6-5:お忍びの御令嬢と兄妹従者(偽)
「次はリベリオ兄様とアマデオ様と一緒に来ましょう。やはり一週間は滞在せねばですよね!」
丁寧に礼を伝えて出立したもののこっそりとしょげていると、馬の手綱を操るリリアナが察して声を張り上げた。
それは凄く楽しそうだ。ステラが頷くと、クラウディオも同意した。
「ミネルヴィーノ商会で慰安旅行するのもいいよなあ。ステラ、見晴らしはどうだ?」
「ものすごく、良好です」
リリアナと二人乗りした馬の後部に設置された鞍は一段高くしてあり、落下防止の持ち手まで付けてあった。身長差もあって、遮るものなく三百六十度が見渡せる。
リモーネ領園の北は丘陵地帯だ。見晴らしが良く危険も少ないことから、眼鏡を外した状態で馬に乗って遠くを見ている。
「どれくらい先まで見えるんだ?」
「あそこのお家の、干してある洗濯物の色柄が見えるよ」
「……家、くらいしか分かんねえ。人が住んでるかが分かるわけか」
もう一頭の馬に乗ったクラウディオが、ステラが指差した先を見て目を眇める。数キロ先に立つ家は、家という以外の情報は分からない。望遠鏡で見てみても、壁と屋根の色を判別するのが精々だ。
中央平原を北東に進んでミオバニア山脈の東端の鉱山から捜索を開始し、そこから半時計回りに王都に戻る算段だ。鉱山で聞き取りをし周囲の集落を訪ね、高い位置からその周辺も捜索するという工程を、回したコンパスの回数分繰り返す。
道中は、どこぞのお忍び御令嬢と兄妹従者という態を取ることにした。リリアナをステラとクラウディオの縁戚であると言い張るには無理がある。
「私は構いませんが、怪しまれませんか?」
「魔石が採れる鉱山は貴重な宝石も採れます。貴重な宝石を現地に買い付けに来たと言えば通りますよ」
「そういうものですか?」
「そういうものです、実際に結構居るんですよ」
宝石や貴金属に関心のないリリアナには、イメージし難い話らしかった。
「扇子をお渡ししますので、それを口元に掲げて眉間を顰めていて下さい。やり取りは従者の俺達がします」
「分かりました」
王族はもちろん爵位持ちの貴族は、市井と直接口を利くことなどしない。出会った王子王女殿下やローレ家の人々があまりに普通に会話してくれるものだから、つい忘れそうになる。
「……リリアナ様、十五時の方向に野盗の集団が見えます」
ステラの伝えた方角を、リリアナが望遠鏡で確認する。
「ああ、本当に野盗ですね。気づかれないうちに離れましょう」
リリアナの操る馬が速度を上げ、クラウディオが続いた。
「ほんっと便利だな、その目!」
「兄さん、今、兄さんの顔も服も全く見えないのです」
並走する兄の姿は、馬と混ざって茶色の雲にしか見えない。
眼鏡を首に下ろした状態で馬から落下しないよう、ステラは持ち手を握りなおした。
「リベリオ兄様が護衛を要請した理由が分かりました。近距離の安全を確保しないと、危険が過ぎますね」
「……使い方の難易度が高いな」
野盗を回避し点在する村や町で補給をしながら、十日後にはミオバニア山脈の東端に着いた。鉱山が目的であるので未開の森林に踏み込むことはなく、基本的には山道がある。
「ステラお前、そんな服持ってたか?」
生成りのシャツに足首丈のパンツ、山歩きにも耐える丈夫なブーツ。鍔広の帽子と帆布の肩掛け鞄。それらは確かにフェルリータでは持っていなかった。
「王都で買ったの。友達が選んでくれて」
「そっか」
そう答えたステラに、兄は何故か嬉しそうだった。
