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1-5:一年の猶予

 エリデに眼鏡を作ってもらってから、ステラの世界は文字通り一変した。


 まず、工房の帰り道で看板が見えることに感動して泣き、帰宅して家族に眼鏡のことを話したら家族も泣いた。気丈に見えていた母の方が号泣していた。

 お礼をしなければならないと両親とカルミナティ工房に出向き、包んだ金貨を納めてもらおうとしたところ、丁重に断られた。エリデの父曰く、見習いの仕事で金銭は頂けないとのことだった。

 ステラは若く、今後また視力が変わることもあるだろうから、そのときはエリデの父が作ることも説明された。その時に代金を頂くのはどうでしょうと言われた両親は顔を見合わせて戸惑ったが、とりあえずは好意に甘え、金貨ではなく菓子と受け取りを拒否されない程度の金属材料を後日贈らせてもらった。


 再び文字を読めるようになったステラは絶好調だった。眼鏡を持ち込んだ教室で、遅れを取り戻さねばと積極的に手を挙げて質問した。結果的に眼鏡に注目が集まり、エリデには質問が殺到した。ステラのような桁外れの遠視はいなくとも、遠くが見えない生徒はいる。そういった子からの注文が取れそうだ。

 エリデとは良い友達になった。燃えるような赤毛をきっちりと団子にまとめ、吊り目がちな空色の目とはっきりした物言いのエリデは、裏表がない気持ちの良い友人だ。


 今日は、エリデをステラの家と店に招いてのお茶会である。

「お邪魔致します、カルミナティ工房のエリデ・カルミナティです」

 娘に眼鏡を作ってくれた恩人を、ミネルヴィーノ家は大歓迎した。母は中央通り一番人気のケーキ屋に朝から並び、妹は花を買い行くと花屋に走り、父は工房の床を掃き清めていた。

「うわあ、豪華! 流石、宝飾店のティーセット」

「皆、張り切りすぎてしまって…」

 応接テラスは本来貴族や大店の注文を纏めるための場所だ。そこに、豪華な彫刻の飴色のテーブルと椅子のセット、妹が揃えてくれた黄色と橙の春の花々が飾られている。


 ティーポットとティーカップは繊細な絵付けと金彩が施された、この家で最も格式の高いものだった。

「片手でサーブする私が震えそうです」

「でしょうね、客だけど私がつぐわ」

 普段は母しか触らない、とっておきである。左手で眼鏡を持っているため、右手だけで扱うには緊張が過ぎる代物だ。お客様にサーブしてもらう羽目になったが、お互いの精神衛生は何とか守られた。


「このカップはどこの工房のもの?」

 中央通りにある磁器店の店主から祖父が貰ったものだとステラは答えた。三代を経て、今では王室御用達の磁器店となっている。フェルリータは芸術が突出して有名な都市なので、商人職人を広く受け入れている。

「このケーキ、すごく美味しい」

「私も大好きです。カフェが併設されているので、今度一緒に行きま……あ、誘って大丈夫ですか?」

「私はあっちこっち案内して貰う気満々よ。というか、言葉遣い緩まないわねえ」

 エリデと友達になりカルミナティさんと呼ぶことは無くなったが、染み付いた言葉遣いは中々緩まなかった。この二年ほど友達というものが出来ず、目つきが悪いのならせめて言葉遣いだけでも失礼でないものをと思っていたせいもある。

