6-9:如何にして①
「魔石で人が死ぬわけないだろ‼︎」
青い髪の青年の叫びに、リリアナは険しく眉間を顰め、ステラは意味が理解出来ずに硬直した。何故なら、侍女が亡くなったという魔石宝飾の威力を実際に見ていたからだ。
「貴方……」
リリアナの髪がざわりと揺らめいて、夜のしじまに殺気が満ちた。剣に掛けようとする手を止めたのはクラウディオだった。
「落ち着いて下さい、リリアナ様」
「……」
冷静ではないことが自分でも分かったのだろう。フウと息を吐いたリリアナは、昏倒させた四人の手足を地面に氷漬けにして戻って来た。紫の結界を解いて、ステラ達が居る小屋の中に入る。
改めて見回すと、四人が入って手狭な小屋の中は材料で一杯だった。作業机の上には研磨途中の魔石、参考用の指輪やペンダント、鉛筆画のスケッチが散らばっている。ミネルヴィーノ商会の工房でよく見る光景だ。父の机の上は、いつだって石とスケッチで一杯だった。
ただ、宝石を研磨する工房に必ず在るものが無い。満ちた水瓶は在るのに、研磨用の機材がどこにも無いのだ。
「改めて初めまして、フェルリータの宝石屋のクラウディオだ。こっちは妹のステラ」
「……」
クラウディオの自己紹介に、青い髪の青年は答えない。クラウディオが面白そうに笑う。
「リリアナ様は、お前さんに名乗ったぞ。言い出しておいて自分は名乗らないのか?」
「……ミケ」
不承不承という態度を隠そうともせず名乗られた名前に、ステラとリリアナが顔を見合わせる。
「……ミケ、さん。あの、貴方がレオ君の『ミー兄ちゃん』ですか?」
レオと同じ色の目が、限界まで見開かれた。机の上に吊るされたランプ一つの、薄暗い灯りの下ですら美しい。ロイヤルブルーのサファイヤのようだとステラは思った。
「お前ら、レオを知ってるのか⁉︎ あいつは無事か⁉︎ 今、どこに居る⁉︎」
ミケと名乗った青年の矢継ぎ早の質問に、ステラは一つ一つ答えた。
「燃えた集落で麻袋に入ったレオ君を保護したのは、王都のお医者様です。レオ君に怪我はありません。今は、王城で保護されています」
「……医者、王城……? ああ、いや、無事、無事なのか……」
大きな大きな安堵の息を吐いて顔を掌で覆った青年が、一つしかない椅子に崩れるように座り込んだ。
「……失礼な態度を取って、すまなかった。レオを保護してくれて、ありがとうな」
椅子から立ち上がれないまま、ミケは深く深く頭を下げた。
「それと、さっきのフードのあいつらから、護って? くれたんだろ?」
護ったと言えば、護ったことになるのだろう。実際にフードの男達は青年を狙い、リリアナはそれを阻止した。
「……確かに、護りました。ですが、私達も貴方を必要とし、あるいは利用しに来た者です。話を、聞いて頂けますか」
長い夜になった。
長くなると予想したクラウディオが鍋を借り、持っていた魔石で人数分の茶を淹れる。ミケは小屋の外から木箱を三つ持ってきた。縦に置けば椅子代わりになる。
「どこから話しましょうか……。貴方の作った魔石を、魔石宝飾と便宜上呼称します。魔石宝飾が耳飾りと首飾りに仕立てられ、当家のマリネラ・ローレがそれを装着して謁見に出席しました」
「は⁉︎ マリネラ・ローレぇ⁉︎ 王妃の⁉︎」
「ええ、マリネラ・ローレ王妃殿下です。謁見が終わり、外した首飾りを仕舞おうとした侍女が握り込み、爆発に巻き込まれて亡くなりました」
ミケが呆けた鶏のような顔をした。上がったり下がったり、彼の表情とテンションは忙しない。最も、想像だにしないことを聞かされた人間の、当たり前の反応であったが。
「……爆、発…?」
こぼれ落ちた声もまた、呆けていた。辿々しく手を宙で彷徨わせながら、リリアナに訊き返す。
「え、意味分かんねえ……。爆発って、何だ……?」
「魔石の発動による爆発です」
「いや、だから、何で魔石が爆発するんだ?」
ミケとリリアナの会話は噛み合わない。互いに対する不信感が湧き上がる寸前、ステラはおずおずと手を挙げた。ステラに集中したミケとリリアナの視線が痛い。
「あ、あの……もしかして、ミケさんは魔石が爆発することを知らないのでは……?」
私も知りませんでした、という語尾は尻すぼみになった。
「は⁉︎」
勢いよく振り向いたリリアナに、ミケは不貞腐れながら頷いた。
「……ああ、なるほどなあ。ミケ、これに魔力を込めてくれるか」
合点が行ったと頭を掻いたクラウディオが、机の上から小さな魔石を取ってミケに投げる。まだ魔力を込められていない、乳白色の魔石だ。
