7-15:スターダスト③
「義母上!」
火とガラスが混ざり合って降り注ぐ。
リベリオは反射的にジュスティーナを引き倒し、その上に覆い被さった。背中側に張った水の結界に火と破片が阻まれ耳障りな音を立て、跳ね起きれば周囲は阿鼻叫喚と言うに相応しい有様だった。
舞台と観客席には炎が上がり、恐慌状態になった人々が我先に逃げようと通路で揉み合っている。速やかに逃げることすら降り注いだガラスと燃える客席のせいでままならない。煙で倒れる人間が出る方が早い。
「ハル様! ご無事ですか!」
「あのクソ野郎!!」
リベリオと同じように舞台上の主催者を引き倒して結界を張ったのだろう。身を起こしたハルが皇太子殿下に相応しくない悪態を付きながら胸元から何かを握り込み、新年の参賀のように舞台と観客席に投げ撒いた。
空中で薄青く煌めく飛礫はガラスではない。使用を禁止されたこの街で使ってはならぬもの、すなわち水の魔石は大量の水を舞台上方から撒き散らした。
「追え‼︎」
何を、とは聞き返さない。この状況を作り出した人間は、すでにこの会場に居ない。炎が鎮火されていくのを一見だにせず、リベリオは観客席の背を蹴ってロビーと正面玄関を抜けた。
時刻はすでに日付が変わろうとしている。ボヤを聞きつけた周囲の人間が人混みを形成するも、その中にスパーダの姿は見当たらない。スパーダの目的は逃げおおせることであって、放火ではないのだ。雑踏と夜の闇の中、どちらに行ったとも分からない人間一人を捕まえる難しさに喉が競り上がる。まだだ。まだ、逃していない。競売会場からフェルリータの中央広場へ駆けた。
日中はフェルリータ内外から観光客が訪れる広場は、人気なく静まり返っていた。エリデ達と登った最も高い鐘楼は閉められ、入場口は錠で閉ざされている。
「失礼」
一人で謝罪して扉ごと叩き切った。
階段が危ないから、とエリデが言った内部は暗闇に満たされている。申し訳程度と妹に称される火の魔法で自分の周囲に灯りを灯す。
昼のように中にいる人数を確認する必要はない。上がる最中に誰かと衝突するのを避けて減速する必要もない。肩にあるケースを掛け直し、足踏みを二度。ふ、と息を吐いてリベリオは全力で螺旋階段を上がり始めた。
下見の時よりもさらに早く、遠心力を推進力に変えて五段飛ばしに駆け上がる。フェルリータで最も高い鐘楼、六十メートル、三百段をリベリオは五分足らずで駆け上がった。
切れた息を整えながらバルコニーの縁に寄った。
青銅の鐘の眼下、三百六十度が見渡せる夜景もまた美しかったが、楽しむような余裕はない。自分の望遠鏡を取り出して外周の城壁を確認する。
外周にある東西南北四つの城門は固く閉ざされている。そして、明日の朝は開かないだろう。城門を閉ざし内部から出入りを封じて、放火犯の捜索が本格的に始まる。スパーダは顔も名前も競売で周知されている商人だ、この街の内部に潜伏し続けることは難しい。であれば、今晩のうちに城壁を越えて外へ逃げようとするはずだ。
「中央広場から城門までは、三キロと少し……」
尋ねてもいない情報を教えてくれた隣国の皇太子殿下が腹立たしい。
競売が行われた会場からフェルリータの外周までは大人が全力で走れば三十分、リベリオがここに辿りつくまでに十分あまり。予測が正しければ、もう二十分ほどでスパーダは城壁に姿を現すだろう。
城門は閉ざされているが、城門とは少し離れた場所に外壁の上に登る長い梯子がくっ付いている。上がってしまえば、あとは縄でも垂らして外側に降りればいい。リベリオが望遠鏡で見る限り外壁の上に見張りはおらず、良くも悪くも大らかな警備体制が完全に裏目に出ていた。
単眼鏡を右目に固定し、ケースから弓を組み立てる。四方を隈なく確認して、リベリオは愕然とした。
「――見えない」
夜闇に包まれた外壁に王都のような光源は無く、ここを登って来るだろう梯子の一番上に、小さな松明があるだけだ。
高さ六十メートルの鐘楼から城壁の上までの間に遮蔽物は無い。だが、標的を正確に狙うための光源が、絶対的に足りない。
整えた筈の呼吸が不規則に乱れ始め、夏にも関わらず冷たい汗が背を伝った。
三キロの距離を届かせることは可能だ。だが、相手の『どこか』は狙えない。頭に当たってしまえば胴に当たってしまえば、生きた証拠が、必要な手がかりが失われる。
だが、撃たなければ、一度逃がした獲物はもう二度と捕まらない。
矢を番えて待つ二十分は長く、けれど考えをまとめるには余りに短かった。
東の梯子で小さな影が動く。小さな幸運、大きな不運、そしてまた小さな幸運が巡る。スパーダが身に付けていた鮮やかな吹き流しのスカーフは、この距離でもリベリオに個体を判別させた。
「……っ!」
どうする、どうすればいい、どうすれば生かしたまま捕らえることが出来る。
「……彼女が、いれば」
ぽつりと、架空の話が声になって零れた。
ステラがいれば。そうであれば彼女が見て、星の目を介してリベリオが撃てばいい。また彼女が怯えたとしても、そうすれば容易に目立たずにスパーダを捕まえられて、それで、それから。
「――違う!!」
頭を振り、リベリオは歯を食い縛った。目が熱い。それでは何も変わらない、身近な誰かに頼り、何も自分で決めてこなかった今までと、何が違うのだ。
「もっと焦れ。目を開け……!」
大事な人達に何かを返せる人間に、彼女に並んで立てる人間になりたいのだ。
必要なのは、覚悟ひとつ。
機会は一度きり、梯子の一番上にある小さな松明まで登り着いた瞬間。
弓に込める魔力を上げる。収束ではなく、拡散の方向に変えて。ローレの誇る最高の魔弓、嵌め込まれている数十もの魔石が輝き、赤、青、緑、全ての光が混ざって白に変わり、大気を巻き込んで爆ぜる音を立てた。
白く白く輝く弦を限界まで引いて、革の手袋の中、爪の何枚かが爆ぜた。狙うのはスパーダではない、その足元、高く堅牢なフェルリータの城壁。
リベリオが込められる最大出力をもって、矢は撃ち放たれた。
三キロという距離をものともせず、雷光のような光と金切音が夜空を裂いて。
夜空を切り裂く雷を見上げ、異邦の皇太子は
「あれが欲しい」
と、呟いた。
眠らない街に住まう人々もまた夜空を見上げた。
「……流れ星?」
雷が駆けた夜空に、星屑の虹が残る。
虹が消えるを待たず、凄まじい破砕音がフェルリータに響き渡った。