4-6:大晩餐会
前半の式典から戻ってきたルーチェ殿下を部屋で出迎え、昼の軽食を摂って少し休憩したらもう夜の晩餐会の準備である。
ルーチェ殿下の冬の正装もベージュゴールドのドレスで、半年の間にもう何着かを作ったのだという。夏の物よりも生地が厚く、隙間なく刺繍を施されたドレスはずっしりと重い。晩餐会が行われるホールには魔石による空調があるので薄い生地でも良いはずだが、そこは威厳と季節感の問題だ。
ステラが薦めたスピネルの一式を、ルーチェ殿下は今回も希望した。円卓の席に着いての食事があるので、赤紫色の美しい髪が前に落ちないようにサイドを掬って結い上げる。
宝飾室では今後必要だと見込まれる宝飾品の検討も行なっている。成人されるまでに指輪や耳飾りも作り足してはどうだろうか、今度提案してみよう。
そんなことを考えながら着付けをしていると、コンコンとノックが鳴った。
「ルーチェの準備は終わっただろうか、兄が迎えに来たぞ」
「お兄様だわ、入って頂いて」
「はい」
闊達でよく響く明るい声は、エヴァルド殿下のものだった。
「おお、ステラ嬢ではないか!」
「長らく留守に致しました、エヴァルド殿下」
「帰って来るなりリベリオと籍を入れたと聞いて、いやあ驚いた!」
ワッハッハ、とエヴァルド殿下は笑う。
「殿下……」
太陽のような第二王子殿下の後ろから、リベリオが顔を出した。夜の晩餐会には、ルーチェ殿下とエヴァルド殿下が一緒に入場する。その後ろを、ステラとリベリオがついでに付いて入る算段だ。
夏よりも少し背が伸びたルーチェ殿下を腕に乗せて、エヴァルド殿下は歩き出した。後ろから見るルーチェ殿下のドレスとエヴァルド殿下のマントは、ベージュゴールドの同じ生地を使ってある。
「ご兄妹で、揃いの正装を作られたのですか?」
「うむ、ルーチェのドレスに合わせてマントを新調したのだ! 母上が羨ましいと言っておられたので、そのうち母上も揃いで作るのではないか?」
「それは、とてもよくお似合いでしょうね」
夏に一度会ったフルヴィア妃は、薄い紅色の髪をした王妃殿下だった。朗らかな春のような王妃殿下がベージュゴールドのドレスを纏って、前を歩く御二人と並んでいる光景はさぞかし素敵だろう。
「其方らも大変よく似合っておるぞ! お揃い、だ」
お揃い、とは。リベリオと顔を見合わせる。
「揃いの色を着ているではないか」
確かに、ステラの侍女服もリベリオの騎士服も、揃いのピーコックグリーンである。しかしこれは王城の勤務年数による色分けの結果であって、意図して揃えた物ではない。
「殿下、これは制服です」
リベリオの生真面目なツッコミにも、殿下は怯まなかった。
「働く者の正装ではないか。真面目で誠実な其方らに、ふさわしい揃いだなあ」
リベリオの鳶色の目が丸く開いて、それから少しだけ弓を描いた。
「何よりも有難い、祝いの言葉です」
臣民を大事に想う、朗らかな太陽のような王子。王になる必要がないと言ったマリアーノ殿下の言葉の意味が、ステラにも分かった。
「ありがとうございます、エヴァルド殿下。そのお言葉だけで、晩餐会で笑われても胸を張っていられます」
前を悠々と歩く背中に、ステラは心から頭を下げた。
「? 其方らを笑うような大物は、おらぬのではないか?」
「は?」
「晩餐会の其方らの円卓には、マリネラ様がいらっしゃるぞ」
マリネラ・ローレ・カルダノ。
カルダノ王国の二人の王妃のうちの一人で、マリアーノ殿下とグローリア殿下の生母。名前にローレと入っているのだから、ローレ家の出身なのだろう。ステラの知るマリネラ妃の情報はそれくらいだ。
ステラとリベリオが案内されたのは前から二番目の円卓で、王が着席する円卓の次に席次が高い。用意された七つの椅子は、マリネラ妃、農務大臣とその奥方、ナタリアとエルネスト、ステラとリベリオが座る席だ。
「無事の帰還何よりです、リベリオ殿」
「ご無沙汰しております、マリネラ様。こちら、入籍致しましたステラ・ミネルヴィーノです」
「お初にお目に掛かります、ステラ・ミネルヴィーノと申します」
着席の前に互いを紹介する時間が持たれ、ステラは初めて近くで見るマリネラ妃にギクシャクとしながらも膝を折って礼をした。
「マリネラ・ローレです」
上位の相手が返事を返せば、挨拶の成立である。
マリネラ妃は御歳四十二。十八のときに嫁ぎ、王子王女の二人を産んでなお玲瓏たる美貌の持ち主だ。マリアーノ殿下、グローリア殿下の産みの親であるが、色彩はほんの少し違う。深いアメジスト色をした紫紺の髪と鳶色の瞳、それはステラの隣にいる人に良く似ていた。
