5-14:青い青い髪の子供
ルーチェ殿下と宝飾室に帰還の挨拶を済ませ、部屋の荷解きを済ませたときには日はとっぷりと暮れていた。マリアーノ殿下の詰所に向かおうとしたステラを止めたのはアンセルミ侍女長で、城の厨房に寄って食事を受け取って行くようにと指示された。事実食事が必要な時間であるし、ステラが魔法師団に向かう理由にもなる。
城の厨房にはすでに言伝がされており、カートに夕食が用意されていた。料理の説明に出て来た料理長は、カーラとステラの無事を喜んでくれた。豚肉と野菜の炒め物と、魚介類のパスタはビュッフェ用の大きな銀盆に盛られ、バゲットもまとめてバスケットの中だ。
「アンセルミ様と料理長はいつも通りに見える、けど……」
魔法師団の詰所に誰が何の目的で集まるのか、一見して何人前かが分からないようにしてあるのだと、カートを押しながら気づく。事件から半月が経っている城内は使用人が減って、代わりに巡回の騎士が増えていた。厨房から魔法師団の詰所までに、近衛師団、南方騎士団の見回りとすれ違った。
官僚、侍従、清掃といった普段であれば何回もすれ違う人達は影もなく、聴こえるのは巡回の騎士達の足音のみ。誰しもが怯え、業務以外では廊下にすら出て来ない。侍女長と料理長は、努めていつも通りに振る舞っているのだ。
魔法師団の詰所の前には見張りが四人。二人は近衛師団の騎士服、もう二人はステラが見たことのない制服を着ていた。
「アンセルミ侍女長より、夕食を運ぶよう命じられました」
見張りが顔を見合わせ、三人がカートの中身とステラの所持品をチェックし、もう一人が中に声を掛ける。ややもしてエルネストが顔を出した。
「ああ、夕飯を持って来てくださったのですね。ありがとうございます、配膳もお願い出来ますか?」
「はい」
料理は大皿料理ばかりで、取り分け用の皿もカトラリーも纏められたままだ。扉を開けてもらい、カートを押して詰所の中に入った。終業後の詰所の中に他の団員はおらず、リベリオ、ナタリア、ナタリアの横に座るレオ、集まる約束をした面々は既に集まっていた。それから、皆が座るテーブルセットの奥、相変わらず雑然とした執務机には。
「やあ、おかえりミネルヴィーノさん」
「ただいま帰還しました、マリアーノ王子殿下」
テーブルセットの所までカートを押してから、その横で膝を折った。黄金の目の神秘的な美貌、ちょっとボサついた絹の黒髪、一つだけ違ったのは滑らかな首に荊のような黒の刺青が入っていたことだ。毒々しくとぐろを巻く黒蛇のようなそれに、ステラは目を見開いた。
「あ、これ? これが魔封じの首輪」
「……襟の高いシャツを勧めたのですが…」
着て下さいませんでした、と首を振るエルネストの嘆きは深い。
「人から見えないと意味が無いからね。初めて見るなら説明しようか、エルネスト、代わりに料理取り分けて」
「ああ、もう……。ミネルヴィーノ女史はどうぞ、リベリオ殿の隣に」
目上の方に取り分けてもらうのに気は引けたが、そもそも王子殿下の命である。蓋や布だけは取って、ソファに座るリベリオの隣に腰を下ろした。
「魔封じの首輪は首輪そのものじゃなくて、首輪を媒体にした呪術なんだよ」
「じゅじゅつ」
ステラは音だけを復唱した。ステラの脳内のメモのどこにも、その単語は存在しない。
「人に枷を嵌めて苦しめたり行動を制限する魔法だね。この首輪に呪術を施しておくんだ」
マリアーノ殿下が持ち上げたのは、細い金属の輪っかだった。犬猫に嵌める革製品を想像していたステラの想像とは、全く違う。
「これを首に嵌めると、呪術が肌に染み込んで首にアザが浮き出る。首輪自体はそれで用済み、外しても罪人だと見て分かる。作り方は門外不出、作り手は国に一人しか居ないし名前も居場所も公表されない。解呪の許可は国王陛下のみ」
すらすらと首輪の仕組みを説明するマリアーノ殿下の首元を、ステラは直視できない。
「そのようなものを、ご自分で装着されたのですか……」
「必要だったからね」
と、この国の第一王子はこともなげに答えた。そうだったそういう御方だった、と項垂れたステラに、エルネストがコーヒーを出してくれた。
「僕が捜査するのが一番早い。で、グレゴリオお祖父様に聞き取りは出来たかい? 何か情報ある?」
「首飾りと耳飾りは、昔から出入りのある外商から伯父が購入しました。仕入れ先は聞かなかったそうですが、ローレの前にフェルリータに寄ったと話したと」
マリアーノ王子の問いに、リベリオが答えた。
「フェルリータかぁ……行商の出入りは多いし、雑然としてるし、魔石の知識は薄いしで、うってつけといえばうってつけだなあ」
