5-11:遠き山に日は落ちて
謁見式を終え、首飾りを箱に仕舞おうとして滑り落とし、素手で掴んでしまったのだろう。そう、シルヴェストリ査察官は説明した。
「妃殿下の服飾品を収納している部屋は窓も無く、気密性の高い小部屋でした。着替えを終えられていたマリネラ妃は執務室に移動されており、ご無事でしたが……」
幸いでした、とは間違っても言えはしない。機密性の高い小部屋で爆発は起き、首飾りを仕舞おうとしていた侍女が亡くなった。
「マリアーノ殿下がすぐさま駆けつけられ、検分が行われました」
「原因が首飾りだと断定したのは、マリアーノ殿下ですか?」
「はい。首飾りを仕舞おうとしていたという別の侍女の証言と、……マリネラ妃はまだ、この耳飾りを着けておられたのです」
ステラとナタリアが、同時に息を呑んだ。首元の開いた正装からは着替えたが、父からの贈り物だからと耳飾りはそのまま着けていたという。
「宝飾室で管理している宝飾品は全て、石の中まで見ているはずですが……」
宝飾室にある宝飾品は、全て番号を振られ、大きさも透明度も含めて記録される。ルカーノ室長が気づかない筈がない、というステラの疑問にはナタリアが答えた。
「宝飾室の品々は、国の持ち物よ。それ以外は、個人蔵という形で自室に所持されているの」
それは王族の方々が個人で購入された物であったり、個人に贈られた物であったりする。管理を宝飾室に任せて預けることも出来るが、今回はそうではなかった、ということだ。
「その後は先ほど話しました通り、マリアーノ殿下は魔封じの首輪を自ら装着され、マリネラ妃は自ら牢へと足を運ばれました」
グレゴリオの目から、涙が溢れた。
「ぁ、ああ……あああ……!」
シルヴェストリの前に這いつくばり、額を床に擦り付けながら懇願した。
「娘と孫は何の関係もございませぬ! 知らずとも、送りつけた私のみの責にございます! どうか、どうかこの首をお取り下さい! そして、亡くなった侍女の墓前に供えて下され……! でなければ、でなければ、私は、私は……どう……」
どう、償えば良いのか、と。
六十も過ぎた当主の嗚咽は止まることを知らず、もう声にはならなかった。
「……それを決めるのは、法と、国王陛下にございます」
首を振ったシルヴェストリ査察官の表情もまた、苦渋に満ちていた。沈黙の落ちた部屋に、グレゴリオ夫妻の嗚咽だけが響く。
「……ユリウス」
「はい、父上」
「グレゴリオに代わり、北方軍総司令並びに当主代行を務めよ」
ローレ家の先代であるゴッフリートが、ユリウスに命じた。声は重く、全ての人間を跪かせるかのような圧があった。ゴッフリート・ローレは御歳八十、一線を退いてなお、白い眉毛の下の鳶色の瞳はとてつもなく険しい。
「承りました」
「父上……ユリウス……」
「グレゴリオは王都へ向かい、陛下の沙汰を待て。……我が孫も曾孫も、そう柔ではない」
「は、はい……っ!」
グレゴリオが意図的に魔石を贈り、国王の暗殺を図ったと考える人間がこの場にいなかったことだけは、幸いだっただろう。
事実として、グレゴリオの娘マリネラは賢妃として名高く、マリネラが産んだマリアーノも見目麗しく聡明な第一王子だ。わざわざ暗殺を企てる理由は見当たらない。
共に行くと泣き縋った奥方は、グレゴリオが説き伏せた。ここで両名がローレを離れれば、ローレの街そのものが滞る。戻る家とユリウスを支えて欲しい、グレゴリオはそう頼み、奥方は泣きながら頷いた。
「出立は三日後と致します」
「いかなる沙汰にも従います」
グレゴリオは深く頭を下げた。甥の結婚式の為に整えられた髪が崩れ、背を丸めて肩を落とした姿は、十も二十も老け込んだように見えた。
「我々はどう致しましょう、リベリオ殿」
「あちらでの方針を決めて、明日にでも出立したく。アマデオとも話す時間が欲しい」
「では、式が終わり次第アマデオ殿と合流、明日の昼過ぎには出立の予定で」
リベリオ、エルネスト共に一刻でも早く戻りたいが、事が事だけに手ぶらの無策では戻れない。可能な限り、王都で使える要素を集めておきたい。
「シルヴェストリ殿、今回の件では北方騎士団はどのような立ち位置になりますか?」
