5-10:アメジストの耳飾り
「私が持っている魔石のネクタイピンの石は、見ればすぐに魔石だと分かる、の、で……」
勇気を振り絞って訊いたものの、語尾は尻すぼみになった。
ルーチェ殿下から頂いたネクタイピンの魔石は、色こそ美しい赤紫だが、魔石だけに何のカットも加工もされていない。表面はゴツゴツとしていて、ピンの滑らかな金属部分からは浮き出している。視察中装着出来るようネクタイピンに仕立てたが、魔石とは本来装飾品の類ではない。
そして、その危険性から魔石を公式式典の類に持ち込むことは禁じられていると、ステラはルカーノ室長に聞いていた。だからこそ、ルーチェ殿下は年の瀬の式典用にスピネルのブローチを突貫で仕立てて贈ってくれたのだ。
「見えるところにつけなくても、服の裾や内側につけることだって出来るでしょ」
「でもそれだと、ずっと見つからないままになりませんか?」
ナタリアの言う通り、針子や侍女を装えばドレスの内側に仕込むことは出来るだろう。では、それを誰が見つけて、事件として発覚したのか。
高貴な方々がドレスに直接触れることは、基本的に無い。製作、着付けから保管に至るまで、全て他人の手で行われる。王妃殿下であればなおのことだ。
「……確かに。それだと、見つけた人間が真っ先に疑われてるわよね」
土気色の顔をして呆然と立っていたグレゴリオが、思い出したようにここで叫んだ。
「ま、ままま、待ってくれ! わ、私はマリネラに魔石を贈ったことなど無いぞ⁉︎」
魔石は装飾品ではなく、贈答に向かない。選んだ覚えの無い物だ。それが何故、通達の中でグレゴリオが魔石を贈ったことになっているのか。
「……流石は、ローレ騎士長が選ばれた方ですね。固定観念に捕らわれない疑念、お見事です」
シルヴェストリ査察官が、音の出ない拍手をした。最も、ステラは固定観念に捕らわれていないのではなく、固定観念が出来上がるほどの基礎知識を持っていなかっただけだったが。
「それが、某が使者に選ばれた理由でもあります」
黒地のジャケットに薄金のサッシュ、アンセルミ侍女長と同じく王城で最も階級の高い制服の懐から、ビロード張りの小箱が取り出される。白手袋に包まれた手が、丁重な手つきで蓋を開き、作業机の上に置いた。
「素手の方々は、触られませぬよう」
毒物でも出すかのような注意に反して、小箱の中に入っていたのは美しい一対の耳飾りだった。
「……アメジスト?」
目にしたナタリアが呟く。
「こちら、グレゴリオ殿が購入された耳飾りで、お間違いないでしょうか?」
「あ、ああ…マリネラに似合うだろうと……」
涙型の多面体にカットされた、アメジストの耳飾りだ。金の金具に大ぶりの紫水晶は、紫紺の髪と鳶色の瞳のマリネラ妃に、よく似合うだろう。
「これほど見事なアメジストです、しかも首飾りも揃いで。かなり値が張られたのではございませんか?」
「値段は、覚えていない、が……」
並ぶアメジストの大きさは、女性の小指ほどの大きさがある。アメジストは比較的大きな原石が採れやすいが、同じ色のここまで大きなものを耳飾り用に二つ揃えるのは至難だ。
「……」
チリ、と脳が焦げるように記憶が動く。以前、似たような質問をしたことがあった気がする。あれは何処だ、いつだ。思い出せ、と脳内のメモ帳を激しく捲る。
宝石、魔石、揃いの首飾り、涙型のティアドロップカット、謁見の間、持ち込み。
「……百貨店…」
たどり着いた記憶が意味するところに思い至り、心臓が跳ねた。
そんな、まさか。
「……ナタリア様、ルーぺを、お持ちですか」
「ルーペ? ええ、持ってるわ」
宝飾室の管理官にとって、ルーペは常時の装備品だ。式典やパーティなどの会場で、身に着けている宝飾品を見て欲しいと頼まれることは少なくない。ガーデンパーティに出席したナタリアは、当然のようにクラッチバッグにルーペを入れていた。
「貸して、頂けますか」
「ええ」
ステラは今日の主役でありドレス姿だ。ルーペを入れられるバッグやポケットは無い代わりに、肘上まである長い手袋を着けていた。
ナタリアからルーペを受け取り、作業机の前に立つシルヴェストリ査察官に伺う。がなり立てる鼓動が煩い、心臓が口から飛び出しそうだ。
「ルーペで見ても、よろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