「……リベリオ、様?」
「ああ、マリネラ様は私の従姉妹にあたる。マリネラ様の父上が、私の母と歳の離れた兄妹で」
席に着きがてら、リベリオはローレ家の大まかな説明をしてくれた。
「グレゴリオ伯父上と母は二十以上も歳が離れていて、間にユリウス伯父上がいる」
「私とリベリオ殿のお母上は三つ違いで、……そうですね、叔母というより姉のような方でしたでしょうか」
姉のようなとマリネラ妃は言っているが、以前聞いたリベリオの話から関わることは少なかっただろう。王家に嫁ぐ娘を、問題児に関わらせるような真似はしない。そして産まれたマリアーノ殿下は、リベリオよりも歳上だ。リベリオが王都に来るまで、マリネラ妃はリベリオの存在を知らなかった可能性すらある。
「以前はユリウス伯父上が王都で北方騎士団長を勤めていて、私と入れ替わりにローレに戻られましたね」
「ええ、自分の子供のような歳の従兄弟が来たと始めは驚いたものですが、リベリオ殿はよく務めてくれています」
「来たばかりの頃はマリネラ様に幾度もご迷惑をお掛けしました。これよりは、夫婦で恩をお返し出来ればと思います」
リベリオが深く頭を下げ、マリネラ妃が頷きを返して挨拶は終わった。ローレ家の中で、誰よりも長く王城に居るのはマリネラ妃だ。リベリオを含めた、王都に置ける北方領の監督役にあたる。
「お待たせ致しました、マリネラ様」
「妃殿下と同席とは、身に余る光栄です」
朝から駆け回っていたであろうナタリアとエルネストが現れ、ふくふくとした農務大臣とその奥方も来られたところで席に着いた。マリネラ妃の左隣にリベリオが座り、その隣にステラ、ナタリア、エルネストと続く、配慮を感じる席次である。
「来る年、我が国と帝国の友好を願って」
国王陛下の乾杯の音頭と共に晩餐会はスタートした。国王陛下と帝国のイズディハール皇太子、グローリア殿下達の円卓はステラとリベリオの円卓よりもさらに前にある。エヴァルド殿下とフルヴィア妃に挟まれて座るルーチェ殿下の姿も見えた。
料理は夏の祭典と異なり、帝国風のコースだ。ワインは互いの友好を示すように、帝国と王国と両方のものが開けられた。同席した農務大臣が、使われている野菜や魚、肉などは我が国で取れたものを使用していると説明してくれた。調理法こそ違えど、帝国と王国で食べられる素材は共通するところも多い。
婚礼時に出される牛肉と牛乳のスープに始まり、茸と白チーズを盛り合わせたサラダ、羊肉とドライフルーツの煮込み、魚貝のピラフなど正統派の帝国料理が並ぶ。ルーチェ殿下には申し訳ないが高級料理である。料理長が腕を振るった皿の数々に、皆で舌鼓を打った。
酒と料理が進むと、話も広がる。話題はやはり、電撃入籍したばかりのステラとリベリオの話になった。
「お若い御二人はミオバニアの雪の中で愛が芽生え、猛吹雪の先をも見通す目を持って下山が叶ったとお聞きしました! 本当でございますの⁉︎」
出会いを聞きたくて仕方なかったらしい大臣の奥方から出たのは、食堂の調理員さんと全く同じ噂だった。いや、更に尾ひれが加わっているのか、この説はどこまで広がっているのだろう。それとも、害のある説では無いのでもうこれで良いのか。
真っ当に説明する方が問題が多い気がする、ステラの判断はリベリオも同じだったのだろう。
「ええ、ミオバニアの神々から頂いたご縁です」
あえて否定せず、頷いてみせた。ステラよりも遥かに歳上の奥方が、キャアと少女のように頬を赤らめるのが微笑ましかった。雪山で遭難して愛が芽生える、娯楽小説のように情熱的な恋愛だ。箇条書きで条件を書き出したことは、墓まで持って行こうとステラは思った。
「住むところはどうするの? ステラは居住棟暮らしでしょう?」
結婚後の住まいについて尋ねたのはナタリアだ。
「私はまだ入城して日が浅いので、もう少しアンセルミ侍女長様の元で学びたいと」
「私もタウンハウスを持っておりませんので、しばらくは恋人生活と思い楽しむ所存です」
ステラと同じく、リベリオも騎士団の寮で暮らしている。入籍を急ぐ必要はあったが、逆に言えばそれ以外を急ぐ必要はあまり無い。数日に一度は会うこととして、当面は二人とも王城暮らしである。
「ええ、ええ! 恋人の時間も惜しんで入籍されたとお聞きしましたもの!」
「ああ。順番は違えど、恋人のように過ごす時間は必要なものだ」
