5-1:北方都市ローレ
「グローリア様のお輿入れ、凄かったですね」
「ああ、港に来ていたのは帝国で一番大きな帆船らしい」
「船も行列も本当に綺麗でした。……それにしても、視察じゃないというだけで気が楽ですねえ、リベリオ様」
年が明けグローリア第一王女殿下の輿入れを見送り、寒さが和らいで春の気配がし始めた頃、ステラとリベリオは北方都市ローレに向かった。
新婚旅行を兼ねて、およそ二ヶ月の休暇の始まりだ。
「私、ローレって行ったことないんですけど、何が美味しいです?」
「ローレの名産はブドウとリンゴです。山から肉も取れますよ、カーラ嬢」
ステラ達の出立に合わせて長期休暇を取ったカーラとアマデオが加わり、小さな幌馬車で気楽な四人旅である。
王都からローレまでの道程は件のミオバニア視察とほぼ変わらない。王都から街道を使って北に、突き当たりを東に向かえばローレに到着だ。視察で半年ばかり寝泊まりした騎士団の拠点を、何とも言えない気持ちで通り過ぎた。
「え、ステラあれに半年居たの」
カーラが十個ほど立っている平家を指差して、ステラに尋ねた。こくこくと頷く。
「お疲れ様すぎる……」
拠点の平家は三、四人ずつに分かれて寝泊まりする。ミオバニアの麓町よりも静かではあるが、いかんせん周囲には何もない。拠点と麓町を往復するだけの生活が半年ばかり続いた。正直なところ、二度と勘弁して頂きたい。
「あと二時間もすればローレだ」
舗装された道が始まり、途中で石造りの凱旋門を抜けた。
「随分と、古い……」
「ローレは古い街だ。漆喰を使う王都の建物とは違って、ミオバニアから石を切り出して建材にしている。この石門と石畳は確か、四百年ほど前に作られたはずだ」
凱旋門に使われている石はフェルリータの煉瓦のように整っておらず、ゴツゴツと不恰好のまま積まれている。風雨に晒され黒く変色した表面が、長い歴史を感じさせた。
「見えたぞ」
「うわあ……すごい……!」
春を迎えた緑色の盆地に建つ石造りの城壁と、古い街並み。その背景に聳え立つ、ミオバニア山脈。先日視察した西側に比べてローレの背後にある北側の山々は険しく、ゴツゴツと剥き出しで険しい岩肌と鋭角な頂がくっきりと見える。抜けるような青空と、雪を残した山頂のコントラストがとてつもなく美しい。
避暑地として人気だという理由が分かる。あれだけ呪わしく思えたミオバニア山脈は、今こうして見るととてつもなく美しい。絶景を楽しみながら歩いて城門に近づけば、リベリオとアマデオの姿が見えたのだろう数人が駆けて来た。
「リベリオ様、アマデオ!」
「久しぶりだな。ステラ、彼等は俺とアマデオの北方軍のときの同僚で」
年若い門番達はリベリオとアマデオの元同僚だと名乗った。
「は、初めまして、ステラ・ミネルヴィーノです」
「ステラの同僚のカーラ・パストーレです!」
おお〜、と若者達から歓声が上がる。
「ローレへようこそ! 結婚式を挙げると聞いてます、ゆっくりしてってください!」
どうぞどうぞと促され、門扉を潜る。
「かわいい!」
ステラとカーラの歓声が被った。
古いとリベリオが言ったローレの街は、王国の古い街並みを残している。木材で梁を建て、切り出した石材で壁を作った家だ。王都に存在しない三角屋根は、童話の世界のようだった。
「えっ、北方騎士団の皆さんってこんなかわいい街の出身なんです⁉︎」
質実剛健というイメージからは掛け離れているとカーラが驚く。
「カーラ、王都が先進的なだけで、フェルリータなんてもっとごちゃごちゃしてます」
「ふぇ⁉︎」
カーラは生まれも育ちも王都だ。不揃いな石の角材、小川の淵積みが崩れていたり窓や軒先に花や緑がある光景は、王都に比べれば随分と人間らしく可愛げがあるように見える。
門から丘の城まで続くローレの大通りは市場と飲食街と宿屋が混在していて、王都の大通りに比べると距離も近くて賑やかに感じる。ステラもカーラも見たいものばかりで、結果、遅々として足は進まず、全ての店頭をカニのように歩く羽目になった。
「リ、リベリオ様、あの鉱石屋さんは、あっあの、あの本屋さんも見たいです!」
「えっ、あの野菜、何⁉︎ あの店頭で売ってる平たいパンも何⁉︎」
リベリオは二人の後ろに黙して付き添っていたが、これではいつまで経っても目的地に辿り着かない。見かねたアマデオが口を開いた。
