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1-6:父と眼鏡

「うぅ…左手が使えれば…、ううん、見えるだけでも全然…慣れれば全然…慣れれば…」

「……何を一人でブツブツ言ってるんだ?」


 工房の隅で作業机に齧り付き、独り言を繰り返すステラに声を掛けたのは、父だった。

 栗色の髪と緑の目を持つ父は、フェルリータでも腕利きの職人だ。若い頃から才覚は際立っており、貴族の注文と納品を受けるうちに母に惚れ込まれたらしい。

「父さん」

「出来ないところがあるなら言ってみろ」

「ううん、出来ないんじゃなくて、やりにくいだけなの」


 ステラは今、工房で久しぶりに見習いをしている。中等部以来の見習い希望を、父と内弟子達は温かく受け入れてくれた。曰く、どんどん目が悪くなっていくステラに対し、送迎以外何も出来なかったことを歯痒く思っていたらしい。

「こんな感じの腕輪を作りたくて。でも左手が使えないから固定しづらくてどうしようかなって」

 ステラが描いたデザインはシンプルなものだ。細めの女性用の腕輪に石が一つ、腕輪の銀自体には蔦のようなひねりが入っている。

 中等部の時に何度か作ったものだが、その時とは違ってステラの左手には眼鏡の持ち手棒が握られている。目は見えても片手しか使えないというのは、細工をするときになかなか難儀だ。粘土に腕輪を埋め込んで固定して、右手で何とか細工出来ないか試行錯誤していたところである。


「父さん、何か固定でやりやすい方法があれ、ば……」

「そうだな…粘土と、あとは蝋は試してみようか……どうした?」

 助言を求めて父を見上げた先で、ステラは目を見開いた。

 来客のために年中快適に保たれている店舗や応接室と違い、工房はそれなりに暑い。エリデのガラス工房のような巨大な炉は無いが、金属を加工するための火鉢は常に傍にあるからだ。

 しかも季節は初夏である。当然、一日中工房にいる父はそれなりに暑さ対策をしている。半袖のシャツ、風通しの良い麻のズボン。そして極め付けは、汗の落下防止に額に巻かれた手拭いだ。


「父さんそれよ!」

「何だ、何だ?」

「腕輪じゃなくて眼鏡を固定すればいいのよ!」

「ほお」

 作業箱から錐を取り出したステラを父が止めた。眼鏡無しでの作業は危険だ。


「眼鏡に何か加工するならやってやろう。どうするんだ?」

「ええとね、このレンズの嵌ってる木板の左右両端に、これくらいの穴を開けて欲しいの。革紐を通すから」

「紐を通す。……ああ、じゃあ真横じゃないな、レンズの斜め上だ」

 職人である父はステラのやりたいことを、あっさりと理解してくれた。手際良く木板に穴を開けて、革紐をそこに通す。五分と掛からずに、レンズの嵌っている木板の上部分を革紐が横たわる形になった。

「結んでやろうか?」

「ううん、結ぶのは自分でやってみる。自分でできるようになりたいの」

 出来上がった紐付き眼鏡の、紐の部分を鉢巻のように後頭部で結ぶ。

「どうだ?」

 ステラは左手に腕輪を持ち、右手にペンチを持って、腕輪に金属の糸を巻き付けてみた。

「出来た!」

 糸はとても綺麗に巻き付けることが出来た。


 喜ぶステラの額と、紐を結んだ後頭部を父はジッと見ている。

「時間が経ったり、動くとずり落ちる気がするな」

 ぺたんとした板と丸い額は、頂点でしか触れていない。布の手拭いのような密着が無い分、動きには弱い。

「そうだよねえ、でも一応耳で止まるし、落ちても紐があるから首に引っかかるよ」

 首飾りならぬ首掛け眼鏡だ、床に落ちてレンズが割れる心配は無い。

「……まあ、そうだが」

 両手が使えることに比べれば、たまのずり落ちを直すくらいの手間は手間でもない。けれど父はそれからもしばらく、ステラの額を上から覗き込んだり、こめかみの紐の緩みを見たりしていた。



 レンズの嵌った木の板を革紐で額に括り付けつつ、ステラは腕輪作りに励んでいた。今、作っているのはエリデに贈るためのもので、眼鏡のお返しを自分で作りたかったのだ。腕輪の本体は銀でシンプルに、石に少し変わった加工をしようと決めた。

「父さん、青翡翠の欠片はあるかしら」

「そこにある」

 エリデにお返しをしたいと言うと、父は幾つかの青翡翠を用意してくれた。毎日身につけられる程度の等級の中から、エリデの目の色に近いものを選んだ。

「どんなデザインにするんだ?」

「銀の一本軸を本体にして赤銅の細いのを巻き付けて焼いて、石は滑らかな半球型にしてみようと思う」

「流行りは薔薇型のカットだぞ」

「それは父さんの専売特許でしょう」

 多面体の細かなカットは父の作り出した流行だ。内弟子ですら練習の身なので、ステラに出来るものではない。


「今日は一日中工房か?」

「うん、学校はお休みよ」

「じゃあその眼鏡をちょっと貸してくれ」

「眼鏡?」

 言われるがままに革紐を解いて、父に差し出した。眼鏡板を受け取った父は、レンズの直径と、ステラの額の周囲を測って手元に書き付けてから、ステラに返した。

「必要な時には声を掛ける」

 何かを作る気らしい。


 それからしばらく互いに作業机に向かった。ステラが再度父に声を掛けられたのは一時間ほど経ってからだ。

「眼鏡の縁金を作ってみた」

 そう言って父が見せたのは、細い銀の輪を横に連ね、その両端から直角に銀棒を伸ばしたものだった。仮組みらしく部品は針金で留めてある。

「ここに木枠から外したレンズを嵌める」

 父が机に置いた設計図には、輪の中にレンズ、それを横に連ねて、直角の棒を耳の上に乗せて位置を固定する仕組みが描いてあった。

「なにこれ、すごい」

「作ってみてもいいか」

 一も二もなくステラは頷いた。見たこともないものを作ることにおいて、父より上の職人をステラは知らない。


 木枠からレンズを外す。ステラ用のレンズは厚く、側面を銀の輪で囲うのは簡単だった。そこから、目と目の間の距離も測って、左右のレンズをまた針金で連結する。

 一つ一つの作業が恐ろしく早い、眼鏡を外しているので父の手元が見えないのが悔しい。

「後で作り方を教えてね」

「おう」

 鼻の付け根に乗るように輪に部品を追加し、耳に乗せる棒は直角に溶接する。耳裏に当たる部分は痛くないようにと柔らかく曲げられた。


「……頭を振ってみろ」

 銀の縁金で出来た眼鏡を装着して、ステラは軽く頭を振ってみた。俯くたびにずり落ちていた木板の眼鏡と違って、全くずれることのない抜群の安定感だ。

 木板の支え棒を持たなくなった両手が、手持ち無沙汰にわきわきと動く。

「どうだ?」


「ありがとう、父さん!」

 わきわきと動く両手の勢いそのままに、ステラは父に飛びついた。

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