5-17:それぞれに
支給品以外の服を、リベリオ・ローレは持っていなかった。
そも、リベリオは幼い頃を湖水の村のお下がりで過ごし、北方軍、北方騎士団ではシャツ、ズボン、靴、下着など全て支給品で過ごしていた。リベリオが手にする給金は仕送りのためであり、物欲が皆無であったこともあって、私服を買う機会が無かったのだ。
「諜報活動に騎士団の支給品で行く馬鹿が居るか」
とは、今現在リベリオに服を充てがっているアマデオの言葉である。出立に向けて、面倒見の良いリベリオの親友は百貨店で必要な衣服を選んでくれた。
「……よし、こんなもんだろ」
アマデオが選んだのは生成りのシャツにグレーのズボン。薄手のコートを羽織って、見えない位置に短剣を。ケースに入れた弓を背負えば、見た目だけは旅装の出来上がりだ。
リベリオの格好を上から下までチェックしたアマデオが、出来栄えに頷く。
「騎士服は白シャツと白ズボンを汚さないことが規範とされるが、一般市民は汚してもいい色の服が基本だ。支給品で行けば一発で身元がバレるぞ」
「助かった」
本当に助かった。リベリオだけでは何を着てフェルリータに向かえば良いのか分からなかった。本来であれば、こういったことの相談のために存在するのが査察部だが、リベリオを始めとした北方騎士団は現在立ち入りを禁じられている。
「小銭と金貨は多めに持っていけ」
「小銭と金貨?」
リベリオは首を傾げた。調査に行くのに、なぜ多めの金銭が必要なのだろう。
「酒場と宿を使えば情報が手に入るし、探す物が物だけに高級店に入ることもあるだろ。……ああ、くそ、俺も行ければ良かったんだが」
アマデオは子供を初めておつかいに出す親のような心配をしているが、同い年である。そんなに心配されるほど、自分は危なっかしいのだろうか。
「アマデオは、目立つだろう」
「分かってるよ。俺の髪色は目立つし、お前がそれなりに頭が回ることは知ってるんだが……無茶をしそうで、怖いんだよ」
「無茶」
とは。
「お前は固執しない、欲が少ない。そういう人間は自分の命を勘定に入れないから、心配になる」
「……」
そんなつもりは、と反論しようとして押し黙る。自分を勘定に入れない、という意味は分からなかったが、固執や欲というのは確かにリベリオの中で希薄なものだった。
「ステラ嬢がご実家に書いた手紙はちゃんと持ったか? 忘れ物は無いか?」
「ああ、持った、大丈夫だ。アマデオのご実家にも世話を掛ける」
「気にするな。少しは役に立たせろ」
アマデオの実家は北方領で最も南にあり、場所は王都の北東にある。ローレと王都を繋いだ中間よりも、王都寄りの位置だ。王都を出て一日分進んだのち、ステラだけがアマデオの実家に向かい、そこでローレから出してもらう護衛と合流する。
ステラの目はすさまじいが、土地勘は無く戦闘にも向かない。一人で野営をするにも危険があるため、リベリオはローレに護衛を要請した。
「伝書鳩を昨日ローレに飛ばした。街道からアマデオの実家までは四日、ローレから護衛が南下して合流するのにちょうどいいくらいだろう」
「王都からは兵を動かせないからな……」
結婚式で会った北方軍の元同僚達、ステラにも紹介した面識のある誰かが護衛についてくれると有難いと書面には書いた。
弓の入ったケースと荷物鞄を背負って、私室を出る。リベリオの私室は騎士団の居住棟の最上階にある。居住棟は所属と階で部屋を分けられ、階段を降りていく途中で数人の騎士とすれ違った。
(こんな時期に妻の実家に挨拶などと)
(浮ついた若造はこれだから)
北方騎士団ではない騎士たちの、密やかな陰口が耳に届く。彼らの陰口を、リベリオもアマデオも咎めなかった。周囲にそう思って貰うために、フェルリータへの旅行を公にしているのだ。北方騎士団の部下の反応は様々だった、不信の目を向けてくる騎士も居れば、薄らと目的を察したのだろう深く礼をした騎士も居た。
出立の挨拶をするべく、魔法師団の詰所に寄った。早朝の詰所には人が少なく、軟禁中の第一王子殿下だけがソファに寝転がっていた。
「あー……おはよう、リベリオ君」
「おはようございます、マリアーノ殿下。予定通りこれより出立します」