「カーラ嬢、まず宿に荷物を置きに行きましょう。リベリオもまず本邸に挨拶を」
「あっ、はい」
「そうでした……!」
正気に戻ってみれば、まだ馬車に荷物を乗せたままだった。馬車を引いたまま歩いていると往来の邪魔にもなる。
「アマデオ、パストーレ女史を宿へ」
「分かった。リベリオ達は本邸で夕食と宿泊だろう?」
「ああ」
カーラの宿は事前に手配されている。ローレでも古くからある高級ホテルで、貸切にされたそこにカーラを始めステラの家族や同僚など、遠方から来る参列者全員が泊まる。順当に集まれば、結婚式は十日後の週末である。
「パストーレ女史、ローレの中でしたらどこへ出掛けられても大丈夫です。ステラに用事があるときは宿のカウンターに声を掛けてください」
「わかりました!」
「まだ十日あるので、フェルリータから家族が来たら紹介させて下さいね、カーラ」
「もちろんよ! 私はしばらく食べ歩き三昧するわ」
宿泊ホテルのカウンターとローレ家の家宰、互いへの連絡手段を確認して、カーラとアマデオと別れた。馬車の中にある荷物は本邸へと運んでもらうことにし、馬車本体はカーラの泊まる宿に預けて帰りにまた使う予定だ。
「カーラの泊まる所は、歴史のあるホテルだと聞きました」
歴史は専門ではないが、ローレに来る前にルカーノ室長とナタリアから簡単な講習は受けた。ローレ家がどのホテルを来客用にするかは分からないが、古くからあるホテルは軒並み高級らしくナタリアが楽しみだと言っていた。
「? 確かにローレでも一番古い宿だが、古さだけなら俺たちが今から行くあの」
「あの」
リベリオが指差した先を目で追う。
「……あの、ローレ家の本邸って」
「あの中だ」
古き良き街並みの最奥、石造りの堅牢な壁、高い鐘楼、ミオバニア山脈の岩壁を背に建てられたそれは紛れもなく城だった。
「ワァ……」
「昔は砦としての役割も兼ねていたそうだ」
正面にローレ家の旗が掛かっているのが見える。王都は区画こそ無駄なく配置されているが、王城にはそれなりの装飾があり、漆喰の白い壁が美しい。ローレの城砦には装飾がほとんど無い。石の角材を積み上げ、苔生してやがて変色するほどの長い歴史を経た無骨で剛健な城砦だ。
「でも、かっこいいですね」
黒い城壁に、ローレ家の紫と金糸の旗がよく映える。冒険小説の中に出てくる城とは、こんな感じではなかろうか。
衝撃が過ぎれば探究心が勝った。城砦の背景にある、歩いても歩いても近づいた感じのしないミオバニアの岸壁を見上げる。
「高い山ですが、登って越えるのは?」
「無理だ、高い山で三千メートルある。これのおかげでローレは北を気にせずに済んでいる」
北の隣国がミオバニア山脈を越えるには、さらに東を大回りする必要がある。もしくは西の帝国を経由するかだ。
連れ立って歩いていると、ローレ城の正門が見えてきた。正確には、人だかりが見えてきた。入口であろう広場に、何やら人が多い。しかも奇妙なことに人だかりは正門から一定の距離を置いて、円を描くように集まっている。その中心、正門の傍らにとんでもない美少女が立っていた。
「リリアナ」
リベリオが呼びかけ、少女が足を向けると人垣が割れた。自分よりも背の高い野次馬の集団の間を、少女は何一つ構わずシャキシャキと歩幅も広くこちらに歩いて来た。
高い位置で結ばれた紫紺の髪が、背の半ばまで波打っている。夜空の髪、けぶるような睫毛に、緑色の混ざった鳶色の瞳。ルーチェ殿下に勝るとも劣らない超絶美少女だ。地元を出てからこちら、ステラが出会う人々の麗しさは天井を知らない。
「大通りで兄様を見掛けた方々が、知らせに来てくれました!」
「……すまない」
腰に手を当てて怒った素振りをしている妹に、リベリオは何の威厳もなく頭を下げた。
超絶美少女がクルリとステラの方を向いた。正面から見てもやはり麗しい。白襟の付いたグレーのワンピースと焦茶のブーツは制服だろうか。シンプルなデザインのはずが、顔面力で豪華なドレスに見える。
「は、は、初めまして! ステラ・ミネルヴィーノと申します!」
凛としたアメジストの美貌が、次の瞬間、白い歯を見せてニパッと笑った。
「初めまして、ステラお義姉様! リリアナ・ローレです!」
耳に響く溌剌とした声、ぽかんと呆けたステラに差し出される右手。ステラよりも頭一つ下にある白襟の真ん中に、ステラが半年前に選んだガラスのループタイが光っていた。