「無理しなくていいわよ、ステラの言葉遣いを学ぶところもあるし。一緒にケーキに誘ってくれたんでしょ?」

「はい!」

 ステラのおすすめは季節の果物を乗せたタルトと、アーモンドの焼き菓子だ。是非ともまた、あの綺麗なケーキを見たいし、エリデにも美味しいと言って欲しい。


 今日のエリデの服装は糊の効いたシャツにヴィーテ産だというマーブル模様が鮮やかな緑のスカーフ、細身のズボンとヒールの高いブーツがとても格好良かった。

 ステラも平均よりはやや高めの身長だが、エリデはステラよりも、もう少し高い。

「うちは父も母もぼんやりしてるから、私がしっかりしなきゃと思って商業科に転入したの」

「ああ……」

 ガラスというフェルリータでは高級品を、見習いが作ったからとほぼタダ同然で贈ってしまうご両親だ。技術料も含めてフェルリータなら金貨三十枚取っても破格だろう。


 職人としては尊敬しているけど、経営者としては危なっかしいとエリデは言う。

「うちは父が職人気質で無口なので、母が経営者で営業なんです。あとで母も紹介しますね」

「ぜひお願いするわ。ステラは卒業したら工房に入るの?」

 ビスケットを割るエリデの手は白い手袋に包まれている。職人と経営者を兼ねる予定のエリデの手には多少なりと火傷があるため、手袋がコーディネートに含まれるそうだ。

「それが、決まってなくて。両親には好きにしていいと言われてるんですが」


 人との距離を縮めることが苦手なステラは、営業に向いていない。イガグリ娘と呼ばれて、下を向いて過ごした期間がそれに尚更拍車を掛けた。

 経理は得意だ、帳簿をコツコツと付けたり材料の在庫確認をするのも好きだった。眼鏡を得たことで、帳簿も見えるようになったし手元も見える、正式に工房に入って職人を目指すこともできるかもしれない。

「でも、うちにはもう内弟子さんが二人居て、営業には母と妹が居て、仕入れには兄が居るんですよ」

 そうなのだ、工房には父に惚れ込んだ内弟子がおり、店先には美貌を誇る母と妹がおり、仕入れにはフットーワークの軽い兄が居る。兄はほとんど家に居ないが、年に三回くらい帰ってきて、産出地で買い付けた貴重な宝石や貴金属を持って帰ってきてくれる。

「今から開店の我が家には羨ましすぎる話だわ」

「そうですよね」

 溜息を吐くエリデには頷いたが、ミネルヴィーノ宝飾店にステラは必ずしも必要がないものなのだ。自由にしていい、とはそういうことだ。誰もステラに強要しない、同時に期待もしていない。


「服飾店の跡取りと婚約していたのですが、それも破棄されてしまって」

「クラスの誰かから聞いた気もするわ。いつの話?」

「高等部に入ってから二年間です」

「それ、相手の顔とか見えてたの?」

「全く……」

「無茶だわ」

 紅茶を飲みながら力強く頷いたエリデにステラも同意した。眼鏡を得て初めて、相手の顔を認識できたくらいなのだ。合同教室と、教師の出欠点呼がなかったらそれも危うかった。

 私の婚約者はどの人ですかなど、周囲の誰にも訊けはしない。婚約者だった同い年の少年は、純朴そうで真面目で、父と少し似ていた。


「もともと商店同士の契約に近かったので、妹が代わりに婚約しました」

「ええぇ……、それは、ありなの?」

「妹は明るくてしっかりした、とても良い子なんです。相手方の希望が、接客営業を任せられる女性、とのことだったので」

 ヴィーテには存在しない価値観なのか、エリデはしばらく呻いていたが、ステラがビスケットを三枚食べたところで顔を上げた。

「まあ、人には向き不向きがあるわよね!」

「正直、肩の荷が降りた気がしています」


 ステラは母や妹のようにはなれない。むしろ、二年間で見切りをつけたのはお互いにとって良い判断だと言えた。学校を卒業して嫁入りしてしまえば、返品も交換も簡単ではない。

「卒業までまだ半年以上あるので、とりあえず工房で見習いをして、あとはもう少し経理の科目を増やそうと思います」

 余所の工房に入るには中途半端な技術だが、同級生達の家などに経理で雇ってもらえることはあるかもしれない。

「いいと思うわ。ほら、どこからか話が来るかもしれないし」 


 それはどうだろうとステラは思った。けれど、エリデの気持ちがとてもとても嬉しいものだったので、次の外出の時にはケーキを奢らせてもらおうと固く決心した。


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