6-11:如何とする
「物分かりが良すぎるだろう。騙されていたなら、もっと声高に主張してくれ」
ミケは哀れなほど賢しかった。その賢しさ故に、自分が利用されていることも、利用されてなお抗う術がないことも分かっていた。
「火事でレオを手離して一年、そこからずっとここに住んでた。――疲れた」
疲れていた。人目を忍ばされ、集落から離れた森の中に住まわされることに。何も知らされないまま魔石を磨く不安に。そして、逃げ出す先すらない絶望に。
「お前、このまま行くと国王暗殺の容疑を全部押し付けられて処刑だって分かってるか?」
声を低く落としたクラウディオを、ミケは鼻で笑った。
「捕まえて押し付けに来たのはお前らなのに?……レオが食い物に困らなくなったなら、それでいい。もう、一年が経った。兄が居たことも、そのうち忘れる」
次の瞬間、ミケが吹っ飛んだ。
ステラの腕を振り払い、リリアナは椅子ごとミケを蹴り倒した。床に打ちつけられてミケは呻いたが、それは随分と手加減されたものだった。リリアナが本気であれば、ミケに呻くような余地は残されていない。
流れるような動きで、リリアナはミケの首に膝をめり込ませた。顔の真横に剣を突き立てられたミケが悲鳴を上げる。
「ヒッ……!」
「……弟を残して死んでも大丈夫だと、貴方は言う。その賢しい頭は、残された弟妹がどんな気持ちになるかは想像出来ませんか」
経済上の利が勝っていただけで、想像は出来ていたのだろう。推し黙ったミケの顔の周りに、リリアナの紫紺の髪が落ちる。正面から苛烈な鳶色に見据えられ、逃げることも偽ることも許されない尋問の檻だ。
「そして貴方が処刑されたら、レオ君は国家大罪人の弟です。弟だけ真っ当な生活が出来るとでも? 通常で連座、良くて生涯檻の中です」
「……嘘だろ?」
「事実です」
ミケの顔がグシャリと歪む。青い青い目に、みるみるうちに涙が溢れた。
「何でだよ、俺たちが何したっていうんだよぉ……。親が居ないのも、貧しいのも俺たちのせいじゃない。……頼む、頼むよあんた達、レオだけでも助けてくれよぉ……っ!」
顔をぐしゃぐしゃにしてミケは懇願した。先程までの斜に構えた姿ではなく、リリアナの剣を掴んで、必死に。
「私達に協力を」
「……協力……?」
「私達は貴方を探しに来ましたが、罪を押し付けに来たのではありません。一連の状況から貴方が脅迫を受けている可能性が高いことは予想していました。私達が欲しいのは、貴方を利用した人間の情報と、法廷における貴方の証言です」
魔石宝飾の製作者が脅迫されていたのであれば保護、自発的に加担していたのであれば捕縛。それは、道中で事前に打ち合わせてあった。
「それを、それをすれば、レオは助かるのか……⁉︎」
「順番が逆です。貴方が保護観察などの処分を勝ち取り助からなければ、レオ君も助からないのです」
ミケの顔から血の気が引いた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた蝋人形のような顔があまりにもつらく、ステラは思わず口を開いていた。
「ミケさん、リリアナ様にもお兄さんが居ます」
「ステラ姉様……」
「姉様……? あんた、この人の姉か?」
ミケは床に転がされたまま、怪訝な目でステラを見上げた。
「私は、リリアナ様のお兄さんの妻、です」
妻という呼称を、ステラは初めて自称した。
「リリアナ様の、義姉にあたります。こっちは、私の実の兄です。私と兄は商家の生まれです」
商家と聞いて、ミケの顔があからさまに曇る。経緯を思えば当然のことだった。
「リリアナ様は確かにローレ公爵家の姫君ですが、商家の私達よりも野営に慣れています。道中の鳥もウサギも、リリアナ様が捕って捌いてくれました。私達は相伴に預かっただけです」
私が詳細を語ることは出来ませんが、と前置きしてステラは続ける。
「リリアナ様は湖水の村で育たれています。だから、あの、ミケさんの境遇が分かるのは私達ではなくリリアナ様です」
「……湖水? 何でそんなド田舎で」
「親が親であったことが無いからです」
ミケの疑問にはリリアナが答えた。
「母は生きてはいますが、私の名前を呼んだことはありません。父は母を気味悪がり、逃げ出しました。私を育ててくれたのは村の村長夫妻と兄です」
ミケは苦虫を噛み潰したような顔をした。貴族のくせにと罵った自分のバツが悪くなって、口の中が苦い。重苦しい沈黙ののちに、ミケは静かに口を開いた。
「……あんた達に協力する。いや、させて欲しい」
ステラは兄と顔を見合わせて頷いた。そのために、ここまで来たのだ。
リリアナが床から剣を抜き、ミケの手を取って引き起こした。
「……なあ、あんた、本当に俺に全部押し付けようと思わなかったのか? それが一番手っ取り早いだろうに」
