7-14:スターダスト②
「この風景画はフェルリータが誇る巨匠ディエゴ・ホセがオルディネの麦畑を描いたものにございます。この機会に是非お求め下さいませ」
少しばかり音量の足りない声が会場に響く。主催者ではなく、出品者の声だ。
名は体を表すとは言ったもので、スパーダは手足の長い長身の男だった。白髪の混ざった髪を後ろに撫で付け、仕立ての良いグレーのスーツに細身の体を包んでいる。首に巻いたスカーフはヴィーテ産だろうか、金箔の混ざった吹き流しの柄が鮮やかだ。
「出来の良さもさることながら、取り扱いやすい大きさの絵画にございます!」
声を張り上げたのは主催者だ。出品された風景画はそう大きくなく片手で持ち運べそうだが、価値の説明としては弱いのではとリベリオは首を傾げた。
「……画家が高齢であることは説明しないのですか?」
「知っている者だけが後々の値打ちを判断出来るという代物だな」
「はい。今の時点では可能性を買うにすぎませんので」
可能性を買う。また知らない概念が出てきてしまった。フェルリータに来てから知らなかった価値観ばかりが増える。
「それでは最低落札価格は金貨五十枚から……!」
ジュスティーナの予想通りの価格から競りは始まった。賑やかな会場の中で、このボックス席だけが緊張を帯びる。
「五十五枚!」
先ほどと同じくよく響くハルの声に、主催者が驚いた顔を見せた。帝国の商人が食い付くような品ではないと思ったのだろう、周囲からもざわめきが上がる。
「ありがとうございます! 五十五、六十二、七十!」
分かりやすく高騰が見込める品でない分、競争相手が少ないのは少しばかりの幸運だった。わざわざ突っかかるような愚かな商人は、この競売には参加していない。
「百五、百十、……」
「百二十!」
「百二十! 他にいらっしゃいませんか⁉︎ ……では、金貨百二十枚で落札です!」
落札の拍手が上がり、先ほどと同じように舞台に招かれたハルがスパーダと握手を交わす。
「帝国からお越しと聞いております、今回は何故これをお求めに?」
「自宅に飾りたい。商いではなく家族への手土産だな」
「……商人冥利に尽きる言葉を頂きました。後程お渡しするのを楽しみにしております」
複数個を落札してはいけないという決まりはない。問題なく二つ目の番号札を受け取って、ハルは戻ってきた。残る出品は五つ、閉会の後に壇上で順に品物と金貨の交換が行われる。
ジュスティーナが金貨を百二十枚数えて準備をする。ハルが個人的に競り落とした手記分は、すでにどこからか金貨が届けられていた。
「お手数をお掛けしました」
「おう、手数料はツケておいてやろう。……奴からポルポラは魔石宝飾を競り落としたわけだが、お前はあの顔に見覚えがあるか?」
リベリオは記憶を確認してから答えた。
「いいえ。元より私は、ローレで公的な場に出たことがほとんどありませんので」
ポルポラと面識があったのは、伯父のグレゴリオの屋敷に出入りしていたからだ。スパーダがローレに行商に来ていたかは現時点では定かでないが、リベリオはグレゴリオの屋敷との訓練場を往復する生活をしていた。その二箇所以外で商人に会った記憶は無い。
「となると、ローレ公も会ったことが無さそうだ。ローレ公の子はマリネラ王妃殿下お一人と聞いたが、次の代はどうするのだ?」
ヴィーテ公爵が四人の妻を持つように妻子を多く持ちたがる貴族が多い中、グレゴリオは妻も子も一人ずつだ。そのたった一人が公爵夫人と王妃になっているのだから剛運というべきか。
「今はもう一人の伯父、ユリウス伯父上が当主代理を務めて下さっています。次の代は……考えられるような状態ではありませんが、ユリウス伯父上には男子が二人と女子が一人居たと記憶しています」
「グレゴリオ、ユリウス、……お前たちの母がルクレツィアだったか」
「ええ、伯父達とは二十ほど歳が離れておりますが」
伯父二人にとって、ルクレツィアは娘に近い年齢だ。
「国王陛下の御年齢に合わせて先代ローレ公は娘を強く望んだのだろうが……」
