7-3:リスクヘッジ
『身内の結婚式のため しばらく休業致します』
ミネルヴィーノ宝飾店の看板の下、重厚な扉にはそれはそれは美しい筆跡で書かれた知らせが貼られていた。
「早すぎたか」
「ええ」
王都からローレに協力要請を飛ばしたのが五月の中旬頃、半月前。王都からフェルリータと、ローレからフェルリータまでの距離は大差ないが、リベリオは馬でステラの家族は馬車だ。ローレに居たはずのステラの家族が協力に応じてくれたとして、フェルリータに戻り着くにはもう数日掛かる見込みになる。
「さて、どうするか」
「宿を取って、情報を集めます」
「では、俺も今の宿を引き払って来よう」
皇太子殿下は律儀にもリベリオと同じ宿に泊まるつもりらしい。隣国の皇太子殿下を市井の宿に泊めて良いものかと一瞬考えはしたが、本人が言い出したことであるので、リベリオは考えるのをやめた。
リベリオは基本的に切り替えが早い。家が貧しかったため、物理的金銭的に不可能な物事を考え続けることをしない。
店と同じ通りのそう遠くない宿をと歩き出そうとした所で、横から声が掛かった。
「ミネルヴィーノさんのお店は、しばらくお留守です。裏手の工房に店番の人が居ますよ」
リベリオ達に声を掛けたのは、若い娘だった。
生成りのシャツに足首上のズボンという飾らない出立ちは観光客らしくなく、フェルリータに住んでいる人間だ。
「関係者の方だろうか」
リベリオの問いに、少し考えて彼女は答えた。
「友人兼取引先です。しばらく休業のお知らせの通り、友人とご家族は遠方に出られていますが、裏手に案内くらいは出来ますよ」
「……友人」
リベリオはもう一度、相手を観察する。活動的な服装、手には麻袋、頭には日除けの帽子。それなりに強い日差しを避けるためだろう帽子の下から、赤い髪が覗いていた。
「……もしや、エリデ・カルミナティ女史だろうか?」
「は⁉︎」
ステラに聞いていた外見と一致する。尋ねてみれば、相手は分かりやすく取り乱した。リベリオの後ろにいる御仁がソワソワしているのが気配で分かるが、敢えて無視してリベリオは頭を下げた。
「こちらから名乗りもせず、失礼した。王都から来た、リベリオ・ローレと」
「ス、ステラの結婚相手さん!?」
リベリオの姓よりも『友人の結婚相手』という情報の方が重要らしい。面と向かって指を指されても嫌な気は起こらず、飾らない人柄はリベリオの後ろにいる皇太子殿下と比べるだに遥かに真っ当だった。
「ああ、ご実家はまだローレから戻られていないようで」
「うん? ステラの実家に来たのに、ステラは一緒じゃないの?」
これまた真っ当な疑問に、リベリオは言葉に詰まる。表情には出ないまま考え込んでいると、後ろから皇太子殿下が顔と口を出した。
「こやつの嫁御は王都だ。今回のこやつは俺のツレだ」
「ええと、あなたは?」
「……こちらは、とある…やんごとなき……」
「帝国のやんごとなき商人のハルだ、よろしくな!」
どこまで紹介して良いものかを真剣に悩んでいたリベリオを尻目に、イズディハール殿下はこともなげに自己紹介し、挙句エリデと握手まで交わしていた。社交力の桁が違う。
「こやつを護衛に借りたのだが、宿のアテが見ての通り閉まっておる。娘、どこぞ宿を知らんか?」
「エリデ・カルミナティです、初めまして。うちはガラス工房ですが、工房の隣の宿屋なら案内出来ますよ」
「それは助かるなあ、エリデの工房はこの近くか?」
「一本奥の工房通りです」
「おお、案内を頼む」
「はい。ではハル様、ミネルヴィーノ商会の裏手に届け物だけ置いてきますので、しばらくお待ち下さい」
「おう。あと、畏まらなくてもいいぞ」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えるわ。ちょっと待ってて」
リベリオが口を挟む隙が無いまま爆速で話がまとまり、エリデは裏手に回って行った。
「ハル様、彼女を巻き込むのは……」
「ここの家人が戻らないときの保険は有った方がいい」
地元の、それも商工会への伝手が必要だと、自ら巻き込まれに来た当事者ではない皇太子殿下が呟く。その判断はリベリオも同じだが、エリデを手段として確保するのに躊躇いが無い訳ではない。
言葉通り、エリデはそう間を置かずに戻ってきた。
「お待たせ。案内するけど、帰り道にある花屋に寄って良いかしら」
「構わんぞ」
まずは宝飾店から一本隣の工房通りへ。工房通りの花屋は業務用だ、中央通りのような華やかなディスプレイは無いが、取り扱っている花の種類は多い。エリデと花屋の主人がテキパキと打ち合わせをして、買う花はあっさりと決まった。
「案内の礼に俺が払おう」
「え、要らない」
イズディハール皇太子の申し出を、エリデはあっさりと断った。リベリオは無表情の内側で冷や汗をかいたが、当の皇太子殿下は楽しそうだ。
「……何故?」
「この花は、うちの工房の来客テーブルに飾るの。経費を人に奢ってもらう訳には行かないでしょ」
「なるほどなるほど、それは失礼した」
エリデが受け取ったのは、グリーンを基調にオレンジとイエローの花を組み合わせた花束だ。豪華だが上品になりすぎない明るさがある。
「そうね、謝るならうちで作った花瓶の方を買ってくれる? やんごとなき商人のハル様」
海色の目が見開かれるのを、リベリオは初めて目にした。驚くような可愛げがあったのかと、リベリオの方が驚いた。
「……エリデに一本取られたなあ。ああ、土産に買っていくとしよう」
負けたと口では言いながらも、商人の国の皇太子殿下は嬉しそうだった。
工房通りを連れ立って歩くこと十分余り、三人はカルミナティガラス工房前に到着した。ミネルヴィーノ宝飾店のような豪華で重厚な店構えではないがシンプルな外装と、看板代わりのガラスのランタンが軒先に掛かっている。
「ここがうちの工房、で、そっちが宿」
カルミナティ工房の隣には、確かに宿屋があった。
「珍しいところにある宿屋だ」
フェルリータは観光都市だ。宿屋は名所の周囲に固まり、職人街に宿屋があるのは珍しい。
「工房に用がある商人さん用ね。職人の出入りも自由だし、食堂もあるから、それこそハル様みたいな人達が使ってるわ」
商人用、出入り自由、食堂といった、リベリオの目的に近い言葉がエリデの口から並ぶ。
「便利な宿を教えてもらい、礼を言う」
「どういたしまして。じゃあ、私はここで」
宿屋の前に男二人を届け、自宅兼工房に入ろうとしたエリデの背に、リベリオは声を掛けた。
「カルミナティ女史」
「? はい、何か?」
「午後は時間がおありだろうか。もし良ければ、名所の案内を頼みたい」
リベリオの要請に、エリデは少し考えてから答えた。
「大丈夫だと思います。じゃあ、出るときに工房に声を掛けて下さい」
「ありがとう、そうさせて貰う」
軽く頭を下げ、エリデは今度こそ工房に入って行った。
リベリオの行動を黙して見ていたイズディハール殿下が、くつくつと野卑な笑いを溢した。お前も早々に確保に走ったではないか、という無言の圧が背に痛い。
「……保険が優秀すぎて困るなあ?」
全くだ。
9月1日で連載開始から一年でした。
書き溜め休載を挟む長編を読んで下さって本当にありがとうございました。