6-3:二人の到着者
「夜分遅くの到着になってしまって申し訳ありません。アマデオ様には兄がいつもお世話になっております、リリアナ・ローレと申します」
「ステラの兄のクラウディオです」
見えてからきっちり一時間後、リモーネ領園に到着した二人をステラとリモーネ夫妻で出迎えた。リリアナはシャツの上からチュニックを重ね、足元はブーツという、領園で働く少年少女と大差ない格好をしている。
「あらまあ、リベリオ様の!」
「はい、妹のリリアナです。これは手土産ですが、よろしければ」
リリアナがアマデオの母君に渡した袋には、ローレで採れる岩塩が詰まっていた。平野部の領園では貴重な調味料だ、料理上手な母君の顔が綻んだ。
「すぐにお部屋をご用意致します、今日のところはゆるりとお休み下さい。これは明日の朝食に使わせて頂きますね」
「ありがたくお邪魔させて頂きます。ステラ姉様と同じ部屋だと助かるのですが」
「!?」
突然の同室希望に狼狽するステラを置き去りに、家族旅行などで使われる二間続きの客室が速やかに用意された。義理の妹とはいえ、公爵家の姫君とまさかの同室である。ステラが先程使っていた一人部屋は、クラウディオが使うことになった。
荷物を持って移動し、背負っていた細長いケースをリリアナがソファに置く。二つあるベッドをどっちが使うか決めている最中にノックが鳴って、兄の声がした。
「失礼します、リリアナ様。リモーネ夫人が飲み物をくれました、どこに置きましょう」
「ありがとうございます、クラウディオさん。そこのテーブルにお願いします」
頼まれたクラウディオが、四人掛けのテーブルにポットとカップをセットする。時刻は夜の二十一時、この二間は寝室と応接室が別になっている。男性を含める打ち合わせ場所として、確かに使いやすかった。
「突然すみません、ステラ姉様。同室のほうが、打ち合わせがしやすいと思ったのです」
「大丈夫です。それより、リリアナ様がここに来られるとはローレでまた何か? ローレにはミオバニア捜索の護衛をお願いしていたのですが……」
リリアナとは結婚式の次の日に別れた。グレゴリオの移送の後は、ゴッフリートの指示に従うようにとリベリオが言い含めていた。そのリリアナがリモーネ領園まで来るとは、また何か、それも悪いことが起きたのではと気が気ではないステラにリリアナは首を振った。
「グレゴリオ伯父様はシルヴェストリ様と予定通り王都に向われました。続報は特にありません、ステラ姉様の護衛は私です」
ステラは自分の耳がおかしくなったのかと思った。
何度反芻しても意味が消化できず三人分の紅茶を用意している兄を伺うと、兄は真顔で頷いた。
「お前の気持ちはよく分かる。分かるが、護衛は確かにリリアナ様だ」
「はい!?」
どうしてそうなった、という衝撃が眼鏡越しにも顔に出ていたのだろう。リリアナとクラウディオが、ステラ達が王都に戻った後のことを話してくれた。
「続報は本当に何も無いのですが」
そう、リリアナは前置きする。ステラとリベリオがローレを出立して数日後、予定通りにグレゴリオもローレを発った。ステラ達ほど強行軍ではなくある程度の様式を保って移送されるため、王都への到着はもう少し先になるとリリアナは説明した。
「私とリベリオ様が王都に居たのは正味二日です。その間には到着されませんでした」
「貴人の移送だからな。馬を代わる代わる走らせて野宿とは行かないだろう」
シルヴェストリが連れてきた手勢で馬車を囲みながら移動し、宿場町でも公舎を使って、万が一にも王都に到着しない事態を防ぎながらの移送だろうとクラウディオが補足する。
「国王陛下の沙汰に従うのは当然のことですが、ローレでも何か出来ないか皆で気を揉んでいたところに、兄から手紙が届きました」
鳩を使ったリベリオの手紙は、ステラも事前に見ていた。リベリオはフェルリータで流通を探ること、ステラはミオバニアで魔石宝飾を作った人間を探すこと。ステラが捜索をするための護衛をローレから出して欲しい、と書いてあった。
「フェルリータに兄が行くとありましたので、まだローレに滞在していらっしゃったミネルヴィーノ家の皆様に協力をお願いしたのです」
「ステラが仕事でトンボ帰りしたって聞いたあと、三人でローレを観光してたんだよ」
「……ごめんなさい…」
グレゴリオの移送も魔石宝飾の威力のことも、あの場にいた人間で戒厳令を敷いた。中庭で食事を楽しんでいたステラの家族には、伝えなかった。
「これは言えないだろう、気にするな」
「ミネルヴィーノの皆様に事情を説明し、フェルリータに戻って兄の力添えを依頼したのですが……」
三人分のレモンティーを完璧にセットしたクラウディオに、リリアナが視線を向ける。
「いやあ、どう考えても俺が必要なのはこっちだろうと思いまして」
「……とのことです」
「クラウディオ兄さん、ミオバニアの鉱山に詳しいの?」
「任せろ、地図もあるぞ」
