7-6:フェルリータ観光②
「おお、なかなかの高さ」
王立学院で昼食を済ませフェルリータの中央に向かい、鐘楼群を下から見上げたハルが歓声をあげた。同じようにリベリオも目の前にある鐘楼を見上げる。
「五つある鐘楼のうち一番高いのが高さ六十メートルです。内側には階段が三百段ありますが、自動昇降機はありませんので覚悟してください」
王都唯一もとい王城にある鐘楼は高さ約三十メートル、およそ倍の高さだというのにこれで自動昇降機が無いとは恐れ入る。
「カルミナティ女史は登られたことが?」
「引っ越してきてすぐ家族で登りました。眺めは最高ですが、頻繁に登りたくはないですね」
エリデの感想はもっともだった。
「どこか近くの店で待っていてくれても構わないが……」
「たまにですから付き合います、誰かを案内でもしないと登らないので。一番高い鐘楼に登りますよね?」
五つの鐘楼のうち一番高い鐘楼の入場券を、エリデが三人分購入してきてくれた。ちなみに一番人気であるので入場券の値段も一番高い。
鐘楼の内側に入れる人数は制限されており、十分ほど行列に並んでから入場した。広い円柱状の内側に螺旋階段が張り付いている。登りも下りも追い越し厳禁という注意を聞いて行儀良く登り始めた。
「……思ったんですけど、一番高いお金でなんで一番きついコースを買ってるんですかね」
二十分が過ぎた頃、息を切らしながらエリデが呻いた。
螺旋階段が楽しかったのは最初の十分までだった。中終盤に差し掛かる頃にはエリデの足取りは重く表情は暗くなり、エリデのみならず周囲の雰囲気は行軍じみている。途中途中にもう登りたくないと駄々をこねる子供や、休憩をしているご老人が落ちている始末である。
「まあ真面目に答えるなら高さ分の建築費の回収と人気商売だろうな。そもそも、なぜ鐘楼が五つもあるのだ?」
足取り軽く息も切らしていないハルを恨めしそうに見ながら、エリデが答えた。
「……ステラに聞いた話だと、百年くらい前に建築工場が競って建てたそうです」
フェルリータの観光名所を作ろうという企画が百年ほど前に持ち上がり、鐘楼の高さを当時五つの建築工場が競った。高さと意匠の違う五つの鐘楼群はその結果であり、今に至るまで揺るぎないフェルリータのシンボルとなっている。
「カルミナティ女史、ここで一度休んでも……」
「いえ、休んじゃったらもう動けなくなるので」
ステラが必要なものは気合いと言っていた意味が、とても良く分かった。
進みの遅い行軍に混ざりぐるぐると無心で登ること三十分余り、ようやくと最上階のバルコニーに到達した。
「……ああ、綺麗だ」
意図せずともリベリオの口から感嘆が溢れた。
青銅の鐘の眼下に、三百六十度を見渡せる絶景が広がる。青空の下どこまでも広がる緑の平原と、橙色の屋根のフェルリータの街並みのコントラストはとてつもなく美しかった。
たどり着いた誰もが疲れを忘れ、歓声を上げて景色を楽しんでいる。
「登る価値あり、だなあ」
「でしょ? 望遠鏡の貸し出しもありますよ、借りてきてあげましょうか?」
「頼む」
「リベリオ様は?」
エリデに尋ねられ、リベリオは腰のベルトから小さな筒状の望遠鏡を取り出して見せた。手のひらに収まる単眼鏡だが長い付き合いで、都市を見るには十分だ。
「じゃあ私とハル様の二人分ね」
エリデが望遠鏡を借りにいき男二人が残されたが、別段話すことがあるわけでもない。リベリオは自分の望遠鏡を持ってバルコニーの淵に寄った。
ほぼ真四角に設計された王都と異なり、フェルリータは歪な円形をしている。円形の外周には東西南北四つの城門があり、その外には太い街道が繋がる。この街道を東に行けばパレルモ、西に王都、南にヴィーテ、北はローレに繋がる。フェルリータはカルダノ王国の中央に位置する交易都市だ。
「フェルリータの街並みは美しいな。ああ、ここから城門までは三キロと少しだぞ」
「……誰も尋ねておりませんが」
望遠鏡を覗くリベリオの横に立ち、尋ねてもいない情報を教えてくれた隣国の皇太子殿下に、リベリオは今日何度目かも分からないげんなりとした心持ちになった。
「俺は親切だからな、恩に着ても良いぞ」
「……」
恩とは押し売りするものであるらしい。タイミングよく戻ってきてくれたエリデから望遠鏡を受け取り、ハルも景色を楽しんでいる。
「カルミナティ女史、この鐘楼は夜は何時まで開いているだろうか」
「夜間は開いてないです、階段が危ないから」
階段途中の惨状を見ればそれもやむなしか。螺旋階段の壁には採光窓はあれど、火事を恐れてか光源となるものは設置されていなかった。