机には引き続き、レオが切った魔石が転がっていた。徹夜で研究をしていたのだろう。のそのそと起き上がったマリアーノ殿下が、躊躇いなく机の上のコーヒーを飲んだ。夜に淹れてそのまま放置されたコーヒーは、酸化して不味いことが想像に難くない。
「はい、これ餞別」
革の小袋を手渡され開くと、中には指輪と宝石が幾つか入っていた。
「貰い物の僕の私物。使わないから、質屋に行って換金して土産でも買いなよ。フェルリータならいい値がつくと思う」
質屋も探れ、という意味だ。ありがたく受け取って、懐に入れた。
それからマリアーノ殿下はリベリオの身なり、持ち物などをチェックしてくれた。項目はアマデオとほぼ同じで、自分は一体どう思われているのかとリベリオは困惑した。眉を顰めて難しい顔をしたリベリオに、六歳年上の王子殿下は笑う。
「リベリオ君は北方軍と北方騎士団以外の外に出たことがないだろう。フェルリータで浮かないか、心配」
王城で産まれ自由に外へ出られない筈の第一王子殿下が、そんなことを言う。
「……アマデオにも、同じことを心配されました。お前は、欲が無くて自分を勘定に入れないから、無茶をしそうだと」
「いい友人を持ったね」
視線を向けられたアマデオが、王子殿下に頭を下げた。
「私は、そんなに危なっかしく見えますか」
「リベリオ・ローレ騎士長の能力と忠勤を疑う人間は、城には居ないよ。ただ、今回の場合は、何て言うんだろうなあ……事態の背後に透けて見える欲がヤバい」
「欲」
リベリオは鸚鵡返しに唱えた。言い慣れない、およそ口に出したことのない単語だった。
「そう、欲。リベリオ君に最も縁遠いものかもしれない。リベリオ君にとって、北方軍や、王都は居心地が良かったろう?」
「はい」
質実剛健で知られる北方軍、余計なものを削ぎ落とした効率王の王都、どちらも人の欲には程遠い。自らを律し、何も考えず打ち込める仕事がある環境は、リベリオにとって居心地が良かった。
「でも、魔石宝飾は違う。こんな物を作る輩が、どこまで何を欲しがっているのか、想像しただけで怖気がするよ」
滑らかで美しい声が、毒を孕んで吐き捨てた。
「マリアーノ殿下は、犯人の予想がついていらっしゃいますか?」
「見当が多すぎて絞れない。から、これを作って何をしたいのかを考えてる」
マリネラ妃が謁見の間に着けて入ったため容疑は国王暗殺になっているが、マリネラ妃が私室で亡くなる可能性もあった。国王を暗殺したいのか、王妃を暗殺したいのか、ならばなぜ、なんのために、それとも。
「それを探りに行くのが、私の役目です」
「そうだね。でも、その過程で見る物を、君は理解出来ないかもしれない」
ステラに対し明言を避けたリベリオとは違い、マリアーノ殿下の言葉は直載で容赦が無かった。
リベリオを見据える金色の目は、常人では考えの及ばない遥か未来を見通す目であり、麗しい唇から放たれる声は予言ではなく、経験則と膨大な予測に伴う警告だった。
「僕の歳下の叔父上殿、祖父も母も僕も、君の無心の忠勤に感謝している。思う存分楽しむ時間は無いが、フェルリータという街を見てくるといい。フェルリータはカルダノ王国の中央、全ての文化と欲望が集まる都市だ」
君の視野が広がる旅であることを祈っているよ、とマリアーノ殿下は結んだ。
魔法師団の詰所を出て東通用門に向かう途中、リベリオはふとアマデオに尋ねてみた。
「アマデオ、俺はそんなに視野が狭いだろうか」
「視野が狭いっていうより、目がまだ開いてないんだよ」
そう、リベリオの親友は答えた。
第一王子殿下の警告と、この時のアマデオとのやり取りを、リベリオは後に何度も反芻することになる。
王城の東通用門には、リベリオの妻が待っていた。
白のブラウスにベージュのスカート、つばの広い帽子を被っている。私服のリベリオと併せて立てば、正しく旅行の装いだ。侍従長のツテで手配をしてもらった馬車に荷物を積み込む。馬車は二頭立ての豪華なもので、アマデオとカーラによって花輪が飾られていた。浮かれた旅行の演出らしい。
これから一日分を東に進み、二頭のうち一頭に乗ってリベリオはフェルリータへ、ステラはそのまま馬車でアマデオの実家領へ向かい、そこからミオバニアの捜索にあたる。
季節は春の半ば、もうひと月もすればカルダノ王国には夏が来る。眩い季節の訪れとは裏腹な、探す先の悍ましさを考えずにはいられなかった。