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7-9:共有あるいは教育


「……カルミナティ女史」

 ポルポラが床に転がり落ちたとき反射的に立ち上がったのだろう、直立不動で固まっているエリデにリベリオは声を掛けた。

 明るく豊かな表情を見せていたエリデの顔は引き攣って青褪めている。ハルがエリデのカップに紅茶を注ぎ足し、ローテーブルに置いた。

「この俺が茶を足してやったのだ、もう一度座れ、そして飲め」

 考える力は失われていたが耳は聞こえていたのだろう。命じられるままエリデはのろのろとソファに座り、カップの縁に口を付けた。


「……あの」

「ああ」

「あの耳飾り、魔石なの……?」

「……カルミナティ女史はどこまで魔石のことを知っているだろうか。割れないことや、ルーペで覗いたことは?」

「割れないことは知っています。ヴィーテの工房では大きな魔石を使ってた、から……」

 ヴィーテのガラス工房の融解炉は魔石式だ。業務用の大きな魔石を専門店に依頼し、定期的に交換してもらっていた。

「ルーペで覗いたことは無い、かな……」

「魔石の内側は混ざりものや塵のない完全な透明だ。大きさに関わらず」

「知らなかった……」

「ちなみにエリデ、ガラス工房で完全に透明なガラスの耳飾りを作ることはできるのか?」

 ハルの疑問にエリデは考えながら答えた。

「あの耳飾りみたいな雫型のガラスよね? 石膏で型を作って、流し込んで……ううん、少なくとも、うちでは無理よ。気泡か、型から外した時の跡が絶対に残るわ」

「それは幸いだ。人の手では作れぬものが宝石の形をして目の前に現れたのだ、極上の宝石であるとポルポラの目が眩んだのも無理はない。恐らくはこの世で初めての出物だ、腕利きの商人こそ引っ掛かり、相応の所へ持ち込むであろうな」

「ハル様でも?」

「訊いてくれるな」

 引っ掛かる、とハルは苦笑しながらも暗に答えた。


「……ねえ、ステラは何でリベリオ様と一緒じゃないの?」

 フェルリータを訪れてすぐと全く同じ問いを、エリデはもう一度問う。けれど、事情を知らずにした問いと今の問いは全く異なり、リベリオに説明を強く求めるものだった。

「だって、ローレの公爵様と王妃様が国王様の暗殺容疑で捕まったんでしょう? まさかステラも檻に入ってたりしないわよね? ねえ、きちんと答えてよ‼︎」

 リベリオに対しての一応の丁寧語は消え去り、胸ぐらを掴み上げそうな剣幕でエリデは詰め寄った。

「……」

 どうするべきかをリベリオは迷い、ハルの顔を伺おうとして踏み止まった。誰かの顔を、誰かの是非を伺って決めることではなく、自らで決めるべきことだった。

「……全ては話せないが、どうか落ち着いて聞いて欲しい」

 迷い、巻き込む躊躇いはあれど情報を共有することをリベリオは選んだ。もう一度ソファに座るように促し、エリデの正面に座る。ハルはリベリオの隣に座った。


「結論から言おう。ステラは、これの製作者を探しにミオバニアを回っている」

「…………え?」

 先程のポルポラのようにエリデが呆けた。限界まで見開かれた水色の目は零れ落ちそうだ。

「なん、何でステラが? ステラ、山登りなんて出来ないでしょ……⁉︎」

 エリデはステラが生粋のフェルリータ育ちであることを知っている。商家の出であるステラに、山登りなど出来ないことも。

「ステラ個人に関わることを、俺の口からは言えない。ただ、カルミナティ女史はステラに眼鏡を作ってくれたと聞いている。ステラが探しに行くと言い出した理由は、それに関係している」

「眼鏡……?」

 エリデが訝しげな顔をした。ステラは酷い遠視で随分と厚いレンズを作ったが、レンズそのものはヴィーテでもよく作った普通のレンズだ。それがどうミオバニアと関係するのか。エリデの疑問に答える事なく、リベリオは続ける。


「製作者と流通者を確保し裁判でローレ家の無実が証明出来なければ、ローレ家は国王暗殺の責で連座になる」

「れんざって何……」

「……罪の責任を取らせ、一族全員を処刑することだ」

 エリデが息を呑んだ。口元を抑えた手は、先程耳飾りを外そうとする時よりも激しく震えていた。

「……待って、……ステラ、貴方と結婚したのよね……?」

 エリデの正面に座る人物は、リベリオ・ローレ北方騎士長という。

「……そうだ」

 ただの事実の確認に、答える声が震えた。


 リベリオの声は少しばかり震えたが、それは出会ったばかりのエリデが聞き分けられるようなものではなかった。リベリオの表情もまた変わらないようにエリデの目には映り、結果、エリデは激昂した。