結果は、嫁がせることが恥とまで言われるような有様だった。容姿だけはローレ公爵家の特色を継いだ、美しい末娘。待望の娘を自らで切り捨て、ルクレツィアと殆ど歳の変わらないマリネラを王太子に嫁がせたゴッフリートの苦悩はいかばかりだったろう。
リベリオがグレゴリオ、ユリウス、ルクレツィアの背景を説明する間、口を挟まないジュスティーナは紙のような顔色をしていた。エリデと同じようにリベリオを問い詰めたい部分もあるだろうにと申し訳なく思う。
「ゴッフリート殿が暗愚にもお前達の母を王妃に推していれば、と考えたことはあるか?」
明らかに面白がるハルの問いに、リベリオは首を振った。
「そうであれば私と妹は産まれておりません。母に王妃が務まったとも、思いません」
王家に嫁ぐという事実くらいなら、母は理解できたかもしれない。ただ、マリネラ妃やフルヴィア妃のように王と国を支え並び立つ王妃にはならなかっただろう。
「それはそうであろうなあ。まあ、我が国には美しいだけの妃も愛妾も掃いて捨てるほど居るわけだが」
イズディハール皇太子の父親、ハルワーヴ帝国皇帝には皇妃を含め十数人からの妃が存在する。帝国には妃が集められた後宮が存在するのだと、リベリオは聞いたことがあった。
「帝国の皇太子殿下は皇帝陛下に倣われないのですか?」
若き皇太子の妃は、カルダノ王国の長姫グローリアの一人だけだ。
「倣うからこそ増やさぬのだ、あんなものは面倒臭くて敵わん。……それより、ユリウスが現当主、その子息らを次代とするならば、お前と妹にも次期ローレ公爵の目があるのではないか?」
揶揄と嫌がらせが混じった海色の目を正面から見返し、リベリオは一笑に伏した。
「器に御座いません」
「以上で本日の競売の全目録を終了致します。皆様お楽しみ頂けましたでしょうか? 盛大な催しになりましたことを心より御礼申し上げます」
人生で一番長い一時間の後に、主催者が閉会を告げる。閉会の拍手は盛大なもので、参加した誰もが公明正大な競売を楽しんでいた。
「皆様、お足元にお気をつけてお帰り下さいませ。落札者の方々は、舞台近くまでお集まり下さい」
客席がぞろぞろと退場を始めるのを、ボックス席から確認する。
「さて、行くとしよう。……もう一度手を握ってやれば良いか?」
「離されないまま、お願い致します」
「手を握られて離されなかったことはあるが、逆は初めてだなあ」
ハルが握手の手を差し出し、リベリオが捕縛という段取りが決まる。
ロビーを降りて舞台近くに集まると、一番手であった彫刻が舞台上に用意されていた。主催者と会計係が番号札と金貨を確認して頷く。持ち帰れる大きさでない品物は、店や倉庫など希望の場所に届けてくれるらしい。ハルが競り落としたのは手記本と小振りの絵画だ、そのまま持ち帰るのに支障はない。
「五番『効率王の手記』の方」
実物を確認し、ハルが金貨を渡す。出品者も再度壇上に姿を現し、ハルと握手を交わした。帝国の皇太子殿下の握手が大盤振る舞いされている。
「よき取引を、ありがとうございました」
油紙で丁寧に梱包された手記を受け取って、ハルはご機嫌だ。
「胎の子に読み聞かせてやるとしよう」
それは教育に悪そうだ。
進行と同様に受け渡しも手際よく進む。
十五番目の絵画が壇上に用意され、出品者であるスパーダが姿を現した。
このとき、出品物が法外な品物ではなく予算内で競り落とせたことが少しばかりの幸運であったとするならば、大きな不運はジュスティーナと立つリベリオの顔をスパーダが知っていたことだ。
優秀な商人は人の顔を忘れず、皆まで説明されずとも理由を察することが出来る。
ポルポラが、そうであったように。
「……スパーダ殿? どうかなさいましたか?」
顔を青ざめさせ硬直したスパーダに、主催者が声を掛ける。油の足りない人形のように首を動かしたスパーダが、主催者とハルの顔を見比べる。
次の瞬間、競り落とされた絵画が鷲掴まれ、数十もの燭台の灯る豪華なシャンデリアに投げつけられた。