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5-3:グレゴリオ・ローレ

 グレゴリオ・ローレは期待されない男だった。


 カルダノ王国の三大公爵家の一つであるローレ家の現当主、それがグレゴリオ・ローレである。『北の大白鷲』と呼ばれ効率王と次王に仕えた偉大な父を持ち、生まれた娘は今代のカルダノ王妃として名高い。娘が産んだのは聡明な王子で、次代の国王と目されている。

 周囲の人々はグレゴリオのことを、全てを手に入れた男と呼ぶ。誉めそやされ、剛運だと羨ましがられたことは数え切れない。

 けれど、グレゴリオ本人は自分のことを不運の部類に入ると思っていた。

 学問の出来は人並みで、ぽっちゃりとした体型をしており足も遅く、武芸は並より劣るだろう。学問も武芸もずば抜けて秀でた父と弟に挟まれ、比較され続けた学生時代だった。

 グレゴリオは容姿も能力も極々平凡であり、父にも弟にも何一つ比肩できるところがなかった。唯一の幸運は、『これで性格まで捻くれたら、自分には何も残らない』と考えられる程度の頭があったことだろう。出来ないまでも真面目を心掛け、人の話に耳を傾けることだけは忘れなかった。

 幸い、グレゴリオが通っていた学校は、ローレを中心に北方領の貴族の子女が通う学校だった。目立った嫌がらせなどは無く、常に人に囲まれている弟のような人気者にはなれなかったが、仲の良い友人も出来た。


 学校を卒業しグレゴリオが二十歳になった時、歳の離れた妹が産まれた。長男、次男、と続いたローレ家に待望の長女である。ルクレツィアと名付けられた妹はローレ家の紫紺の髪と鳶色の目を持ち、幼いながらに整った美貌に末は王妃か女公爵かと上にも下にも置かない扱いで育てられた。

 結果、その一年後に結婚したグレゴリオの結婚式はとても地味なものになったが、学生時代に出会った令嬢は穏やかな優しい人で、グレゴリオは自分の結婚にこの上なく満足していた。二年後に産まれた娘には、マリネラと名を付けた。

 風向きが奇妙に変わり始めたのは、妹が二十歳になったときだ。ローレ家の文官として地味に地道に働いていたグレゴリオは父に呼び出された。


「お前に家督を継がせる」


 偉大な父からのまさかの言葉に、グレゴリオは頭が真っ白になったことを覚えている。何故なら、ローレ家を継ぐのは弟だと思っていたからだ。グレゴリオだけではなく、周囲もそう思っていただろう。

「ヴァレンテ王子殿下に、マリネラを嫁がせる」

「王子殿下に、マリネラを、嫁がせる……」

 呆けた鸚鵡のようにグレゴリオは復唱した。ヴァレンテ王子殿下はカルダノ王国の第一王子殿下で、他に兄妹はいない。つまり、嫁ぐ娘は次代のカルダノ王国王妃に確定する。マリネラは十七歳で、八歳上の王子殿下とつり合いは悪くない、悪くはないが。

「ルクレツィアを嫁がせるのでは無かったのですか⁉︎」

 脂汗を垂らしながらグレゴリオは問うた。二十歳になった妹はローレ家の血を色濃く継いだ美貌を持ち、王家に嫁ぐのではと、すでに噂が立っていた。年の頃も、マリネラより王子殿下に近い。

「あのような娘を王家に嫁がせることなど出来ぬ、ローレ家末代までの恥になるぞ」

 グレゴリオに家督を継がせることによって、マリネラは次代のローレ家当主の長女となり面目が立つ。自分の娘を恥とまで言い切った父の顔は、怒りに満ちていた。年の始めなどに、年に一度しか会わなかった妹は、父にこうまで言わせるような娘なのか。


「マリネラがヴァレンテ王子殿下に嫁ぐことになった。それで、僕も家督を継ぐことになったよ……」

 家に帰って報告すると、妻はグレゴリオと全く同じ、呆けた鸚鵡のような顔をした。対して、娘のマリネラは全く動じず、背筋を伸ばしてグレゴリオに問うた。

「では、私は後に王妃になる可能性が高いのですね?」

「高いどころか、確定に近いね……。ルクレツィアではなく、マリネラを父が選んだ」

 叔母ではなく自分が選ばれた理由を聞き返すこともなく、マリネラは頷いた。十七歳になった娘は美しく聡明で、成績もずば抜けて優秀だった。鷹がトンビを産み、トンビが鷹を産んだ。グレゴリオはいつだって優秀な人間に挟まれている。

 グレゴリオは数年内に家督を譲られることが公表され、マリネラは高等部の卒業を待って、王家に嫁いで行った。


 五年が経った。優秀だった娘はこれまた如才なく王子と王女を産み、グレゴリオはローレの当主になった。妹のルクレツィアは父の怒りを買い、領地の隅に屋敷と婿を貰って住むことになったと聞いた。

 さらに十五年余りが経つ頃に、父がルクレツィアの様子を見に行くと言い出した。ルクレツィアの今についてグレゴリオが知っていることは少ない、男児と女児を産んだとだけ聞いている。

 二十年ぶりに会った妹は、変わらず美しかった。

「お父様、お兄様、ご機嫌よう」

 そう挨拶する姿も美しかったが、グレゴリオは底知れない気味の悪さを感じた。古びて手入れの行き届いていない屋敷に住んでいるにも関わらず、妹本人からは年月の経過を感じなかった。子供を二人設け、四十も超えた妹は二十歳そこそこの娘のような姿のまま佇んでいた。

