6-10:如何にして②
「金払いが良かったんだよ」
そう、ミケは言った。
「ミケさんとレオ君は、お幾つですか?」
「俺は多分二十。レオは四つだ」
ミケとレオの兄弟はミオバニアの東端の村で生まれた。北の国境に近く、ローレからも東のパレルモからも遠い、小さな村だ。訪れる観光客もおらず流通も悪く、お世辞にも裕福とは言えない村だった。
「十六歳差か。ちょっと離れてるな」
「母親が違う。俺の母親は気づいたら居なくなってて、レオの母親はレオを産んだ後に父親とどっかに消えた」
「……」
三人分の重苦しい沈黙を、ミケはあっさりと笑い飛ばした。
「期待通りじゃなくて悪いが、ろくでもない親だったからなあ。どっかに消えて殴られなくなった分、清々した」
そうして、十六歳のミケ少年は産まれたばかりの弟と二人暮らしになった。
ミケの髪は分かりやすく青い。村の魔石に水の魔力を込める作業をミケは請け負っていた。報酬はお世辞にも多くなかったがミケに取って幸運だったのは、小さく貧しい村だった故に競合する商人が居なかったことだ。
水仕事であれば何でも請け負ったが、赤子を背負っての生活は厳しい。食い繋ぐのに必死だったある日、件の水鋸で木を切って薪を作っていたミケは村人に頼まれた。村と街道を繋ぐ道の落石を、どうにかできないかと。
「小さな村だったからなあ。たまの行商人が来れないと、ちょっとしたものが手に入らないんだ」
ちょっとしたものは生活の道具だったり、茶葉や調味料だったり、新品の魔石だったりした。
「村の連中は雨で緩んで落ちた岩を、水で押し流せないかと頼みに来たんだが」
「ミケさんは落石を、押し流すのではなく、切ったんですね」
「おう」
ミケが頷く。リリアナの言葉は問いではなく、確認だった。
「俺が適当な大きさに切って、皆で道の脇に運んだ」
巨大な落石が芋のように乱切りにされる様子が、ステラの脳裏に浮かぶ。
落石を処理したミケに、立ち往生していた行商人は感謝し、運んで来た荷を少しばかり値引きしてくれた。
「その行商の前で、魔石を切ったか?」
クラウディオの問いにミケは頷いた。その行商人は都会で依頼されてミオバニアで大きな魔石を買ったものの、突然のキャンセルで困っていた。大きな魔石はそれなりに値が張り、用途も限られる。だからこその個人依頼であるが、キャンセルされると買い手が付きにくい。
行商に頼まれたわけではない。値引きしてくれた相手が困っていたので、ミケはその魔石を取引しやすい大きさに、世間話ついでに切ってやっただけだ。
「切った。そしたら、えらく驚いてた」
「そりゃあそうだ。魔石は鋸でも槌でも切れないし砕けないんだ」
「らしいな」
その場は、いたく感謝されて終わった。けれど、その行商はまたすぐ村にやって来た。いつもは半年以上日をあけて訪れる行商が、ひと月も経たずにやって来て、ミケに仕事を頼みたいという。
「洒落た形に魔石を切れないかと、言われた。日常で使う魔石が洒落ていると、生活に潤いとやらができるらしい」
頼まれたものの、ミケには生活の潤いとやらが全く分からなかった。魔石とは採れたがままの形で使うのが常であって、そもそも魔石の形に要望を感じたことがない。あるものしかない小さな村に、嗜好品という言葉は存在しなかった。
「机に置いてある指輪とかは、そいつが見本に置いてったんだ。こういう風に切ってくれって」
宝飾品を見たことがなかったミケは幾つかの見本を貰い、最初は適当な石で練習した。
「練習台にした石は、まだあったか……?」
ミケが棚から出した小箱には、切り出しの練習をした石がぎっしりと詰まっていた。ステラはその一つを手に取ってみる。ミケの練習台として切り出された掌大の石は、少し不格好なエメラルドカットをしていた。エメラルドカットを施された、灰色の石だ。
「それはまだ練習中のやつ。段々小さくしてってくれって」
「ミケさん、ドロップカット……ええと、雫型に切った魔石はありますか?」
「ある。雫型は割と小さく綺麗に切れるようになったやつだ」
