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5-12:フルヴィア妃とヴィーテ公爵

 結婚式から七日が経ち、リベリオとステラは王都へと急遽戻り着いた。

 披露宴は無事に解散され、アマデオを含めて夜通し話し合い、翌日にはローレを発った。グレゴリオは後日、シルヴェストリによって移送される。招喚に従っていただけるならばと拘束はされず、話し合いや引き継ぎを許されたのはシルヴェストリの裁量によるものだ。

 ステラ、カーラ、ナタリア、レオの四人を乗せられる幌馬車を借り、馬を替えながら昼夜を問わず駆けた。行きに掛かった日数が半月弱であるので、かなりの強行軍だったはずだが、文句を言う人間は居なかった。

 ミオバニア視察ですら宿場町に寄る余裕があったのに、今回はそれも無い。常日頃明るいカーラとナタリアを持ってしても不安は拭いきれず、皆口数は少なかった。

 王都の北門と、王城の東通用門を潜る。御者席に座るリベリオとエルネストの姿を見て、衛兵が中に駆け込んで行った。


「俺とアマデオは北方騎士団の詰所へ」

「私はマリアーノ殿下の所に参ります」

「私とレオはタウンハウスに荷物を置いてから、宝飾室ね。ステラは?」

「アンセルミ様の指示をお聞きして、ルーチェ殿下の所へ顔を出せればと」

 一番に戻るべき場所は、全員が異なる。一旦解散して、夜に魔法師団の詰所に集合することにする。馬車を衛兵に任せて、それぞれに散った。

 ステラとカーラはトランクを抱えて、使用人の通用口に向かう。塀を回らず、前庭を駆け足で突っ切った。

「大変なことになったね……」

「はい……」

 事態を聞いたカーラも、一緒に戻ることを選んだ。カーラの所属は厨房でありローレ家にも亡くなった侍女にも関わりは無いが、同じ王城内で起きた事に無関心で遊べはしないと言った。

「ステラとリベリオ様にはお咎め、無いんだよね?」

「今のところは、無いみたいです」

 シルヴェストリ査察官はあくまでグレゴリオの移送役であって、その周囲の人間に対しては行動を制限しなかった。


 ステラにとってひと月ぶりの玄関ホールは常と変わらず、使用人が忙しく走り周っている。だが、出入りの業者によって運び込まれる荷物は区分けされ、一つ一つを侍従長が検閲する場所が出来ていた。事件が起きたのは、もう半月前のことなのだ。

「ミネルヴィーノ、パストーレ、無事でしたか⁉︎」

 トランクを下ろして靴を履き替えているステラ達に気づいて、アンセルミ侍女長が駆け寄って来た。

「ただいま戻りました、アンセルミ様」

「ああ……式は、無事に終わりましたか?」

「はい。無事に終えて、式の翌日にローレを出立しました」

「それは、せめてもの事でしたが……祝いの一言も、言えなくなってしまいましたね」

 侍女長は顔を伏せて嘆いたが、それも一瞬のことだった。すぐさま顔を上げ、いつもの冷静な侍女長の顔に戻った。

「ミネルヴィーノは着替えを。宝石の類は身に付けないように。王女殿下の所へ参ります」

「はい」

「パストーレは厨房へ。厨房は今回の件に直接関係はありませんが、精神的に出勤して来られなくなった者が居ると料理長に聞いています」

「はい! じゃあ、ステラ、無理しないのよ」

「カーラも!」

 トランクを自室に置き、制服に着替え身支度を整えて玄関ホールに戻った。トパーズの髪飾り、紫水晶が付いた眼鏡の銀鎖、アメトリンの結婚指輪などは全て自室に置いて来た。


 アンセルミ侍女長は他の仕事をすることなくステラを待っており、ステラが戻るとすぐに歩き始めた。使用人棟を出て渡り廊下を通り、階段を上がったところでステラは道が違う事に気づいた。

「あの、アンセルミ様。ルーチェ殿下の居室はそちらでは……」

「今回の件を受けて、ルーチェ殿下は一時的にフルヴィア妃の居室に移られています」

 それは、安全度が上がるのか下がるのか、ステラには判断が難しい。同じことを思っているのだろう、アンセルミ侍女長が目線だけで頷く。

「ヴィーテ公爵閣下の希望です」

 ヴィーテはカルダノ王国の南端にあり、北のローレ、東のパレルモと並ぶ三大公爵家の一つだ。事件後、ヴィーテより公爵閣下本人が王都へ駆け付けられたと侍女長が説明する。到着は今朝、ステラ達とほぼ同じ日に知らせを受け取ったのだろう。

