5-6:妹の結婚式
遠方からの招待客はつつがなく集まり、ローレの聖堂にて結婚式が行われた。時節は四月の最後の日曜日、木漏れ日から差し込む日差しが穏やかな春の一日だった。
ローレ市民にとって、ローレ家の結婚式とは街を上げてのお祭りだ。聖堂内の一般席は早朝のうちに埋まり、聖堂の大階段前には式を終えて出てくる花婿と花嫁を一目見るべく、人々が花籠を持って集まった。
花嫁の兄であるクラウディオは、当然ながら一番前の席に案内された。四人掛けの席に母、妹と一緒に座っている。母によって一番良い礼服を着せられた父は、花嫁と一緒に入場だ。普段は作業着しか着ていない父が、慣れない礼服を着てガチガチに緊張しているのが面白かった。
聖堂の入口から祭壇に伸びる中央通路を挟んで反対側の長椅子には、ローレ家当主夫妻、花婿の妹、先代のローレ家当主。
クラウディオは宝石の原石を求めて、カルダノ王国中を走り回っている。ミオバニア山脈一帯はクラウディオの仕事場の一つであり、当然ながらミオバニアの麓にあるローレにも馴染みが深い。
反対側の長椅子に座っていた紫紺の髪の少女が立ち上がり、こちらに来た。ローレ家の末子だという、花婿の妹だ。紺色の古式ゆかしいデザインのドレスを着ている。色とりどりのドレスに溢れるこの場では地味な装いだが、耳に着いている真珠はローレでは高級品だ。
「ミネルヴィーノ家の皆様」
「リリアナ様」
「母はあまり身体が強くなく、後方の席に伯父と座っております。挨拶が式の後になってしまい、申し訳ありません」
そう言って頭を下げられ、慌てて立ち上がった母が一切問題ございませんと深い礼を返した。花婿の母は先代当主の長女だ、商人であるミネルヴィーノ家に挨拶する義務は無い。式の前に声を掛けてくてれた当主夫妻の方が例外だ。
「そう言って頂けて、ありがたいです。式の後の披露宴には連れて参ります」
連れて参る、とは。と、母と同じく立ち上がっていたクラウディオは首を傾げそうになったが、個人の事情は詮索しないのが商売の鉄則である。ましてや、相手は三大公爵家だ、クラウディオは話題を変えるべく、今日の装いについて尋ねてみた。
「リリアナ様、今日のお召し物と耳飾りがとても素敵ですが、どちらの物ですか?」
「ドレスと耳飾りはグレゴリオ伯父様の所から貸して頂きました。マリネラ様の昔のドレスだそうです」
「マリネラ王妃殿下の。なるほど、良くお似合いです」
「耳飾りは……伯父様、伯母様、この耳飾りはどちらの物です?」
耳飾りまでは知らなかったらしいリリアナが、傍の当主夫妻に訊いた。
「ヴィーテの商人だったかなあ」
「もう、この人は贈り物が好きで。外商の言うがままに買ってしまいますのよ」
「だ、そうです」
「ありがとうございます」
倹約家らしいグレゴリオの奥方がぷりぷりと怒っているが、商人から見るとこの上ない顧客である。最も、ローレ家に収められるような宝飾品をミネルヴィーノ商会は扱っておらず、妹の嫁ぎ先に営業を掛ける気も更々無かったが。
リリアナの鳶色の目が、ジイッとクラウディオを見た。透き通る目の美しさに反した視線の強さにたじろぎそうになる。
「私も兄も装飾品をほとんど持っていませんので、必要なときにはお尋ねしても良いですか? ステラお姉様に選んで貰ったガラスのループタイは、お気に入りなのです」
「その真珠の耳飾りを自分使いにして良いんだよ、リリアナ」
「こんな高価なもの、どこに着けても行けません。グレゴリオ伯父様」
「ええ……。リリアナもリベリオも何も貰ってくれない…」
「ハハハ、御用の際はいつでもお呼び下さい」
平静を装って答えたが、幾分心拍数が上がった。野暮な商売っ気を見透かされ、あげく助け舟を出された。そして妹は、いつの間にかローレ家に贈り物をしていた。
