5-16:分つ、担う
『星の目を持つ娘よ、千里を見通すというその目をもってローレ騎士長と我が国に害を成さんとするものを取り除くがよい』
公式式典ならではの、大仰な言葉だ。ステラの目は千里先など見えないし、害を取り除くような力も持っていない。
『この目に誓いまして』
と、ステラは応えた。見たくないものを見るかもしれない不安と、役に立ちたいという克己心は、常にステラの中に共存している。
例え力不足でも、不安に塗れていようとも、それが本心からの誓いであったことだけは間違い無いのだ。
「星が綺麗ですね」
「ああ」
話し合いは深夜に及び、午前一時を回ったところで一旦解散となった。明日も昼から魔法師団で話し合いだが、使用人棟に戻るステラをリベリオが送ってくれている。渡り廊下を通ったところ、どちらともなく中庭のベンチに二人並んで腰掛けた。
静まり返った夜の中庭に人気はなく、群青の空には星が瞬いていた。新緑の匂いのする空気が少しだけ冷たい。春はカルダノ王国の一番美しい季節だ、不安と期待を抱いて王都へ来たときから、ちょうど一年が経っていた。
「その」
「あの」
話始めがぶつかり、どうぞ、そちらからどうぞの定番のやり取りをして、ステラから話し始めた。
「勝手に、ミオバニアに行くと決めて、あの……」
すみません、では無いような気がして押し黙る。
「殿下が考えて下さった通り一緒に東門を出て、一日後に別れれば問題ないだろう」
別行動になる夫婦に、マリアーノ殿下は岐路を考えてくれた。出立は明後日の早朝、フェルリータに向かう街道を東に一日分共に進み、そこからステラだけ北上に切り替える。
「……フェルリータに行くよりもミオバニアを探す方が役に立つと、思ったんです」
フェルリータの商会にはステラの顔を知っている者も多い。王都に就職した人間が一緒に居ると、聞き込みなどが不利になることもある。案内が必要ならば、ステラの実家に頼めば充分に代用が効く。
一緒にフェルリータに向かうよりも、この目はミオバニア捜索の方にこそ有用だと思った。だから、すみませんと謝るのは違う気がするのだ。
ふうううう、とリベリオが息を吐き出した。いつかの鐘楼で聞いたのとは少し違う、大きな大きな吐息だった。
「……貴女の判断は正しい。ミオバニア山脈の捜索に、その目ほど適した望遠鏡は無い。無いが」
紫紺の前髪をグシャリと掴む仕草に、リベリオの葛藤が見て取れた。優しい人だ、リベリオはいつだってステラに優しかった。
「……私はずっと目が見えなくて。眼鏡を外したらリベリオ様の顔が見えないのは、今も何も変わっていないのですが」
「ああ」
「遠くが見えることが分かって嬉しくて、役に立てるって。でも、怯えて目を閉じてしまったら、眼鏡が無かったときと何が違うのだろうと」
眼鏡を得る前の一寸先も見えなかった状態と、自ら目を塞いで引きこもる状態は、過程こそ違えどそのままでは何も得られないという結果は同一だ。
眼鏡を外す。リベリオの顔も中庭の風景も見えなくなって、けれど星だけはよく見えた。採光機能もあるのだというこの目は、夜のミオバニア山脈も真昼のように見通すことだろう。
「……リベリオ様は、見に行けと私に命じないでくれました。だからせめて、自分からは目を閉じないでいようと思ったんです」
星の目を持つ娘とは大仰に過ぎる呼称ではあった。けれどそれは、期待に応えられなかった自分に、新しく寄せられた期待でもあったのだ。
「……俺はまた、明言を避けようとした」
「いいえ。誰かに命じられたら、私はまた怯えて目を閉じていたかもしれません。リベリオ様が黙っていてくれたから、自分で考えて、言い出せたんです」
リベリオは命じも、急かしもしないでくれた。三度の深呼吸など、そう待って貰えるものではない。
「……強い貴女に恥じる思いだが、少し、弱音を聞いて貰えるだろうか」
「ふえっ⁉︎」
ステラは目玉が飛び出しそうなほど驚いた。強いと言われたことも、弱音を聞いて貰いたいと言われたことも人生で初めてだったからだ。ステラはいつだって気弱で、誰かに手を引いて貰ってばかりだった。眼鏡を掛けなおして、姿勢を正す。
「わ、私で良ければ……⁉︎」
「ありがとう。……北方騎士団の詰所で皆不安がっていた、ローレはどうなるのかと。エヴァルド殿下も言っていた、寄る辺が無くなるのは想像だけで恐ろしいと」
膝の上で指を組んで、鳶色の目が夜空を仰ぐ。
「俺は、寄る辺というものにあまり実感が無くて」
「はい」
小さなリベリオ少年は物心ついた頃から湖水の村で生活し、屋敷には寝に帰るばかりだったという。懐かしむべき我が家、というものが無いのだ。