 フルヴィア妃の居室の前には、衛兵が四人と、持ち込みを確認するための作業机。金属探知の鎖を通り、侍女長と共に持ち込み品のチェックを終えたところで、扉の内側からガシャンとけたたましい音が鳴った。

「⁉︎」

 茶器が割れる音に続いて、男性の怒鳴り声が聞こえる。

「フルヴィア妃殿下、アンセルミにございます」

「入って」

「入れるな!」

 男性の声よりも、フルヴィア妃の返答が早かった。入れるな、という怒鳴り声を聞きつつもアンセルミ侍女長は躊躇いなく入室した。


 豪華な設えの室内には、フルヴィア妃、ルーチェ殿下、それから壮年の男性が一人。妃殿下と姫君の居室には、血縁以外の男性は入れない。自ずと、この男性は駆け付けたてのヴィーテ公爵閣下ということになる。

 歳の頃はグレゴリオと同じくらいだろうか。けれど姿形は全く違う、日に焼けた肌と引き締まった身体。ヴィーテの潮風と帆船が背景に浮かぶ、六十を超えてなお魅力的な人物だった。

 けれど、その足元ではティーカップが粉々になり、ぶちまけられた茶が絨毯に黒く染みを作っている。

「アンセルミ、カップを落としてしまったの。片付けと、おかわりを頼めるかしら?」

「すぐにお持ち致します」

「要らん!」

 努めて冷静に対処しようとしたフルヴィア妃とアンセルミ侍女長を、ヴィーテ公が一喝する。額は血が昇って赤く、こめかみには青筋が立っていて、怒りのすさまじさが知れた。

「いいか、フルヴィア、金輪際あのローレの山猿どもと関わるな! あの何を考えているか分からない鉄面皮女も、その息子にもだ! ルーチェもだ、分かったな‼︎」

 怒声混じりに言い捨ててヴィーテ公が部屋を出ていき、内側には割れた食器と沈黙だけが残された。フルヴィア妃が、お手上げのジェスチャーをして息を吐いた。


「ごめんなさい、助かったわ」

「いいえ、私は何も。ミネルヴィーノ、片づけの用意を」

「はい」

 地元柄、ステラは男性の怒鳴り声に馴染みが無い。心臓をバクバクさせつつ、扉の外にいる衛兵に片づけ用の道具と厨房への言付けを頼んだ。

「ステラ?」

 フルヴィア妃の後ろから、ルーチェ殿下が顔を出した。ひと月前と変わらない可憐な姿だが、首元を飾るのはお気に入りのスピネルではなく、真珠の首飾りだった。

「ただいま戻りました、ルーチェ殿下」

「ミオバニアからは三ヶ月遅く戻ってきて、今回は一ヶ月早く戻って来たわね」

「ぅ、……面目ございません」

「別に怒ってないわ、式は済んだの?」

「はい、無事に」

「そう、ならいいわ。私、しばらくお母様の部屋にいることになったから」

 鼻息荒く駆け付けたヴィーテ公が、そうするようにと命じたのだという。

「お祖父様も馬鹿ね、分けて置くほうが換えが効くのに」

「ルーチェ殿下……」

 言わんとせんことは分かるが、間違っても自分の身に対する感想ではない。


 持って来てもらった軍手で割れた茶器を片づけ、新しく用意してもらった一式をテーブルに並べた。淹れ直された紅茶を一口飲んだフルヴィア妃が、ステラに尋ねた。

「リベリオ殿は、大丈夫ですか?」

「どう、でしょう……。こちらに戻って来たのが、たった今で」

「父がごめんなさいね。父はずっと、ローレを羨ましがっていて、追いつけ追い越せでやってきた人なの」

「羨ましい、ですか?」

 羨ましがる理由が、ステラには分からない。王都出身ではないステラにとって、三大公爵家は等しく天上人だ。

「ええ、マリネラ様が私より先に王家に嫁いだのも、第一王子を産んだのも、父は悔しがっていたから」

 カルダノ王国の王位は先着順じゃないのにね、とフルヴィア妃は笑う。それから、フルヴィア妃は少しだけ自分のことを話してくれた。ヴィーテ公に妻は四人、当時王太子だったヴァレンテ陛下に年頃が見合うフルヴィアは、正室ではなく側室の子供だった。

