう一度取引をしようか。こちらには回復魔法持ちの用意があるぞ」

 曲がり潰れた四肢ではなく、眼球が動いた。血と土に汚れ青痣の浮いた顔の中、スパーダの瞼と眼球だけが、その狼狽を表して忙しなく動いている。

 ハルの言葉が本当であるかはスパーダには確認のしようがない。ただ、回復魔法の使える希少な人間を護衛として雇うのは、富裕層にとってステータスの一種だ。あり得ないことではない。

 ハルの言葉が嘘であると疑うことは出来る、あるいは取引を守らない可能性もあるだろう。だが疑う意味はあるだろうか。捻じ曲がった手脚はフェルリータの医療技術で治る可能性は無く、そも生存自体が危ういこの状態で。

 公明正大かつ平等な取引など、最早存在しなかった。そして不平等に持ち込んだのは、他でもないリベリオだ。

「……」

 ぐるぐると忙しなく動いていたスパーダの目が歪む。一度閉じた瞼の端から涙が落ち、砂に塗れたこめかみまで線を描いて、もう一度開いた。

「……」

「胸元……いいえ、背中ですね」

「おう、剥いでやれ」

 リベリオがスパーダの視線の先を追う。探れと言わず剥げと言ったハルの言葉は的を得ている分言い返しも出来ず、賊になった気分でスパーダの胴から背広を剥いだ。

 華やかなチーフが飾られていた胸ポケットにも、小物を収容できる内ポケットにも何も入っていない。だが、肩甲骨のあたり、布地と裏地の間に薄い何かが挟まっている。上等で厚い生地は表面に異物のフォルムを出さず、内側から触れなければ分からない。


 ナイフで裂いた裏地の内側に、手紙が縫い付けてあった。

「マメさは商人の美徳だが……」

「……どこにも、置いておけなかったのでしょう」

 裏地の縫い目を解き、手紙を縫い付け、また元通りに戻す手間を掛ける程度には。

「やり取りの書面を燃やせぬのも、商人の性だな」

 その性が手元に残してしまったもの。飾りのない封筒の宛名はスパーダ、差出人は書かれていない。封筒の中には便箋が一枚、便箋に余分な文章は書かれておらず、ただ待ち合わせであろう日時と場所だけが書かれていた。

 過去の手紙だ。日時はもう一年前、そして場所は。

「……ハル様」

「おう」

 好奇心の旺盛な商人らしからず、リベリオの手にある手紙をハルは覗き込もうとしなかった。

 手紙を懐にしまい、リベリオは深く深く頭を下げた。

「これまでのご助力に感謝致します」

「行くのか」

「はい。……これを、城壁の修繕にあてて頂けますか」

 ジュスティーナが受け取らなかったブラックダイヤの指輪を、革袋ごとハルに渡す。

「換金がちと手間だが、まあ足りるだろう」

 中身の確認もせず請け負った皇太子殿下は、存外面倒見が良いのかもしれなかった。首を捩じ込み、世話を押し売りする隣国の商人にどれだけ助けられたか分からない。

 けれど、ここでお別れだ。エリデやジュスティーナに挨拶のひとつも出来ないことを申し訳なく思う。

「……もし」

「はい」

「もし、全てを投げ出し世を儚みたくなったならば、我が国の門を叩け。お前と嫁御の面倒くらいはみてやろう」

 『その過程で見る物を、君は理解出来ないかもしれない』と予見した第一王子殿下と同じく、どこまでを読んでいたのやも分からない海色の目。

 彼等の目が傍観を選んでくれたことに感謝して、リベリオはもう一度頭を下げた。




「あらまあ、リベリオ坊っちゃん。今日はお一人でいらっしゃいますか?」

 フェルリータから馬を北に走らせること十日、湖水の村は新緑に覆われ夏の盛りを迎えていた。空の青、険しい山肌の灰色、丘の緑、陽の光に煌めく湖はとてつもなく美しかった。

 前回訪れたのは春、ステラとリリアナと共に結婚の報告に訪れたときだ。王都に勤め前回は三年ぶりの帰還であったリベリオの、比較的間をあけない一人での訪れに村長の妻は驚き、けれど快く迎えてくれた。

「母上は屋敷にいらっしゃるだろうか」

「ええ、いらっしゃいますよ」

 馬を預け、リベリオは生家に足を向けた。錆びついたアプローチ、玄関の扉を開けば夏らしく籠った熱気が顔に掛かる。リベリオを出迎えたのは、母の世話をしに通ってくれている村の女性だ。