「でも、今回のことで伯父上や、マリアーノ殿下、マリネラ様が居なくなったら、ローレにも王城にも俺におかえりと言ってくれる人が居なくなって。それは、随分と……随分、と」
「……視界が狭くなって胸が苦しくて、足元が覚束ないような心持ち、でしょうか」
「ああ」
「それをエヴァルド殿下は、寂しい、恐ろしいと言われたのだと、思います」
リベリオの目は鳶色であるので、鳩ならぬ、鳶が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……どうして、そんなに分かるんだ?」
「私に帰る家が無いからです。フェルリータに行けば、おかえりではなく、よく来たね、と迎えられるでしょう」
丸く見開かれていたリベリオの目が、今度は剣呑に顰められた。ただの事実なので、そんな怖い顔をしないで欲しい。ステラは王都で十二分に恵まれている。
「だから、あまり行きたくなかったのもちょっと、あったり、……なんて」
「――家が欲しい」
「へ?」
「したいことが思いついた。王都に家を持って、一緒に住もう。そうしたら、俺が貴女におかえりと言う」
「は、はい……⁉︎」
呆気に取られるとはこのことだ。おかえりと言ってもらえないリベリオの話をしていたはずが、リベリオがステラにおかえりと言う話になった。頭の回転の速さが違う、そしてやっぱり言葉が足りない。
けれど、
「いいですね、家。そうしたら、私もリベリオ様におかえりと言って」
リベリオはいつだって、一番的を射た案をステラに提示してくれる。
「広い家を作れば、リリアナや伯父上、伯母上も何かあったときに呼べるだろうか」
「部屋数を増やしましょう。実家は表が店で、裏が居住部分になっていて、住み込みのお弟子さん達も居ました」
意外にも、互いの希望はポンポンと矢継ぎ早に出た。まだありもしない家を考えることはとても楽しかった。
「では、表部分は貴女の店だな」
「店?」
ステラは首を傾げた。何故そこでステラの店なのだろう。ステラも首を傾げているが、リベリオの方が首の角度が深い。当然のことを言ったのに、何故首を傾げられるのかという顔をしている。
「違うのか?」
「ああ、いえ。考えたことが、なくて……」
ステラにとって店とは継ぐものであって、自分で開くことは考えたことも無かった。
「今から考えてみればいい。一緒に考えればいいと貴女が言ってくれた。俺達は、夫婦なのだろう?」
無表情気味の顔が緩んで。鳶色の目が細められた柔らかい笑顔に、ステラの心臓が跳ねた。
「は……」
「……顔が赤いが、大丈夫だろうか?」
「は、ひ、ひっ、ヒエッ……!?」
鼻先がくっ付きそうな至近距離で顔色を確認され、顔は益々熱くなった。夜目にも分かるほど、ステラの顔は赤いらしい。顔と耳が熱い、胸がバクバクと忙しなく脈打って、喉を掻きむしりたくなるような。次から次へと湧き出る、春の泉のように鮮烈なもの。
眼鏡越しに見たリベリオの顔が、やたらと鮮やかに見えた。端正で穏やかな顔立ち、ステラを心配そうに覗き込む鳶色の瞳。
ステラはリベリオのことを地味仲間だと勝手に思い込んでいた。地味だなんてとんでもなかった、同僚達がローレ騎士長が通るたびにはしゃいでいたことを、今更ながらに思い出して地面に顔を埋めたくなった。宝飾室の管理官など名乗れない、とんだ節穴だ。
婚姻届を出し式を挙げた相手の顔を、ステラはこのとき、本当の意味で初めて見た。胸を満たす感情をどう受け止めたら良いのか分からない、そして受け止めるも何もステラが恋をした相手は、ステラの夫だった。
先程と同じように深呼吸を三回して、リベリオに向き直る。
「だ、大丈夫です。……あの、私、頑張りますね。レオくんのお兄さん、見つけて来ます」
「巻き込んで、すまない」
謝罪したリベリオに首を振って、膝の上で硬く結ばれた手に触れた。節くれだった手は夜風と、ずっと握りしめていたせいで冷たかった。
「リベリオ様、私がちゃんと見つけて来たら、『ありがとう』と言って貰えますか」
「……今すでに礼が言いたいが」
見つけた後でお願いしますと笑った。ステラはまだ何も見つけていない。
「では、頼りにしている」
「はい!」
それは、ステラが一番欲しい言葉だった。本で読んだ美辞麗句に飾られた求愛の言葉よりも、嬉しい言葉だった。
ずっと、誰かの役に立ちたいと思っていた。今は、見知らぬ誰かの役に立つのではなく、リベリオの力になりたい。これからも、一緒に歩んでいくために。
春の夜風が頬を撫でる。星を見上げて繋いだ手が、じんわりと温かさを分け合って。
広大なミオバニア山脈で、ステラがレオの兄を見つけられるかは分からない、ローレ家の人々がどうなるのかも。何一つ先のことが見えない中で、けれど、この人に求婚したことを後悔することはないと、そう思えた。