「……何でよ‼︎ ステラは何もしてないんでしょ⁉︎ 巻き込まないでよ‼︎」

「……」

「黙ってないでさっさと、離縁しなさいよ‼︎ そうしたら、そう」

 その先を、エリデは口に出せなかった。離縁すればいい、そうしたらステラは関係がなくなって、それで、そうしたら。

 ――そうしたら、目の前のこの人は、死ぬのだ。


 口ではなく、目を抑えた手の下から涙がぼとぼとと零れた。肩を激しく上下させて泣くエリデに、リベリオはハンカチを差し伸べなかった。それが出来る立場にない。

 ただ、友人が災難に巻き込まれたことに怒り、声を荒げるエリデの存在は尊ぶべきものだと思った。ステラにとって大事な人だ、リベリオよりも余程。

「……カルミナティ女史は優しい方だ。俺も、同じことを考えている」

「何でかはよく分からないけど、……どうせステラが自分から探しに行くって言ったんでしょ」

「ああ」

 ステラの行動予測も当たっている。ステラのよき友人だ。

「ステラには製作者を探せるだけの優位差がある。俺から言い出したわけではないが、止めはしなかった。ローレ家はステラの善意に甘えている、それは紛れもない事実だ」

 自前のハンカチで涙を拭い紅茶を勢いよく飲み干して、エリデは深々と嘆息した。

「……さっさと離縁して関係ないわって、まあ、言えないわよね。……見殺しだもの」

 一年余りを同じ職場で過ごし憎からず、入籍し式まで挙げた人間を見殺しに出来るか否か。エリデは恐らく出来ない、そしてエリデが出来ないのにステラにそうしろとも言えない。周囲に諭され離縁したとして、残りの人生に終始着いて回る後悔になる。

「危険は無いのよね?」

「ローレに腕利きの護衛を頼んである。山登りで転倒する以外の危険はない」

「転倒……ああ、しそう」

 大真面目にリベリオが断言するものだから、エリデも少しだけ笑えた。


「実際のところ、ステラが持つ優位差は他にない。第二王女殿下の侍女として、王女殿下とその母君や兄君からの覚えもめでたい。結婚したばかりに巻き込まれたと主張すれば、失うには惜しいと周囲は判断するだろう」

「それはそうであろうな」

 ハルもリベリオに同意した。何なら、これ幸いと真っ先にスカウトしそうな御仁である。

「気立ての良い有能な女性だ。また別の縁もあるはずだ」

 何の嫌味も無くリベリオにしてみれば本当に心からの言葉であったのだが、エリデとハルが苦虫を噛み潰して飲み込んだような顔をした。

「……いやそれ、離縁してリベリオ様が死刑になってるわけでしょ? 婚約破棄どころか今度は正真正銘の未亡人よね、ステラ修道院に入るんじゃない?」

「…………?」

 今度はリベリオが呆ける番だった。こめかみを揉みながらのハルの説教が、エリデに続く。


「リベリオ、お前は阿呆か? 婚約破棄された不良品どころか、今度は正式に婚姻破棄で寡婦だ。ましてや一族連座のローレ公爵家の寡婦だ、そんな問題物件に次の縁など来るものか。あの性格だ、城を辞して修道院に入るほうが想像に容易いぞ」

「は……」

 リベリオはローレ家の縁戚ではあるが実権や相続権は無く、貴族であるという意識が薄い。よって自分とステラの婚姻は市井のものと大差なく、別れるに禍根が無いと思っている。

「……リベリオ様、ものすごく失礼なことを聞きますが、もしご自分が死刑になった後ってステラがどうすると思ってます?」

 どうなるではなく、どうする、とエリデは訊く。

「……変な結婚に巻き込まれたと、全て忘れて生きて欲しい、と…」

「それ、ステラが出来ると思ってます?」

「……」

 思わない。つまりリベリオは、ステラがどうするかではなく、どうして欲しいというリベリオの希望を答えている。それも、随分と都合のよい。


「そう苛めてやるなエリデ。そやつの情緒は人並み以下だが、頭はそれなりに回る。嫁御が泣き暮らすことも修道院に入ることも、想像しなかったということはあるまいよ。言葉にしたくなかっただけだ」

 苛めてやるなと言いながらもハルはリベリオを庇わず、容赦がない。俯いて顔が上げられないリベリオの顔を片手でわし掴み、鼻先の距離で稚拙だとハルが説く。

「が、稚拙な情緒で許されたのもここまでだ。そろそろ焦って目を開け、リベリオ・ローレ。お前が生き残ろうと足掻かなければ、嫁御も生き残れんぞ」

 潮流の混ざる海色の目が、総毛立つような冷たさでリベリオを見ている。人に品定めをされることはこんなにも恐ろしく、不快であるとリベリオは知った。

 説教は楽しいなあ、と唇を歪めてイズディハール皇太子は嗤う。


 奇しくもそれはミオバニアで、リリアナがもう一人の愚かな兄に説くことと、全く同じであった。


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