王都、王城で不始末を起こした北方領の人間を処断するのが、北方騎士団の役目だ。ローレに本拠地を置く北方軍の王都出向部にあたる。
だが、今回の件はシルヴィア・イラーリオとは規模が違う。容疑が掛かっているのは王妃であるマリネラ・ローレと、ローレ家当主グレゴリオ・ローレだ。言わば、王都での監督役と、出向元である。
「事件が起きた際、リベリオ殿は事前より予定されていた結婚式に出立されていたことを鑑み、陛下は軟禁等は命じられませんでした。ただし今回に限り、捕縛、移送、収監などに関わることは禁じられました」
シルヴィアのように、捕縛、移送には関われない。北方騎士団の中に、何らかの手引きをする者がいないとも限らない。北方騎士団の大半はローレ出身であり、ローレ家に心酔している者もいる。内部を見張れという暗黙の命令でもある。
「ご厚情、感謝致します。……ステラ」
「はい」
「貴女はどうす」
「一緒に戻ります」
リベリオの問いを最後まで聞くことなく、遮った。常よりもハッキリとした声が出たことに、内心で驚く。リベリオも残れとは言わず、静かに頷いた。
「ナタリアはどうしますか?」
「戻るに決まってるでしょう? 観光を楽しめる気分じゃないわ、レオにはちょっと辛いトンボ帰りになるけど。……ルカーノ室長の見解を、早く聞かないと」
結婚式が一転、葬式よりも深刻かつ重篤な事態になった。新婚旅行や観光の気分は、ミオバニアの彼方に消し飛んでいる。
「ルカーノ室長……あ!」
爆発の衝撃で、誰もが訊いていなかった、あまりにも基本的なことにステラは今更気づいた。
「グレゴリオ様、首飾りと耳飾りはどちらの商会から購入されましたか? 近日であれば、出入りの記録や、購入の領収書が残っているのではないでしょうか」
「あ、ああ……先代の頃から出入りしている者で。王国中から珍しい物や貴重なものを探し集めては持ってきてくれて……」
「いつ会われたかは、覚えていますか?」
ステラの横から尋ねたのはリベリオだ。グレゴリオは両手を握りしめて、一つ一つ記憶を辿る。
「……グローリアの輿入れから、帰ってきた後、だった」
グローリア第一王女の輿入れを見送ったのが年明け、王都からローレに戻ってきたのが二月の初め。出入りの記録と領収書の帳簿がございます、と冷静な家宰が少しだけ声音を浮かせた。
「首飾りと耳飾りを、勧められましたか?」
「ああ、ローレ家の方々に似合うだろうと」
マリネラ妃へ、とは明言されなかった。ローレの一族は概ね紫紺の髪と鳶色の目をしており、誰であってもアメジストの宝飾品は映える。宝石の内包物の確認など行わない。購入者にとっては、商人への信用とデザインと値段が全てだ。
リベリオは必要と思わしきことを一つ一つ確認した。風貌、性別、名、年齢、いつからローレに出入りして、どれくらいの期間ごとに訪れているのか。グレゴリオが把握していないことは、家宰が答えた。
行商、とリベリオとグレゴリオの問答を記録していたステラは眉を顰めた。
「店舗を持つ商会であれば街に登録があるのですが、行商となると……所在の特定は、難しいかもしれません」
「行商も伯父上と同じく、掴まされただけの可能性もある」
「ああ……」
ローレから王城に滑り込ませることを目的として、ローレ家に出入りのある行商が利用された可能性もあるのか。公爵家に出入りを許されるような商人であれば、宝石を扱うときに素手で触るような真似はしない。
メモを取っていたステラのペン先が紙に引っかかって、耳障りな音を立てた。可能性は広大で、手掛かりは僅少、情報としては朧気だ。
「……グレゴリオ伯父上、どんな会話をしたかを思い出して下さい。その行商が、どこで首飾りを仕入れたか、もしくはローレに来る前にどこに寄って来たのか」
「どこで首飾りを仕入れたかは、聞いていない。ああ、だけれどどこかに寄って来たと言っていた……どこだったか……」
ぼそぼそと呟きながら、応接室に集まった面々をグレゴリオが見渡す。記憶を掘り起こす手掛かりを探していた双眸がステラで止まり、限界まで丸く開かれた。ごくりと喉が動き、ああ、と喘ぐように声が絞り出された。
「――フェルリータ」