少女のようにはしゃぐ奥方を見る大臣の目は優しい。経営に携っているレストランの招待券を贈ろうと祝ってくれた。
「式は」
「はい」
「結婚式は、どうするのです?」
美しく硬質な声はマリネラ妃だ。
「グローリア殿下の輿入れを見送った後、春先辺りにローレでの挙式を考えております」
と、リベリオが答えた。
「分かりました、お祖父様と父には私からも一筆書いて置きましょう」
「ありがとうございます」
実はまだ、リベリオもステラも入籍したことを実家に知らせていない。今日の準備をするのに手一杯で、遠く離れた実家への連絡は後回しになっていた。王都からフェルリータまでは半月ほどで手紙が届くだろうから、年を超える前には投函したい。
「ローレ! 良いわねえ、私とエルネストも招待してくれるかしら?」
「も、もちろんです!」
ナタリアはステラの直近の上司である、新婦側の介添人も頼んでみる予定である。春夏のローレは風光明媚な観光地として人気が高く、新婚旅行を兼ねてローレで挙式してはどうかとアマデオが提案してくれた。カーラも来たいと言っていたので、賑やかな式になると嬉しい。
「グローリア様は帝国で式を挙げられるとお聞きしました。我が国からは、どなたが参列されますか」
「王国からは宰相が、ローレからは父が出向く予定です」
マリネラ妃の父親はグレゴリオ・ローレ、リベリオの昔話に出てきた弓をくれた伯父様で、当代のローレ家当主、とステラは脳内のメモを捲る。
「グローリアの式は一月ですから、出立に間に合うよう父も王都に来ることでしょう」
「夫婦共々、グレゴリオ伯父上に挨拶に参ります」
「ええ」
コースが一通り出終われば、後はある程度自由に席を行き来出来る。とはいえ王妃殿下のいるテーブルに、他に挨拶に行くような人間は居ない。マリネラ妃は玲瓏な見た目から酷薄で寡黙な印象を受けがちだが、実際には政治、学問から流行まであらゆる話題に精通しており会話にも長けていた。
「ステラ殿」
「は、はい」
「ルーチェ様の侍女としてよく仕えてくれていると、フルヴィア様やアンセルミから聞いています。特に、ルーチェ様の部屋にドレスが増えたとフルヴィア様がお喜びです」
「も、勿体無いお言葉です」
驚いたのは、マリネラ妃がステラにも声を掛けたことだった。確かに縁戚には違いないが、立場は宝石と庭石くらいの違いがある。会話を振られることはないだろうと別の意味で安心していたステラは、膝を握りながら会話に応えた。そうでないと、うっかりハンカチでこめかみの汗を拭きかねない。
「春先に式を挙げるとのことですが、ドレスはもう用意していますか?」
「……ドレス。い、いえまだ何も決めておりません」
入籍と指輪だけで頭が一杯だったと説明すると、マリネラ妃は静かに、大臣の奥方は微笑ましそうに頷いた。
「明日にでもアンセルミのところに仕立て屋を寄越します。時間が掛かるものです、ドレスだけはこちらで作って持って行くと良いでしょう」
考えてもいなかった。王妃様の紹介でドレスを仕立てるなどステラには余りにも恐れ多い。いやでも、余りみっともない格好をしてリベリオに恥をかかせるわけには、と眼鏡の下で混乱しつつ、こういうときにはとナタリアに目で助けを求めた。ナタリアが無言のまま、力強く頷く。黙って受け取れ、という意味だ。
「有り難く、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ええ、春のローレは美しい街です。私が以前帰ったのは、グローリアが生まれた時になりますか」
二十年ほど前だ。グローリア王女殿下が生まれ、二歳だったマリアーノ殿下も連れて里帰りしたのだとマリネラ妃は聞かせてくれた。
「あの時は大変でした、国王陛下が自分も行きたいと言い出されて。宰相が必死に止めて、何とか留守番をしてくださいました」
妃殿下の冗談なのか本当か分からない話に、笑いが起きた。
デザートは南瓜とアーモンドのプティング、飲み物はコーヒーか紅茶の好きな方を。甘いデザートワインや蜂蜜酒も振舞われた。
「ああ、話をすればローレで作られたワインですね」
葡萄を一度凍らせ、糖度を上げて作るデザートワインだ。繊細な指に握られたグラスの中で、粘度の高い琥珀色が揺れる。
故郷を懐かしんでいるのか、けぶる睫毛を伏せて目をすがめたマリネラ妃の表情も美しい。けれど、美しい故郷を想うにしては少しばかり複雑な憂いを帯びているように、ステラには見えた。