4-5:門出
月日は瞬く間に過ぎる。ましてや穏やかな王城で、帰還に伴う報告や片付けをしていたら半月など一瞬だ。春に入城した新人が視察に抜擢され、半年留守にした直後に騎士長と入籍したという話題は数日も経たずに広まった。
婚姻届を出した役所は王城のすぐ傍にあり、関係者の出入りも頻繁だ。恐らくはそこから目撃情報が広まったと思われる。『眼鏡を掛けている銀サッシュの女』というシンプルな目撃情報は、けれどステラ以外に存在しなかった。
婚約期間を挟まない電撃入籍だ、婚約期間であればやっかみや嫌がらせもあったかもしれないが、入籍してしまえばステラは曲がりなりもローレ家の縁戚である。直接的な攻撃が無かったのは幸いだ。
ただし、どうしてそうなったかは両名共に会話が不得手で聞き取りが困難であったため、様々な背びれ尾びれが付いて語られることとなった。
「ミネルヴィーノちゃん、冬の雪山でローレ騎士長と遭難して愛が芽生えたって本当かい⁉︎」
という質問を食堂の調理員さんにされたときには、スープを乗せたトレイを落としそうになった。遭難などしていない、そもそも王城に帰還したのはミオバニアの雪を避けたためである。
「……それは、すごいな」
「注目された方が危険が減ると聞いていましたので、そのままにしておきましたが…」
食堂で食事をしていれば、必ず誰かに声を掛けられるようにもなった。リベリオとの関係を聞きたい人、ステラと繋がりを持ちたい人、様々だ。
そして今、一瞬で過ぎた半月を経て、リベリオと二人並んで大晩餐会が行われる大広間の入口に立っている。両開きの扉は真上に見上げるほど大きく、施された彫刻が豪華だ。
年の瀬の大晩餐会は一年の総決算として、各部署の責任者が国王陛下に順に挨拶をする式典と、労を労う晩餐会の二部構成だ。
前半に、その年婚姻を結んだ貴族の挨拶と披露の列も加わる。そのため、入場する扉前にはどこかで見た大臣の方々と、ステラとリベリオと似たような年の夫婦が集まっている。どの夫婦を見ても、隙のない正装である。
煌びやかなドレスと宝石を身に纏った貴婦人に囲まれて、本当に制服で良かったのかという不安と、あのドレスと宝石をもっと近くで見たいという職業意識がないまぜになって、ステラの心境は忙しない。
「大丈夫だ、国王陛下への挨拶の文言はマリアーノ殿下が考えて下さった」
ここで、俺に任せろ、などと言わないあたりがリベリオは自らをよく分かっていると思う。
「マリアーノ殿下、証人欄以外にもたくさんサインして下さいましたね」
「ああ、エヴァルド殿下も」
件のマリアーノ殿下は婚姻届の証人欄以外にも、色々と便宜を図ってくれた。今回の大晩餐会への出席に捩じ込んでくれた上に、挨拶の順番はなんと一番目だ。これで表立ってリベリオとステラの制服に文句を付けようという輩は、余程の馬鹿か世間知らずである。
兄妹間では一番最後に入籍を知らされたエヴァルド殿下は大興奮し、大晩餐会にはこれを着けて行くがよいぞと豪華なメダルをリベリオに押し付けた。おかげで、普段は北方騎士長の勲章しか着けていないリベリオの金のサッシュは、やたら豪華なことになっている。
さらに、それを聞いたルーチェ殿下も、兄達に張り合った。ルカーノ室長に突貫作業でスピネルのブローチを用意させ、ステラに押し付けた。サッシュに着けて行きなさい、という意味だ。
「……ふふ」
「どうした?」
「いえ、嬉しいと、思いまして」
髪はアンセルミ侍女長が結ってくれた。髪に編み込まれたリボンとトパーズは家族がくれた。眼鏡はエリデが、銀鎖はリベリオが。何も飾りが着いていなかった銀のサッシュには、小さな王女殿下がブローチをくれた。
