7-13:スターダスト①
「それでは早速参りましょう! 出品目録一番、帝国の巨匠メフメト作の彫刻です!」
舞台から離れたボックス席の中、身を乗り出さんばかりに前のめりになっていたハルがソファから転げ落ちた。
「何が悲しくて遠路はるばるフェルリータまで来て、我が国の彫刻を見ねばならんのだ」
「帝国の芸術品はフェルリータでも人気が高うございますので……」
ハルの隣に座るジュスティーナが申し訳なさそうに説明する。王国の絵画や細工が帝国で人気であるように、王国では帝国の絹織物や彫刻の人気が高い。王国の商人が参加者の大半を占める中、帝国の彫刻は一番手に相応しい出品物だ。
「出品者からの説明ののち、最低落札価格は金貨五百枚にて入札を開始致します!」
ポルポラが語った通り、フェルリータでも指折りの競売は透明性が高いものだった。
出品者が主催者の隣に並び、彫刻の来歴を説明する。帝国の巨匠とその作品がいかに素晴らしいかを語る出品者を、ハルはつまらなさそうに眺めている。
「……目的の出物は何番だ?」
「二十品中、十五番です」
目録を確認するまでもなくリベリオは答えた。
「それでは入札を開始致します! 金貨五百枚から!」
会場のそこかしこから手と声が上がり、吊り上がる値を主催者が逃さず拾いあげる。
「五百十、五百二十、五百三十五、……さあさあ、滅多にない出物にございます! この機会に是非お求め下さいませ……!」
倍まで上がったところで入札者は二人にまで減り、ジリジリとした駆け引きののち千二百枚で落札が決まった。
「おめでとうございます、どうぞ壇上へ」
落札者が出品者と握手を交わし、主催者から番号札を受け取って舞台を降りた。
「競り落とした商品は競売が全て終了しお客様達が帰られた後に、壇上で受け渡しだとポルポラ様に聞いております」
「ありがとうございます、義母上。ひと競りあたりおよそ十五分、前半が二時間半というところでしょうか」
「ええ、間に半刻の休憩を挟みます。今が十九時ですので、後半の開始が二十二時ですわね。後で食事を運んでもらいましょう」
ボックス席は舞台から遠いが、受けられるサービスが多い。左右との遮蔽性も高く、話し合いにも都合が良かった。
「受付で頂いた目録には『オルディネの風景画』とありますが、これはどのようなものですか?」
十五番目の欄を指先でなぞる。芸術に疎いリベリオにジュスティーナは快く説明してくれた。
舞台では二番目の競りが早くも始まっている。
「フェルリータと東のパレルモの間に、オルディネという土地があります。小麦畑が広がる風光明媚な土地で、多くの画家が題材に選んでいます。画家名はディエゴ・ホセ、フェルリータ出身の画家です」
「高いか?」
ハルの元も子もない質問には、少し考えてからジュスティーナは答えた。
「……先ほどの彫刻のように、すでに巨匠という画家ではありません。ただ、今では相当な老齢と聞いておりますので」
「亡くなった後の高騰を見込んで買えと」
「恐らくは、ですが……」
ジュスティーナが頷く。装飾品を主に取り扱っているミネルヴィーノ商会だが、絵画に関しても仲介を行える程度の知識はあった。競売の目録から予想するに、すでに高い品物と、これから高くなる品物が交互に出品されている。スパーダの出品物は後者だ。
「よし分かった。リベリオ、金を寄こせ」
「……⁉︎」
子供が小遣いをせがむような無邪気な笑顔で手のひらを向けられ、リベリオは咄嗟に反応できなかった。見た目だけはいつもの顔のまま固まっているリベリオに、ハルが唇を尖らせる。
「まさか俺に金を出させる気か? 競り落とすことはしてやるが、人の財布をアテにされては困るぞ?」
帝国の皇太子殿下に金銭をせびられるとは予想しかねました、と口には出さなかったが眉間は揉んだ。
「……失礼を。資金はこれを。義母上、これで足りるか見て頂けますか」
懐から小さな革袋を取り出し、ジュスティーナに渡した。王城から出立する際にマリアーノ第一王子殿下から渡されたものだ。ひと月あまりしか経っていない筈なのに、随分と前のことのように感じる。
「拝見致します」
ジュスティーナはソファの前のローテーブルにハンカチを広げ、革袋の中身をひとつひとつ並べていく。ルビーが一つ、サファイアが二つ、エメラルドにインペリアルトパーズ、無造作に入れられていた最高級の宝石達もさることながら、最後に出てきた指輪にジュスティーナは感嘆の溜息を吐いた。