「兄さんが腰に剣を付けてるのも、初めて見るけど」
「飾りだ、腕は期待するな」
「……」
初夏の鬱蒼とした山道は、道幅が広くとも見晴らしが悪い。こうなるとステラの目は役に立たない。並足で進んでいた時に、それは起きた。
「そこの三人組、金目の物を出せば命だけは見逃してやるよ」
もはや定型句なのだろう台詞と共に野盗が姿を現し、十人ほどに取り囲まれた。下卑た笑い声にリリアナは応じず、黙って馬を降りた。同じようにステラとクラウディオも馬から降りる。
そうだ大人しく金目のものを渡せと笑った男が、リリアナの顔を見てさらに喜んだ。捕まえて売り払えば更に金になると、算段を弾いたのだ。
「御二方、そちらへ」
事前の打ち合わせ通り、馬の手綱を持ってクラウディオと固まる。地面から浮き出た半径二メートル余りの結界がステラとクラウディオを包み込んだ。半球状の透明な膜は、薄い紫色をしている。
「触れないことを、お勧めします」
剣を抜き放って地面に突き立てたリリアナが、静かに忠告する。
「ハァ⁉︎」
しかし、忠告を聞くような輩ならば、そもそも野盗になどならない。リリアナの反対側から近づいた男が、ステラに向かって腕を伸ばす。
どのような仕組みなのか、結界は透明であるのに音が遠い。会話が聞こえずヒッと身構えたステラの眼前、結界に触れた男の右腕が一瞬で燃え上がった。指先から肩までが真っ赤な炎に覆われ、男は悲鳴を上げた。
「ああああ‼︎」
地面を転がって火を消そうとする男を一瞥したリリアナが、水球を投げつける。火が消えても男の右腕は無惨に焼け焦げ、地面に伏したまま呻いていた。その様を見ても何の感慨も浮かべない玲瓏な美貌に、野盗が一歩後ずさる。
「きさ、キサマぁぁぁ‼︎」
鉈を振り上げた頭目らしき男に、勇気があったわけではない。部下の手前、年端も行かない少女に気圧されたことを認めたくなかったのだ。
刃のない、針のような剣の使い方をステラは初めて知った。そして人の骨が折れる音も。
振り下ろされた鉈を掻い潜ったリリアナが、頭目の胴体目がけて剣を振り抜いた。大木を切る斧のように剣は男の胴体にめり込み、巨体が横に吹っ飛んだ。
細く華奢な身体に見合わない、とんでもない膂力だった。地面に二度バウンドした頭目は、死んだように動かない。
「大人しく縄につけば、命だけは見逃して差し上げますが」
剣の切っ先をもう一度地面に立てたリリアナに、残りの野盗全員が一も二も無く武器を捨てて投降した。
「クラウディオ、縄を」
「はい、お嬢様」
結界が解かれ、すでに演技に入っているクラウディオが荷袋から縄を取り出す。
「もう鉱山までは一時間も掛かりません。鉱山を訪れる貴族や商人を狙う野盗ですね」
全員を拘束して繋ぎ、気絶している頭目はグルグル巻きにして馬に乗せた。
「あの、青い髪の男性を見たことはありませんか?」
「ああ⁉︎ 知らねえよ! クソ、こんなガキどもに……!」
ステラの問いに答えた男が、周囲に聞こえるようにわざとらしく舌打ちする。舌打ちを聞きつけたリリアナが笑う。空恐ろしくなるほど美しい、玲瓏な微笑みだった。
白い指先から、氷の塊が湧いた。氷の塊がキリキリと音を立てながら形作られ、円錐状になったそれが目にも止まらない速さで傍の木に飛んだ。氷の円錐は木に刺さるのではなく、吸い込まれるように幹を貫通した。人の胴体よりも硬く太い幹が円形に抉られて、反対側が見える。
バランスを失った木がメキメキと音を立て、ゆっくりと倒れた。
「逃げたい方は、ご自由に」