「リベリオ様、お帰りなさいませ」

「母上は、いつもの所に?」

「はい、応接室でございます」

「少しの時間、屋敷を出てくれ。茶も不要だ」

 穏やかなローレの未子らしからぬ口調は、反論も疑問も許さないものだった。それに怯みながらもリベリオに一礼して、女性は玄関から出て行った。


「戻りました、母上」

 比較的日当たりの良い応接室の、窓際のテーブルに母は居た。すんなりとした鼻梁、長い睫毛、鳶色の瞳、夜空色の髪、常と変わらない横顔にリベリオは声を掛けた。

「……先日は、結婚式に来て下さって、ありがとうございました」

 美しい横顔が振り向いて、リベリオを見るでもなく首を傾げた。

「結婚式……そうなのね?」

「ええ」

 自らが産んだ子供の結婚式を訪れたことを、果たして母は認識しているのだろうか。あの場が結婚式であったことは分かっても、子供の結婚式だとは認識していないやもしれない。認識したとて何が、という話でもあったが。

「式の後です。王都から火急の報せが届き、グレゴリオ伯父上とマリネラ妃が捕縛、投獄されました」

「ほばく」

「……捕まった、という意味です」

「グレゴリオ兄様が、わるいことをなさったのね?」

 ぐう、とリベリオの喉で嫌な音が鳴った。

「わるいことをなさったのなら、つぐなわなければいけないわ」

 握りしめた手に、馴染んだ革の手袋は着けていない。内側で爪が爆ぜた時に使い物にならなくなってしまった。爪が剥げ、治りかけた傷口から再度血が滲み出すのが分かった。


「……母上、これを見て頂けますか」

 リベリオが胸元から取り出したのは、魔石の耳飾り。煌めく紫紺の雫型を、革袋から出してテーブルに乗せた。

 『これはなあに?』『きれいな耳飾りね』

 そんな常変わらない、的を得ない反応をリベリオは予想していた。否、期待していた。けれど


「あなたが拾って来てくれたのね、ありがとう」


 ルクレツィアは微笑み、リベリオに礼を言った。

 無くした耳飾りが拾われて戻って来たことを無邪気に喜ぶ様は朗らかで、少女のように可憐ですらあった。

「……母上」

「どこで落としたのかしら。でも、片方しかないわ、もう片方はどこにあるのかしら」

「母上‼︎」

 血を吐くようなリベリオの叫びにも、ルクレツィアは目を瞬かせるだけだった。リベリオが何故叫んだのかも、叫ばれたのが自分であるのかも分からずに。

「……これは、魔石です。母上……」

「ませき」

 部屋の温度を整え、ドレスを洗い、茶を淹れる。自らの生活を整えるために日々村の人々が使ってくれているものを、ルクレツィアは知らない。よってルクレツィアは魔石を『初めて聞くマセキという宝石』だと認識した。

 テーブルに手を突き項垂れるリベリオを慰めも顧みもせず、ルクレツィアが立ち上がる。逃げるでもなくゆったりとした足取りで壁際のチェストの上、小箱に手を伸ばした。全体的に色褪せた屋敷の中、その小箱は比較的新しい色をしている。

 蓋があり小さな引き出しが付いた、ステラが持っている宝石箱のような、そう気づいた瞬間リベリオの全身から血の気が引いた。血の気などという生優しいものではない、手足は凍りながらも震えが止まらず、誰彼構わず叫び出したくなるような恐怖が全身に纏わり付いた。


「ほら、綺麗でしょう?」


 白く滑らかな手に乗せてルクレツィアが見せてくれたもの。雫型に削られシンプルな鎖で首飾りに仕立てられた、灰色の魔石。

 反射的にリベリオはルクレツィアを引き倒し、その上に覆い被さっていた。ジュスティーナを庇ったときとは異なる、真逆の意図を持って。

「……?」

 リベリオと同じ色の髪が、夜空のように絨毯の上に広がった。

「……母上、それは魔石です」

「着けていたら色が変わるの、素敵でしょう?」

 母の手から拾い上げた魔石は、半分ほどが紫紺に染まっていた。

「……魔石の爆発に巻き込まれ、侍女が亡くなり、グレゴリオ伯父上とマリネラ妃が捕まりました」

「ええ、わるいことをしたら、つぐなわなければいけないわ」

 先程と同じ事実をリベリオは告げ、ルクレツィアも同じ反応を返した。先程と違うのは、リベリオの手に染まりかけの魔石があることだ。

 白く細い母の首、肌に触れているうちに染まったのだろう魔石。夜空色の紫紺は美しく、滲む毒のように禍々しかった。


「悪いことを、したら」

 償わなければいけない。身内の罪は身内で片付ける、それが北方騎士長である己に課せられた仕事ではなかったろうか。今、床に引き倒している人の身内はもう、自分と妹しか居ないのに。