「あ、ああ、おう……」
研磨されていない魔石は、ミケの掌で旅や家庭で使われるような淡い水色になった。アクアマリンの原石にも見えるそれをクラウディオが握り込むと、鍋に水が満ちた。空になった魔石を、今度はリリアナに渡す。
「リリアナ様」
頷いたリリアナが魔力を込めて手を開くと、掌に濃い青色の魔石が乗っていた。アクアマリンの原石が、今度はサファイアの原石になった。
「外に出て使って下さい。危険です」
「危険……?」
ぞろぞろと四人で扉を出る。魔石を受け取ったクラウディオが、傍にあった木にリリアナの魔石を投げつけた。
「……⁉︎」
バシャン、と凄まじい炸裂音がして、太い木の幹を氷塊が縦横無尽に貫いていた。ミケは言葉もなく、八つ裂きにされた木を見ている。
「嘘だろ……?」
ここに来てようやくと、リリアナはミケのアンバランスさを理解した。
「ミケさん、氷の壁や槍を出したことはありますか?」
リリアナが出して見せた氷の壁と槍に、ミケは千切れそうな勢いで首を振った。
ステラは机の上にあった拳台の魔石を持ってきた。
「これを、切り出して見せて貰えますか」
「おう……」
それは魔法のようだった。宝石を切り出す父の手元を見続けてきたステラとクラウディオにして、魔法のように見えた。レオがして見せたように、指先から出た水の糸鋸が魔石を手頃な大きさに切り分ける。
手品のようにしか見えなかったのはここからだ。切り分けられた魔石の一つを右手で取ったミケが、左手の掌にそれを押しつける。ほんの数秒押しつけられていた魔石の角が、滑らかな平面になっていた。ミネルヴィーノの工房にある回転盤を使った時のように。
リリアナよりも先に、ステラとクラウディオがミケの掌を覗き込んだ。汚れた掌の上に回転盤はあった。ただしそれは二人がよく知る回転盤ではなく、水が水平に回っている回転盤だった。
ミケの掌の中で、極小の渦が回転している。渦はその速度で白く濁り、聞いたことのない高い水音を立てていた。
「水って、回るものだったんですか……」
「マジか……」
ステラは間の抜けた感想を溢し、クラウディオが呆然と呟く。追って掌を覗き込んだリリアナが、深く重い息を吐きながら頭を振った。
「私に、貴方のそれらは真似出来ません」
リリアナが、水の糸鋸で魔石を切ろうとする。先日見た時よりも水鉄砲の威力は増していたが、やはり魔石を切ることは出来なかった。水の回転盤は言うに及ばない。
「……いいえ、私はおろかこの国の誰も、貴方の真似は出来ないのです、ミケさん」
掌の上で魔石の研磨が出来るほどの速さで水を回し、研磨盤を維持する。そんなことはこの国の誰にも不可能だ。
「ハァ⁉︎ そんな訳無いだろ、俺はあんたみたいに氷なんて出せねえし!」
「水を圧縮するよりも氷にするほうが容易く、攻撃にも防御にも使い勝手が良いのです。ミケさんが訓練を受ければ、私よりも容易にかつ比べ物にならない威力の氷が出せるでしょう」
リリアナの言葉は本当かと視線で問われ、ステラは頷く。
「本当です。王城の魔法師団の副団長様が、レオ君と同じことをしようとして失敗していました」
「ああ、レオも切るだけなら出来たな。……って、何で王城の魔法師団の副団長様がそんなの見てるんだよ……」
何なら第一王子殿下も見ていたが、本題ではないので口には出さなかった。
「……なあ、その水平な研磨盤、どうやって思いついたんだ? どっかの宝飾工房で見たのか?」
クラウディオの問いは最もで、ステラとしても気になる。
「いいや、そんな所に出入りは出来ねえよ。これは元々、木を切る用に考えたんだ」
「木」
と、ステラは鸚鵡のように繰り返した。
「最初は指から水を出して切ってたんだが、段々面倒になったんだ。どっかの店先でノコギリを見かけて、買う金は無かったんだが刃渡りが広いと切りやすいと思って。で、刃渡りを丸く回したら、続けて切るのが楽だったんだよ」
まさかの伐採用、まさかの効率化の産物である。リリアナとクラウディオが声も出せずに固まっている。自分の常識は他人の非常識、という言葉がある。非常識を超える規格外の化け物が目の前に居る。
リリアナとクラウディオに比べてステラが一つ有利なことがあるとすれば、それは魔石や魔法に関する前提知識の少なさだ。現実と知識の隔たりから来る衝撃が少ない分、立ち直りも早かった。
「では、ミケさんは何故魔石を研磨することに?」