「……お前の息子と娘はどこだ」

 地の底から搾り出したような父の声にも妹は怯まず、ただただ優雅に可憐に、


「わたくし、存じません」


と返した。なぜそんなことを聞くのだと、心の底から不思議に思っている声だった。

 ルクレツィアの子供たちは屋敷ではなく、屋敷の周囲にある村に住んでいた。声を掛けてみれば、二人とも紫紺の髪と鳶色の目をしている。利発な受け答えに反して、擦り切れた服から覗く手足は痩せこけていた。

 後から父に聞いた話では、『屋敷に眠りに帰るばかりのローレ家のご子息達が、あまりに不憫だ』と村長から手紙が来たらしい。父が送っていた学費や生活費は活用されておらず、さして寄り付きもしていなかった婿は返品された。


 妹の息子はリベリオ、娘はリリアナと言った。リリアナはローレ家本邸の父の所に行き、そこから学校に通うことになった。グレゴリオは十六歳になっていた甥を引き受けた。

 リベリオは苦労の多い子供だった。それは、一緒に生活をしてみればすぐに分かった。誰よりも早く起き、家畜の世話をして、使用人に混ざって煮炊きの準備をする。グレゴリオの妻が、そんなに気を使わないでゆっくりして良いのよと伝えると、困惑していた。

「文字は読めるかい?」

「……すみません」

 読み書きは、村で習った簡単なことしか出来なかった。そして口数は、同年代の子供に比べて圧倒的に少ない。人と会話をする機会が、ほとんど無かったのだ。剣に至っては持ったこともないという。慌てて家庭教師を付け、士官学校に通わせ、北方軍に入隊させる手配をした。

 マリネラが居なくなった家に来た甥は、真面目な子供であった。読み書きを覚えるのは早く、文字を読めるようになってからはグレゴリオの屋敷にある本を片端から読んでいた。北方軍で同世代の友達も出来たようで、口数も少しだけ増えた。

「弓の成績が、ずば抜けて良いじゃないか!」

 剣も槍も人並み以下だったリベリオは、なぜか弓の成績だけは抜群に良かった。

「弓は、手順に対して身体が比較的思い通りに動いてくれるので……」

 そう、リベリオは言っていたが、グレゴリオにはよく分からなかった。分からなかったので、甥には弓が向いていたのだと解釈した。


 年月は瞬く間に過ぎ、十八になり成人を迎えて、仕事をどうするかという話になった。リベリオ本人は、妹の学費と生活費が稼げればどこでも良いと言う。父と相談し、ローレではなく王都で北方騎士長の任に就かせることにした。

 リベリオを王都に着任させるのには、幾つかの理由がある。

 一つは、北方騎士長は戦争が起きていない現在、比較的安全で収入が安定した職であること。もう一つは、ローレ家における家督の問題だ。グレゴリオと妻の間にマリネラ以外の子供はいない。グレゴリオの次は、グレゴリオの弟かその子供がローレ家当主になる予定だ。

 ここにリベリオが混ざってしまうと、ややこしい事になる。ローレに置いておくと、北方領の中でも有力な貴族の令嬢を押し付けられて担ぎ上げられる可能性が高い。本人にその気がなくともだ。

かと言って、ローレ家の長女の子息をローレの市民と結婚させて一般市民として扱うのも外聞が悪い。


「僕たちの都合で、王都に働きに行かせてしまってすまないね」

「いいえ、伯父上。私は働く場所があればそれで十分です、今までありがとうございました。リリアナをよろしくお願いします」

 本当に、本心からそう言った甥にグレゴリオの胸と胃はズキズキと痛んだ。この時にはグレゴリオはローレ家の当主になっていたので、家の宝物庫から家宝の魔弓を持ち出してリベリオに押し付けた。

 王都ではマリネラが監督役になるが、本当にそれだけだ。グレゴリオは、生真面目で苦労が多い甥の結婚相手すら探してあげられないのだ。リベリオが旅立った日、グレゴリオは自らの情けなさにちょっと泣いた。



 二年が過ぎ、弟と入れ替わりに北方騎士長に就任した甥は、毎月律儀にリリアナの生活費を送ってきていたが、この年の新年の手紙は少し違っていた。

『入籍しましたので、春先に式を挙げにローレに一度戻ります』

 甥らしい説明の足りない手紙であったが、グレゴリオと妻は両手を挙げて喜んだ。修道士のごとき姿勢が評判であった甥からの、まさかの結婚の報告である。

 式の手配や宿の手配をして楽しみに待った春、甥が連れてきたのは眼鏡を掛けた栗毛の、真面目そうなお嬢さんだった。

「お初にお目に掛かります。宝飾室の管理官と第二王女殿下の侍女を務めております、ステラ・ミネルヴィーノと申します」

 ギクシャクと折られる膝に、女性がとてつもなく緊張していることが、あがり症のグレゴリオにも分かった。勝手に親近感を覚えながら、右手を差し出した。

「ああ、そう構えずに。グローリアの式では会えなくてすまなかったね。ようこそローレへ、グレゴリオ・ローレだ」

 おずおずと握られる右手、彼女とリベリオが顔を見合わせて頷く。苦労ばかりをしてきた甥の無表情が少しだけ緩んで、それだけのことが随分と嬉しかった。


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