失礼にならないよう気をつけて、リリアナ嬢を眺める。妹の話に勝る清貧ぶりだが、そんなことがどうでも良いと思えるほど、凛とした佇まいが美しい。クラウディオの妹のアウローラも、フェルリータでは評判の器量良しだ。
比べるものではないが、ステラは地味な妹だった。だが、地味でも不器用でも、真面目な、クラウディオにとっては大事な妹だ。陰口を叩かれるフェルリータを離れて、心機一転して王都で暮らすのは悪くないと思っていた。
それが、わずか一年で結婚、相手はローレ家。妹の結婚によって、クラウディオは三大公爵家の外戚になるらしい。正直に言おう、意味がわからない。
リリアナが花婿側の席に戻り、クラウディオも席に腰を下ろす。隣に座るアウローラが、祈るように手を組んでいた。
「……お姉様とお父様、途中でこけたりしませんでしょうか…」
「ああ、うん……心配だな……」
やりそうで怖い。
司祭の立つ祭壇の扉から、花婿が入場した。王都の北方騎士団の式服に、ローレの紋入りの紫紺のマント。同じ色の髪を半分撫でつけた端正な美形に、女性客から声が上がる。当の本人は周囲の黄色い声を聞くこともなく司祭に一礼し、淡々と花婿の定位置に立った。
騎士の鏡と名高い王都の北方騎士長が、クラウディオの義理の弟になる。妹よ、本当に何があった。
後方から歓声が上がる、花嫁の入場だ。敷かれた絨毯の道を父親と腕を組んだ花嫁が粛々と進む。白いベールに隠れたその表情は窺えない。道の途中で父親から花婿に代わり、花嫁と花婿が揃って祭壇に立った。
「病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、互いを睦み、互いを敬い、慈しみ、損なわず、互いの在り方に悖らぬことを誓いますか?」
「誓います」
定番のやり取りが終わり、指輪の交換がなされ、ベールを上げた花嫁の頬に唇が落とされた。
王都で誂えてきたという結婚指輪は、後学のためにとミネルヴィーノ商会全員で見せてもらった。花婿は家紋入りの、花嫁はアメトリン入りのシグネットリングだった。女性には少し厳ついデザインは、妹が希望したのだという。
歓声と拍手が上がる。聖堂の出口には人々が今か今かと待ち構えており、姿を現した花婿と花嫁にこれでもかと花が投げ掛けられた。花婿には貴族の列席者から寿ぎの言葉が投げ掛けられ、そこにローレの娘達の黄色い声が混ざる。花嫁には、集った街の人々からの歓声が。
きれいね、花嫁さんきれいね、という周囲の言葉は妹に届いているだろうか。
首元には母が持ってきた首飾り、髪は複雑に結い上げられローレ家に伝わるらしいティアラが長いベールを留めている。膨らみの少ないドレスは裾に金糸で刺繍が入り、優美に後方に伸びている。魚の尾のようなシルエットは縫製が難しく、王妃様が最初に着用されたデザインなのだとアウローラが教えてくれた。
青空の下、手を振りかえすなど気の利いたことが出来るわけもない不器用な妹。花と歓声の降り注ぐ中、困ったように笑う顔は綺麗だった。
「……うお⁉︎」
ふと傍を見ると、母と妹が泣いていた。父はぐっと眉間を顰めている、時間の問題だ。
「か、母さん?」
アウローラはともかく、母が泣くところをクラウディオは初めて見た。商会長でありクラウディオの上司でもある母は、いつだって気丈で強かった。どんな揉め事があっても母が弱腰になったところを見たことがない。ましてや、泣いているところなど。
「……己の不甲斐なさと嬉しさを噛み締めています。フェルリータに戻る前に、見なかったことになさい」
「あっ、はい」
母の言葉を皮切りに父も泣き出した。礼服に包まれた肩を時折上下させる、なかなかに激しい泣き方だ。
注目されてないかと周囲を見渡せば、人の良いローレ家当主は人目も憚らず号泣していた。ハンカチを差し出している花婿の妹と目があって、どちらともなく笑う。
幸せな結婚式だった。