ローレ家の家宰によって帳簿が持って来られ、行商の名前と購入日、金額などが確認された。行商自体はローレ家に前々から出入りのある人間で、宝石以外にも絵画や彫刻、室内の設えなど手広く取り扱っていた。
「首飾りも耳飾りも、ルーペで確認はしているでしょう。ですが、あれだけ見事にカットされていたら、最上級の宝石だと判断してしまうのも仕方ないように思えます」
ステラが言い添える。魔石はカット出来ないという事実を知っていればなおのことだ。魔石に対する先行知識があればあるほど引っかかる。もしかして、とステラが疑えたのは知識が浅いからだ。
「明日、フェルリータに向かおうと思います」
隣に座っているリベリオがフェルリータへの出発を申し出て、ステラは目を見開いた。
「私が留守の間の通常業務は、アマデオに一任します」
北方騎士団はこの件についての仕事は無く、リベリオが居なければ出来ない任務は無い。完全な手持ち無沙汰だ。
「いいね。奥さんの地元にご挨拶ってことでどうだろう」
「はい」
口数が足りない人間と、説明を省略する人間の会話は早い。情報を捕捉するのに苦労するのは周囲の方だ。
「行商本人か、どこで買ったかを見つけたいね。査問会は夏の終わりだ、じっとして待つ余裕も手掛かりも、僕たちは持っていない。……これも」
マリアーノ殿下が机の上で転がしたのは魔石だった。大きめの拳大で乳白色をしており、何の魔力も込められていないことが見て取れた。周囲には刃物や金属製の糸が散らばっている。
「何とか切れないか、ルカーノと試してみたけど」
「ダイヤモンドの刃でも、切れませんでしたわ……」
試したことのあるナタリアが首を振った。おおよそ、考えつく限りのことはしたが、傷ひとつ付かなかった。採掘される魔石の大きさは様々、魔石は採れたがままに使うしかない資源だ。
「ダイヤモンドより硬い刃があったとして、僕が思いつかないのに誰がって話で……参るねえ」
魔石を手の中で転がしていたマリアーノ殿下の机に、ナタリアの横から立ち上がったレオがよたよたと近づいた。足元は恐る恐るという感じであるが、青い目はキラキラと輝いていて、興味津々だ。
ローレから王都まで馬車旅を一緒にしたレオは、常にナタリアかエルネストにくっ付いている恥ずかしがりの子供だ。こんな風に目を輝かせているところを、ステラは初めて見た。
「……触ってみたいの? いいよ、エルネスト、うっかり魔力を込めないようにちゃんと見てて」
マリアーノ殿下は子供の興味を邪険にしない。柔らかい布で魔石を包んで、レオに手渡した。
「レオ、殿下にお礼を言おう。それと、魔石は握り込んだらいけないよ」
「ありがと……」
ございます、と唇が動いて、青い青い髪がぺこりと下げられた。布に包まれた魔石を顔の高さまで持ち上げて、右から左からとレオが眺める。貝殻のような爪がついた指先が宝物に触れるように表面をなぞる。
シュン、と鋭く軽い音がして、
真っ二つに割れた魔石が、床に落ちた。
「は?」
行儀悪く頬杖を突いていたマリアーノ殿下の肘が滑る。横についていたエルネストもソファで見守っていたナタリアも、完全に固まっている。見たものが信じられず硬直している大人の中で、割れて落ちた魔石を拾い上げたレオがニコニコと笑う。服と床が奇妙に濡れているのに表情はご満悦で、褒めて貰えるのを待っている。
「い、い、いま、レオくん何をしました、か⁉︎」
ステラには、レオが指でなぞった魔石が割れたように見えた。転がるように机から出てきたマリアーノ殿下が、レオの前に膝をついた。
「もう一度、今度は僕に見えるように同じことをしてくれるかい?」
レオが頷く。魔石に小さな人差し指を当てて、だが今度は魔石と指先の間に少し距離があった。
「⁉︎」
「!」
とんでもない水音と飛沫が、レオの手を中心に飛び散った。眼鏡を掛けているステラと、水音と飛沫に全く怯まなかったマリアーノ王子だけが、何が起きているかを把握した。
レオの小さな指先からごく細い水の線が放たれ、魔石が水の糸鋸で切断されている。見えるように、というお願いをレオはきちんと守り、ゆっくりと糸鋸は進む。水をバシャバシャと落としながらも、魔石を黒い線が進み、そう時間を掛けずに切られて落ちた。
目の前で起こった事が、脳で上手く処理出来ない。目を見開いて固まっていたナタリアが、どうにか我に返る。
「レ、レオ……、どうやって、いるの、かし、ら?」
何が起きているのかを把握できなかったエルネストとナタリア、リベリオのために、レオは木製の机の角を水の糸鋸で切り落としてくれた。五センチはある分厚い天板にレオがなぞった通りに線が入っていき、綺麗な断面で切り落とされた。
「……マジ…?」
水浸しになった部屋の中で、王国最高の頭脳を誇る第一王子殿下が、呆然と呟きを落とした。