完成品は箱ではなく、個別の皮袋に入っていた。渡された小さな袋からステラの掌に転がり出てきたもの。魔石宝飾と呼ばれるに足る、美しく歪みない雫型のドロップカット。宝石の形状をしているのに、乳白色に濁った色が紛れもない魔石であることを示していた。
宝石の形状に研磨された魔石。存在の歪さと禍々しさに、知識と経験の少ないステラよりも、クラウディオとリリアナの方が嫌悪を示した。
「何で、こんなもの作ったんだよ……」
嫌悪と苦々しさの入り混じったクラウディオの呻きに、ミケはもう一度冒頭と同じ答えを返した。けれど、その声は弱々しかった。
「……金払いが、よかったんだよ……」
行商は仕事に必要なものを全て揃え、練習中であっても賃金を払ってくれた。辺境の村からミオバニアの西に引っ越すのも、住まいを用意するのも、全部手配してくれた。仕事が捗るからと、鉱山の近くの集落に言われるがままに引っ越したのが二年ほど前。
ステラとリベリオの目の前でミオバニアの集落が燃え落ちたのが一年前なので、その一年前にミケとレオの兄弟は集落に引っ越して来たことになる。
「……金払い、ですか……?」
ざわり、と夜が動いた。
聞く者の耳を凍らせるような、冷たい声音。明るく弓を描いていた鳶色の瞳は、そら恐ろしいほどの怒りに満ちていた。
「そんな物のために、侍女が亡くなり、伯父とマリネラ様は投獄され処刑される、と?」
夜空色の髪を怒りでざわめかせたリリアナに、クラウディオが後ずさる。けれど、ミケは退かなかった。
「そんなもの? 金をそんなものって言ったか⁉」
リリアナの鳶色の目を正面から見据え、青色の目が叫ぶ。
「ローレ家の人間に何が分かる⁉︎ 孤児だと蔑まれ、村は貧しくて、弟に満足な食い物もやれない!その惨めさがお前に分かるのか⁉︎ いい服を着て、従者を連れたお前に!」
机を挟んでいなければ、ミケはリリアナの襟元を掴み上げていただろう。
剣の柄に掛かったリリアナの腕に、ステラは反射的にしがみ付いていた。
「……ステラ姉様、離れて下さい」
「……駄目です」
「姉様!」
「駄目です!……駄目です、ローレは法と国王陛下の沙汰に従うと申されました。何より、リベリオ様はそんなことは絶対に望みません」
半泣きでしがみ付く義姉を、リリアナはどう思っただろうか。
「……湖水の村で、獲物が何も採れなくてまともに食事にありつけなかった月がありました。……兄は私に謝りました、情けない兄で、すまない、と」
鳶色の瞳に、涙が滲む。唇を噛み締め、悲しみではなく悔しさから滲んだ涙だった。
「兄に謝らせてしまった自分が、不甲斐なかった」
それからリリアナは、兄に絶対に謝らせないと決めたのだ。
「兄と同じことを言う貴方が、どうしてこんなものを作った。どうして、弟を手放した!!」
「……なあ、身寄りも学も無い孤児に大金を払って仕事をさせるような奴らが、真っ当だと思うのか……?」
リリアナの慟哭に、ミケは静かに応えた。二十そこそこの青年の声は、生きるのに疲れた老人のようだった。
犯罪に巻き込まれる可能性を考えてはいたが、断れる経済的余裕など無かった。人の良い商人の気まぐれな施しであることに、ミケは賭けた。そして、分の悪い賭けをしたミケは確率通りに負けたのだ。
生まれた村から離され、金を渡され、囲い込まれた。不信と不安が募る中、住んでいた集落に火事が起きたのは正しく渡りに舟だった。弟を麻袋に入れ、怪我人は居ませんかと叫んでいる声の主に渡した。その直後、助けに来たという男に担ぎ上げられ、ミケは集落から離脱させられた。弟が、弟が、と叫んで泣いて見せるのも忘れなかった。
火事以降、ミケには護衛が付けられた。レオという荷物が無くなって身軽になったミケを、逃がさないための見張りだった。碌でもない事に利用されていると想像は付いても、ミケがそれを知る術はない。
知るのは、ミケを捕まえに誰かが来た時だ。
「レオは何も知らない。利用された馬鹿は俺だけだ」
ミケは思い知っている。身よりも学もない孤児がどれだけ利用しやすいか。
どれだけ、罪をなすりつけやすいかを。