中央通りは南側、王立学院は西側、とエリデの観光案内に従いながら三百六十度の景色を一通り見終わった。フェルリータの伝統的な街並みは東西南北どこを見ても美しく、絵画を志す者が集まるのがリベリオにも分かる。
「じゃあ下りますか」
「おう」
下りは早い、周囲の足取りも軽く三十分もかからず地上まで降りることが出来る。
並んで登って眺めて下りて二時間弱、膝を曲げ伸ばししているエリデにリベリオは尋ねた。
「一番人の少ない鐘楼はどれだろうか」
「人の少ない……?」
質問の意図が分からず首を傾げたエリデに、ハルが補足する。
「そやつは腹ごなしが足りないらしい」
「もう一個登るってこと⁉︎」
「ああ」
エリデは分かりやすくウワアという顔をした。
「あの二番目に高い鐘楼は、比較的空いてると思います。三十段しか違わないので……」
二番目に高い鐘楼の階段は二百七十段。三十段しか違わないのなら一番高い方に登ると観光客はほぼ利用せず、かといって子供や地元の高齢者には高すぎて人が少ないとのことだった。見れば入場口に並んでいる客はおらず、明らかに閑散としている。
「俺とエリデはこの辺の店を見ておくとしよう」
「分かりました。すぐ戻ります」
「すぐって……」
鐘楼の周囲もまたフェルリータを代表する名店揃いである。
「行くぞエリデ、まずはそこの店からだ」
「あ、はい」
エリデを連れたハルが高そうな店に入るのを見送って、リベリオは二番目に高いという鐘楼に寄った。券売所の人間は眠そうに舟を漕いでいる。
「すみません、大人一人お願いします」
「え、兄さんこれに登るの? 一番高い鐘楼と間違えてない?」
わざわざ確認するあたり、どれだけ不人気なのか。間違っていませんと頷いて一人分の券を購入した。
「今、鐘楼の中に居るのは何人くらいかは分かりますか?」
「……いちいち数えちゃいないが、五人は入ってない……と、思うぜ」
百人近くが行軍さながらにひしめき合い、入場者と退場者を数えて中の人数を制限している一番人気の鐘楼とは雲泥の差である。
一階のホールで先ほど使った望遠鏡を取り出し、螺旋階段を登っている人間の位置を確認した。一人、二人、他はもう最上階だろうか、本当に不人気だ。
「……」
弓の入ったケースを背負い直し、手持ちの時計の長針を確認して。
次の瞬間、リベリオは螺旋階段を五段飛ばしで駆け登り始めた。リベリオの風魔法は魔法師団の上級団員よりは弱く、風の刃で攻撃したり浮いたり飛んだりは出来ない。ただしアシストとして、落下速度を緩めたり駆ける歩幅と歩速を伸ばすことは可能だ。
前後切り替え式の階段ではなく、螺旋階段であることも有利に働いた。遠心力は掛かるが、止まらずに登り続けることが出来る。前方に人が見えれば一旦止まり、声を掛けて丁重に追い抜かせてもらってまた加速する。
背後から驚きとも悲鳴ともつかない叫び声が聞こえたが止まりはしない。一人と二人を追い抜いて、リベリオは二百七十段を一気に登り切った。
最上階のバルコニーに到着して、時計を確認する。掛かった時間は四分と少し。追い抜きのための減速がなければ、さらに短縮できそうだった。
三十段の差だ、景色自体は先ほどの鐘楼と大差なかったが、残念なことに一番高い鐘楼のバルコニーが背後にあり肉眼でも観光客が見える。
「なるほど……」
これは少々残念な気持ちになる、とこちらの鐘楼の不人気の理由に一人頷く。
先ほどと同じように東西南北の景色を一通り確認する。螺旋階段の中心を飛び降りることも考えたが、余計な騒ぎになりそうだったので駆け足ではあれどきちんと階段で地上に下りた。
「お待たせした」
「ええ⁉︎」
異国風の外見と服装をしたハルは探しやすい。探すのにそう苦労もせず、画廊の軒先を見ていたエリデとハルに声を掛けると、エリデは飛び上がって振り向いた。
「待って、十分しか経ってないんですけど⁉︎ あ、途中で下りて来たとか」
「いや、走って登って下りて来たので」
「走って……」
とは。
「運動は足りたか」
「はい。ああ、カルミナティ女史」
「は、はい!」
まだ怪訝な顔をしていたエリデに、リベリオは尋ねた。
「ポルポラという名前に聞き覚えはないだろうか」
「ポルポラさん……お知り合いですか?」
「ローレ家に出入りをしている行商で、フェルリータの品を持って来てくれることも多かった。こちらに居れば挨拶をしたい」
買ったものは宝石、服、絵、ガラス製のオブジェなど多岐にわたるとリベリオは説明する。
「分かりました、私は聞き覚えがないので帰ったら父と母に訊いてみます。商工会の寄り合いには父の方が出てるので」
そう言ってくれたエリデに、リベリオは深く頭を下げた。