耳飾りの片方を恐る恐る手に取り、ルーペを向ける。深呼吸を一つして、覗き込んだ。
「…………ああ」
錆びついた人形のような動きで顔を上げて、ステラはシルヴェストリの顔を見た。深い皺の刻まれた顔がさらに皺を深くし、だがしっかりとステラの視線に応えて頷く。
「……ナタリア様、グレゴリオ様」
宝石の価値には『大きさ』と『透明度』があり、この二つは常に反比例する。大きく切り出すほどに宝石は内包物を含んで透明度が下がり、透明な部分を選んで切り出せば大きさが下がる。
複雑なカットが光を取り込み、紫に煌めくアメジスト。小指ほどの大きさのあるティアドロップ。
「この耳飾りは、――魔石です」
「……嘘、嘘よ! 魔石は宝石のようにはカット出来ない! エルネスト、手袋を貸して!!」
エルネストから手袋を剥ぎ取り、ステラからルーペを受け取ってナタリアは耳飾りを覗き込んだ。常日頃饒舌なナタリアの唇は沈黙を続け、やがて『嘘』と小さく呟きだけが落ちた。
「……グレゴリオ伯父上は魔石だと知らずマリネラ妃に贈り、マリネラ妃はこれを着けて謁見に出たのですね」
「ええ」
リベリオの推察に、シルヴェストリが重々しく頷く。
「威力を試しても?」
「そのために、マリアーノ殿下はこれを某に持たせたと推察致します」
見計らったように、リリアナがゴッフリートとユリウスを連れて部屋に飛び込んできた。家宰が部屋を用意しに走ったのと同時に、リリアナも二人を呼びに反対方向に走っていたのだ。
「お爺様と、ユリウス伯父様を呼んで来ました!」
髪を乱したリリアナの後ろに、前当主ゴッフリートと伯父のユリウスの姿があった。
「リリアナ、弓矢を持ってきて欲しい。衛兵のもので構わない」
「弓矢ですね、分かりました!」
兄の頼みを、リリアナは逐一訊き返さない。部屋に飛び込んだその足ですぐ、玄関前の衛兵のところへと走って行った。
リベリオが、耳飾りの金具の部分を摘まみ上げる。ステラと同じく礼装をしているリベリオは手袋を装着していたが、石の部分に触れるような不用心な真似はしなかった。
耳飾りを摘まんだまま、応接室から内庭に続く大扉を開け放って外へ。応接室にいるステラ達から見える位置の、適当な木の枝に耳飾りを括り付けた。
「兄様! 弓です!」
リリアナが戻ってくるのも早かった。ホテルの警護をしている衛兵から借りてきたらしい。リリアナが差し出した弓を、リベリオが受け取る。木製の、ごくごく普通の衛兵用の弓だ。技術競技会で見たような、魔石の付いた魔弓ではない。
「ここから魔石を撃ちます。エルネスト殿、防護をお願いします」
リベリオが指さした先、応接室の中から、内庭の木までは二十メートルくらいか。この距離からは、枝に括り付けられた耳飾りは紫の小さな何かにしか見えない。
「私も結界を張ります!」
「僭越ながら、某も」
リリアナとシルヴェストリも手を挙げた。耳飾りが括り付けられた木を中心に、水の結界が二つと、風の結界がドーム状に張られた。正面に金貨大の穴が開けられており、矢が通った瞬間に閉じる。
念のため、ステラたち非戦闘員はエルネストの背後へと誘導された。
リベリオが木の正面に立ち、一度矢じりに触れてから矢を番える。二キロ先を射抜く王都一の弓の名手だ、この距離など目と鼻の先に等しい。予備動作もなく弦が引かれ、ヒュン、と安っぽい音を鳴らして矢が飛んだ。
次の瞬間、内庭に閃光が走った。
「……!」
とんでもない光の量に目が眩む。衝撃は無かったが反射的に目をつぶり、恐る恐る開いたステラの目に映ったのは、焦土と化した庭だった。ドーム状に張られた結界の内側は跡形もなく消し飛び、炭化した木材や土が結界にへばりついている。
「……紫の、火と水の二重付与魔石ですね」
常に明るく闊達なリリアナが、唇を震わせて低く絞り出すように呻いた。水の粒を火で熱し一気に爆発させる、威力の高い魔石だ。
呼ばれたゴッフリートもユリウスも、誰もが声を出せない。撃ったリベリオも眉を顰めていたが、苦渋に歪んだその横顔に、ステラは見覚えがあった。
「……リベリオ様」
「……」
「何を、思い付かれました、か……?」
リベリオはステラの問いに答えるのではなく、ドーム状の焦土を見たままシルヴェストリに問うた。苦く、重い声だった
「……シルヴェストリ殿」
「はい」
「これが魔石であると気づいた者、は……」
「……マリネラ妃付きの侍女が、亡くなりました」