 正室に娘はおらず、怒り狂った正室は、側室とその子供全てをヴィーテの外に追放しようとし、骨肉の争いが繰り広げられた。

「正室の御方様を宥められなかったのは自分だって、父も分かってはいるのよ」

 骨肉の争いは正室の息子を嫡子とすることで一応の収まりを見せたが、二年の時間がかかり、その間に先んじて嫁いだマリネラが第一王子を産んだ。

「お祖父様のやつあたりよ」

「こら、お祖父様を悪く言わないの。だから父は、無駄な身内争いもせず勤勉で剛健なローレ家のことが、ずっと羨ましかったのじゃないかしら……。ヴィーテは呑気で、みんなちょっと怠け者なの」

 他にも、牧畜に適した平野や鉱山資源や、細かな羨ましいも積もったのだろうとフルヴィア妃は語った。ローレにしてみれば、雪も降らず通年使える港があり、海の幸に囲まれたヴィーテが羨ましかっただろう。

 ルーチェ殿下の着けている真珠も、フルヴィア妃の着けている珊瑚も、ローレでは目の飛び出るような高級品だ。結婚式で真珠の耳飾りを着けていたリリアナも、高級すぎてどこに着けても行けないと言っていた。


「フルヴィア様は、マリネラ妃殿下を疑っていらっしゃらないのですね」

「疑う? マリネラ様ほど自らを厳しく律し、国王陛下と国に仕えている方を、私は他に知りません」

 どうしてそんなことを訊くのか、と。マリネラ妃を心から信じて疑わない声だった。

「あの方に比べれば私など、少しばかり見目が良く歌が上手いだけの妃です」

「そのようなことはございません。フルヴィア妃殿下もまた、我が国が誇る王妃殿下にございます」

 と、アンセルミ侍女長がフルヴィア妃の卑下を否定する。

「ありがとう、アンセルミ。でも、マリネラ様を疑うようでは王妃などと名乗れません。私は誰よりも近くで、あの方の努力を見て来たのだから」

 そう言い切ったフルヴィア妃に、二人の王妃が共に培った時間の長さが窺えた。

「……もう嫁いで二十五年になるわ。父と過ごした時間よりも、マリネラ様と過ごした時間の方がずっと長いの。今回の事を、エヴァルドを王位に着けたいと思っている人達が目論んだ可能性も、皆無ではないのだから」

「お祖父様がもくろんだ可能性も有るもの」

「ルーチェ殿下! なんという事を!」

 アンセルミ侍女長が声を荒げた。聡明な王女は叱責を意に介さず、アーモンドの乗ったビスケットを小さな口で齧っている。

「違うと思いたいわねえ。慌てて珊瑚と真珠を山盛り持ってくるくらいだから、知ってたらもっと前から持ってきてたんじゃないかしら」

 希望的観測だけど、と付け加えるのをフルヴィア妃は忘れなかった。


「ルカーノ室長が、フルヴィア妃殿下とルーチェ殿下がお持ちの宝飾品を全て検分なさいました。ですが用心のために、ヴィーテ公爵閣下が持ち込まれた物をお使いです」

「それで、ルーチェ殿下の首飾りが真珠に変わっていたのですね。明日からそちらを用意するように、気をつけます」

 明日から真珠、とステラは頷く。気をつけるに越したことはないし、ルーチェ殿下の赤紫の髪に真珠はよく似合っており、この手があったかと唸りさえした。

「ミネルヴィーノは、しばらくルーチェ殿下の侍女から外します」

「え」

 王女殿下と王妃殿下の前だというのに、間の抜けた声がこぼれ落ちた。

「ローレ騎士長はマリネラ妃殿下の従兄弟です。入籍したミネルヴィーノも、ヴィーテ公爵閣下が知れば良い顔をされないでしょう」

「ああ、そう、ですね……」

 言われてみれば、ステラはもう『ローレ夫人』と呼ばれてもおかしくないのだ。ローレの輩に近づくなと言ったヴィーテ公の剣幕を思い出すと、ステラはおろかルーチェ殿下やアンセルミ侍女長も叱責されかねない。

「しょぼくれた顔をしない。いっときの事でしょう、出来ることをするしかないのよ」

「は、はい……!」

 ルーチェ殿下の激励が沁みる。ステラはいつだって、誰かに言われてから気づくのだ。不甲斐ない。

「後でマリアーノ殿下のところにも行くのでしょう? 我々は動くことの出来ない身ですが、容疑が晴れるよう祈っていますと伝えて下さい」

 フルヴィア妃の言伝に、ステラは頷くことしか出来なかった。


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