「……中心はブラックダイヤ、周囲を飾るのは小粒ですがイエローダイヤですわね。ああ、なんと美しいのでしょう、縁起も良くて。他ではなく我が商会で買い取らせて頂きたいのですが、その、……これほどのものを手放されて良いのですか?」
「第一王子殿下は物に頓着のない御方ですので」
革袋に詰めてリベリオに渡すくらいだ。宝飾室に登録されている類ではなく、どこぞからの私的な贈り物だろう。
「ハハハ、義兄殿の餞別で買い物か。それはなかなか面白いなあ」
第一王子殿下、義兄殿。
上げそうになった悲鳴を強靭な理性で押し留め、ジュスティーナの喉で奇妙な音が鳴った。
「? 大丈夫ですか、義母上」
「……失礼致しました。開始価格は金貨五十枚くらいでしょうか、落札は……百五十枚には届かないと思いますので宝石だけでお釣りが来るかと。店に知らせを出して、時間までに用意致します」
宝石だけをハンカチに残し、ジュスティーナは指輪を革袋に仕舞ってリベリオに返した。とてもではないが、恐ろしくて扱えない。仕入れ先の説明が出来ない物を、誰にどう売ることも出来ない。手に余るものに欲をかかないジュスティーナは有能な商会長だった。
「続きまして、出品目録九番は『効率王の手記』。王城で作られた複写本はわずか十冊、そのうちの一冊に御座います。最低落札価格は金貨二百枚から……!」
前半の終わり間際、ハルが目を輝かせた。壇上に立つ出品者は、これが王城図書館の印章付きであることや、効率王の残した私的な資料であることを辿々しく説明している。学者であった持ち主が亡くなり遺族によって売りに出されたというのが、良い話なのか世知辛い話なのかはリベリオには判断しづらいが、ままある話ではあるのだろう。
「よし、買う」
買おうでも値段を考えるでもない宣言だった。
「いくつ競り落としても構わんのだろう?」
「競売が始まったら、手を挙げて希望価格を唱えて下さいませ。主催者はハル様のお顔を覚えておりますので、喜ぶかと思います」
「分かった」
「では、金貨二百枚から! 二百十、二百十五、二百二十九、……」
「二百四十!」
賑やかな会場にも、ハルの声はよく響いた。快活でありながらも甘い、耳に残る声だ。声の主を確認した主催者が、満面の笑顔になった。
「ありがとうございます! さあ、二百四十頂きました!」
今回もまた倍まで上がったところで二人になり、王国の商人と帝国の商人の一騎打ちの末に金貨四百六十枚で帝国の商人ことハルが落札した。目的の風景画よりも高価だ。
「おめでとうございます、もしよろしければ壇上へ」
競売とは世知辛い商いでありながら、楽しいショーでもある。ボックス席からロビーの階段を降りて壇上に上がり、出品者と握手を交わすハルはとにかく映えた。帝国の織物を身にまとった華やかな商人の登壇に会場が湧く。主催者すらご満悦という表情を隠しもせず、拍手をしていた。
「……本番は標的と握手をするわけだ」
見せ物の役割を全うし番号札を受け取って、ハルはボックス席に戻ってきた。
「壇上はどのような具合ですか」
「暑い」
「……?」
手で仰ぐハルの首元には、汗が滲んでいる。
「フェルリータには魔石式の空調がありませんので……あと、舞台上はあれが」
ジュスティーナが指した先、舞台の天井には豪奢なシャンデリアがあった。
「百年ほど前にヴィーテで特注したというシャンデリアです。魔石式ではありませんので、使う時は一度下ろして火を一つ一つ灯してからまた吊り上げます」
「前時代的な代物だが、風情がある。夏でなければ」
安定した魔石の光源とは異なる、不規則な蝋燭のゆらめき。繊細に組み合わされたガラスが瞬く様は美しかった。前時代と言いながらも趣を認めるハルにジュスティーナの口元が綻ぶ。
「次は歌劇鑑賞にお越し下さいませ、わたくしが席をお取りします。奥方様も、ご一緒に」
「それは良いなあ。是非とも伺おう、リベリオとその嫁御を供にな」
娘が勝手に供にされているのは構わないのだろうか。何ならその御仁は娘さんを帝国に連れて行こうとしておりますが、とリベリオは思ったが勿論口には出さなかった。
リベリオの苦悩と緊張を置き去りに競売は進む。二時間半は瞬く間に過ぎ、途中の休憩では主催者から軽食が振る舞われ、ミネルヴィーノ商会から必要な金貨が届けられた。
「それでは、出品目録十五番『オルディネの風景画』でございます」