「……村を出なければ良かった」

「?」

「ずっとここで、あなたと朽ちれば良かった」

 妹だけをローレに預けて、母を見守っていれば良かった。欲を出さず何者にもなろうとせず、そうすれば誰も害する事なく、ただ朽ちていけたのに。

 リベリオはそれが嫌だった。嫌だったからリリアナと共にこの村から、母から離れた。離れてしまったのだ。

「これが、俺の責だった、のに」

 ルクレツィアの頬に、ぽたぽたと雫が落ちた。あたたかく、とめどなく。

 自らと同じ鳶色の目から溢れるもの、ルクレツィアは一度だけそれを見たことがあった。白い、楽器以外を持つことのなかった指がリベリオの頬に触れる。


「どうして、また、泣くのですか?……ゴッフリート、父上」


「ははうえ、俺は、あなたの子です」


 首飾りの鎖は、細い首に誂えたような長さで回った。

 さようなら、と呟いたのはどちらの声だったろう。ああ、母と自分は声が少し似ていたのだと、ぼんやりと思った。

 白い首が赤くなり、青くなり、もがく指が首を掻きむしり、そして。


「――出来ない」


 出来なかった。握りしめていた鎖から指が外れ、ルクレツィアが激しく咳き込むのを眺めながら、リベリオは自らに絶望した。

「どうして」

 出来ないのだ。指が震える、あやまたず標的を射抜く指がどうしても動いてくれない。声にならない叫びが喉から落ちて、古びた絨毯を掻き毟りながら泣き叫んだ。どうして、どうして。どうして出来ないのだ、自分で自分の責を拭うことすら出来ないのか。どうして。

 左手の薬指に着けていた指輪が、目の端に映る。

 王都の百貨店で作った指輪にはローレの紋が刻まれている。これを作ってくれた人、探して来ますと言ってくれた人、神の前で生涯を誓った人。


 互いの在り方に悖らぬよう、それだけの誓いが、こんなにも難しい。


 在り方すら定まっていないのだと、フェルリータで知った己の至らなさに笑いが漏れた。目が開けたかと喜べば、閉じていた間のツケをこうして払わされている。

 涙を袖口で拭い、リベリオは手に持っていた首飾りをテーブルに乗ったままの耳飾りと一緒に革袋に仕舞った。小箱の中には、他に何も入っていなかった。

 何をされかけたのかも分からないまま床に座り込んでいるルクレツィアに声を掛ける。白い首を回る赤い線が、自分が何をしたのかをリベリオに突きつけてくる。


「……ローレに行きましょう、母上。ゴッフリートお祖父様と、リリアナが、待っています」

「ローレ?」

「ええ」

 もうここには置いておけない。グレゴリオは王都へ移送されているが、ローレにはゴッフリートとリリアナが残っているはずだ。

「また外商を呼んでほしいわ。お出掛けするのですもの」

 ルクレツィアの顔が輝く。先ほど出てもらった女性を呼び戻し、ルクレツィアの荷をまとめてもらおうとしたリベリオの足が止まる。

「……外商」

 リベリオの結婚式然り母のドレスはいつだって誰かから買い与えられるもので、装飾品も自分で買ったことはない筈だ。母は金銭を持たず、この屋敷から出て自分で買い物をしたことがない。ルクレツィアにとっての買い物とは、外商が屋敷を訪れ、ルクレツィアではない誰かが支払うものだった。

 スパーダの持っていた手紙に書いてあった場所は、湖水の村の屋敷。湖水の村に屋敷と呼べる建物は一つしか存在しない。そして外商とは、誰かの紹介がなければ貴族の屋敷には入れない。

「……母上、この首飾りは、誰が、購入したものですか……?」

 問う声が、どうしようもなく震えた。震えるリベリオを気遣うこともなく、ルクレツィアは答えた。無邪気に、贈り物を自慢する子供のように。


「商人を連れて遊びに来てくれたの。贈ってくださったのよ、気が華やぐだろう、って。ユリウス兄様が――」


次は明日更新です。

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