「貴方には伯父もとい王妃殿下まで魔石宝飾を届けるツテがありません。我々と別動隊の兄が本当に探しているのはそのツテです。商人の名前は分かりますか?」
「スパーダ」
聞き覚えの無い名前だった。ローレ家に古くから出入りしているという、グレゴリオに魔石宝飾を売った行商の名前とは異なる。
「伯父に首飾りと耳飾りを売った行商と、名前が違います。同一人物かの確認が必要です、ミケさんには似顔絵の作成にも協力頂きます」
「分かった。……本当に、探しているのはツテなんだな」
「驕るな見下すな、と私は祖父に教わりました。ですので」
「?」
「貴方に罪を押し付けなどしたら、連座で処刑される前に祖父が我々の首を叩き落とすと思います」
「何だそのジジイ、怖えよ!」
「これからどうしますか? リリアナ様」
「幸い、ここはローレに近い鉱山です。ローレに早馬を出して、捕縛者の移送と、この小屋の保全をする人員を貰いましょう。シルヴェストリ査察官にも連絡できる日数があるのは、我々にとって幸いです」
小屋から出ると、欠けた月が木々の隙間から見降ろしていた。何日もこの森に居たような気がするのに、懐中時計で確認すると時刻は日付の変わる手前だった。夏を迎えた森は、日が暮れ夜が更けてもじっとりと暑い。
「クラウディオさん、鉱山に戻って縄と人を借りて来て頂けますか?」
「ああ、山賊を捕まえたとでも言って連れてきますよ」
来た時と異なり、灯りの光量を上げてクラウディオは戻って行った。リリアナとミケは氷漬けのまま昏倒した襲撃者達のフードを捲って、顔を確認している。
取り急ぎ出来ることもなく手持無沙汰なステラは、もう一度小屋の中に入った。役割を終えた空き箱を隅に片付ける。触れていないはずの机の上に、いくつか増えたもの。小さな皮袋に目が留まった。
保全と言えど、これは置きっぱなしにしないほうが良いだろう。そう思って手に取った。革袋の中からステラの掌にコロリと落ちてきた魔石を、今度はルーペでじっくりと観察する。
「……すごいなあ」
思わず感嘆の声が零れた。正確無比なカットの角度、一部のずれもないエッジ。
美しいドロップカットは、ステラの目には父の技術と遜色ないように見えた。これが色味の無い濁った乳白色の魔石でなく通常の宝石であれば、さぞ絢爛だったことだろう。
「……色味の、無い……」
もう一度、掌の中の魔石を見る。美しいドロップカットの魔石は、けれど濁っていて宝石に見えはしない。研磨された表面には輝きがなく、宝石の原石とも間違わない。
ふと湧いた疑問を解決するべく、ステラは手にそれを持ったままリリアナに声を掛けた。ステラに魔法の素養は無く、この魔石に魔力を込めることは出来ない。
「すみません、リリアナ様。ちょっとお尋ねしても大丈夫ですか?」
「どうされました? ステラ姉様」
振り向いたリリアナに掌の魔石を見せながら、ステラは尋ねた
「途中寄った鉱山で、火の魔石と水の魔石を作ってもらいました。覚えていらっしゃいますか?」
「はい、女性の方と男性の方に魔力を込めて頂きましたね」
「あの時はその方々にお願いしましたが、リリアナ様も煮炊き用の火の魔石と、飲み水用の魔石が作れるのです?」
「はい、可能です」
リリアナは火と水と風の魔力を持っており、出力を弱めてそれぞれ魔石に込めることは可能だと頷いた。けれど、二つ以上の属性を持っている人間は少ない。あの場で目立ちたくなかったため、わざわざ手間賃を払って人に依頼した。
「では、あのときのお二方が、これに火と水の属性を込めることは可能でしょうか? ええと、例えば先に火を込めて、その後に水を込めるとかで……?」
前提知識のないステラの質問は粗末なものだったが、リリアナは快く答えてくれた。
「一度魔力を込めて染まった魔石は、上書きや混色が出来ないのです。二属性を込めるには、二属性以上を持っている人が一度、に……」
リリアナの説明が止まる。鳶色の目がミケの青い髪を見て、リリアナの喉がごくりと鳴った。
「……リベリオ様が威力を試された耳飾りは、最高級のアメジストにしか見えませんでした」
結婚式の後、ステラは威力を試す前の耳飾りを見ている。あのドロップカットの魔石は、ルーペで覗いて内包物が皆無であることを確認してなお、希少な最高級のアメジストだと鑑定しかねないほど美しかった。
「あれは、誰が、魔力を込めたのでしょう」
夏の夜風に、リリアナの髪が揺れる。咲き誇るビオラのような、あるいは満天の星が煌めく夜空のような。
美しい美しい、紫紺の。
六章捜索編をお読み頂きありがとうございました!
次回七章 探訪者編です。
また少しお時間頂きまして9/1(木)より更新予定です。
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次章もコツコツ書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。