クラディオが広げた地図はステラが持たされた地図よりもミオバニア山脈に特化しており、等高線はおろか、鉱山への入り路や近くの集落や市場まで書き込んであった。慌ててステラも地図を広げると、一通り見比べてクラウディオが頷いた。
「魔石の採れる周辺を探すんだろ。人が住める場所にはそこそこ心当たりがあるぞ、あとは回る順番を決めるだけだな」
「凄い……。兄さん、兄さんは魔石って見たことある?」
「あるだろそりゃ。フェルリータは仕方ないけど、便利だよなあ」
ステラは、フェルリータで魔石を見たことがほとんど無かった。フェルリータが魔石を拒んだ都市であることも知らなかった。兄に関しても、ステラは兄がフェルリータに持ち帰った石を見るばかりで、兄がどう国内を回っているかなど考えもしなかったのだ。
地元を出てこちら、眼鏡を得て近くが見えるようになり、さらに遥か遠くが見えることが判明したというのに、自分がいかに視野が狭く世間知らずだったのかを突きつけられるばかりだ。
「……ありがとう兄さん、頼りにするね。それで、あの、リリアナ様は……」
衝撃としてはクラウディオの案内役よりもリリアナの護衛の方が大きい、恐る恐るリリアナを窺えば眩い笑顔が返ってきた。
「兄様のご友人の方々より私の方が強いので、私が参りました!」
勇猛で知られる北方軍の騎士達より強いという申告が、目の前の超絶美少女と結びつかない。鹿を獲れることは知っているが、いや、しかし。
「えええ……」
「家宰さんにも確認した。事実だそうだ」
ステラが呻いていると兄が保証してくれた。本当か、本当なのか。
「お疑いなのは分かります。ただ、今回の事件に無関係の騎士を護衛として出すだけ、というのはローレの矜持が許しません。賊の数十人には引けを取りません、どうぞ護衛としてお連れ下さい」
リベリオの妹であり公爵家の姫に騎士の礼を取られて、ステラは半ば恐慌状態でガクガクと頷いた。これではリリアナが従者のようだ。
「わかっ、分かりました! 分かりましたので!」
「はい、ステラ姉様」
腕を下ろしたリリアナは、やはり凛とした超絶美少女だった。質素で動きやすい格好をしていても、顔面力が違う。
「ステラと俺だけの護衛無し捜索ルートも考えていました。ローレから来て下さった護衛に文句なんてありませんよ、リリアナ様。それより、あのケースは武器ですか?」
話題の転換に長けたクラウディオが、ソファに置かれた細長いケースに視線を向ける。背負い紐の付いた楽器ケースのようなそれを、リリアナがテーブルの上に置いた。
「はい。出立しようと通路を歩いていたら宝物庫が開いていましたので、使い勝手の良さそうな魔剣を拝借しました」
「魔剣」
とは。
リリアナがケースを開くと、内側には美しい銀色の剣が横たわっていた。
「……これは剣ですか?」
「剣です」
クラウディオが問い、リリアナが肯く。
全長一メートルほどの魔剣とやらには、刃が無かった。平たい刀身も鍔もない真っ直ぐな棒状のフォルムは、剣というよりも巨大な縫い針だ。白金に輝く鋼に継ぎ目も見えず、糸通しの穴のような持ち手をぐるりと囲むのは赤と青と緑の大ぶりの魔石たち。
「……」
見たことの無い物であっても分かる、その値打ちたるや。どう考えても、こんな物を置いている宝物庫を開け放っておくはずがない。真顔で沈黙したステラとクラウディオにリリアナは笑う。
「分かっています、宝物庫がただ開いているわけがないんです。……多分、誰よりも来たかったのは祖父なのだと思います」
身に覚えがないことではなく、意図的ではなくとも人が亡くなった。不都合を権力で撥ね付けるような真似を、前ローレ公爵兼北方軍総司令ゴッフリートは何よりも嫌った。リリアナは、今ローレが動かせる最大戦力だ。
「学校には家の都合と伝えて休学しました。人の口に戸は立てられません、ひと月も経てばマリネラ様と伯父に容疑が掛けられた件はローレ市中に届くでしょう。厚かましいことは重々承知ですが、どうか力を貸して下さい」
ステラとクラウディオの視線の下に、深々と下げられた紫紺の頭がある。不思議と、先程の敬礼よりも慌てなかった。
「……リリアナ様、あの、お忘れかもしれませんが私もローレ姓なのです」
リリアナが弾かれたように顔を上げた。
「リベリオ様は、誰もおかえりと言ってくれなくなるのは寂しいと、言っていました。だから私も、リベリオ様の力になりたいのです」
美しい眉間がぎゅうと絞られる。ステラが初めて見る、年相応のリリアナの表情だった。泣き出しそうなリリアナが差し出した手を、ステラは両手で握った。白い手の甲の内側は皮が硬くマメだらけで、爪はギリギリまで短く切り揃えられた、リベリオよりも小さな、けれど同じ騎士の手だった。
ぷるぷると頭を振ったリリアナが気合いを入れ直す。
「頑張ります、御二方を危険な目には絶対に遭わせません。呼べばお祖父様も来ると思いますので」
それは遠慮したい。