大臣達の挨拶は滞りなく終わり、扉の傍らの進行役がステラとリベリオの番ですと入場を促す。
「行こう」
「はい」
リベリオの右手に左手を乗せる。左手の薬指には一昨日届いたばかりの結婚指輪があった。女性が着けるにはすこし厳ついシグネットリングは、けれどその重さが心強かった。埋め込まれたアメトリンと周囲の装飾も美しい。百貨店の職人さんが最優先に作ってくれた。
昼は謁見に、夜は晩餐会や舞踏会に使われるホールには、多くの人間が入っていた。主に、大臣を始めとした高官と、高位貴族だ。夜の晩餐会は、ここに彼らの家族が加わる。
長い長いカーペットを進む。カーペットの突き当たり、中央の王座に国王陛下、その両脇に王妃殿下、さらにそのサイドに王子王女殿下の姿があった。カーペットの傍を固める人の列から表立った揶揄などはない。唐突すぎてよく分からないので言いようがない、というのもあっただろう。
玉座の手前で止まり、両名ともに深く礼をした。
「来る年の国王陛下並びに両王妃殿下、王子王女殿下、皆々様のご健勝をお祈り申し上げます」
リベリオの式辞は貴族間で使われる、ごく普通の挨拶である。
「また、この度、伴侶を得たことをご報告致します。共に手を携え研鑽に励み、陛下並びに皆々様とカルダノ王国へより一層の忠勤を尽くす所存です」
朝の白い日差しが差し込む静かなホールに、リベリオの声はよく響いた。この後に「来る年も励むが良い」「来る年も働きを期待する」といった言葉を国王陛下が返して、挨拶は終わる。
けれど、国王陛下の言葉は少しばかり違ったものだった。
「騎士の鏡と謳われるローレ騎士長が伴侶を得たことをめでたく思う。して、伴侶とは如何にして出会ったのか?」
国王陛下が結婚の理由や出会いを尋ねることは珍しい、というよりほぼ無い。貴族間でのステラとリベリオの前情報の少なさも相まって、ざわめきが起きた。
「第一王子殿下の命にて向かいましたミオバニア山脈にて、我らを結びつけて下さいましたのは山の神々の御力にございます。素晴らしき伴侶を得ることができ、王子殿下とミオバニアの神々に心より感謝を申し上げます」
普段、言葉の出力が足らずに怒られている人の口から出た淀みない美辞麗句に、ステラは呻きそうになった。一字一句すべて、王からの質問を予見していたマリアーノ殿下が用意していた回答である。
国王陛下が満足そうに頷く。これで今度こそ挨拶は終了だ、とステラがカーテシーの状態のまま安堵した時にそれは起きた。
「ローレ騎士長の伴侶となった其方」
呼び掛けに応えて顔を上げる。ホールの最奥、日の光が差し込む巨大なステンドグラスは例えようもなく美しく、その前に立つ御方の輪郭を荘厳に彩った。
現カルダノ王国国王、ヴァレンテ・カルダノは御歳五十。効率王のような際立った才ではなく、安定した治世で海路を拓き国を潤し、王妃二人を迎えて血脈を拡げた王だ。
「星の目を持つ娘よ、千里を見通すというその目をもってローレ騎士長と我が国に害を成さんとするものを取り除くがよい」
「この目に誓いまして」
マリアーノ殿下の拍手を皮切りに、ざわめきが歓声に変わり周囲からも拍手が起きた。王族の拍手に続かない貴族は居ない。
次の夫婦とすれ違いながら退場する。ここでつまずいた場合、今までの努力が水泡に帰す。過ぎるくらいにゆっくりと歩いた方が威厳が出るという侍女長の助言を得ていたので、ふかふかのカーペットを一歩ずつ踏み締めて歩いた。
ホールから出た時には、二人して緊張を吐き出した。マリアーノ殿下から、ステラも声を掛けられる可能性があるからと返答文を書いてもらっていても、実際に声を掛けられて驚かないかはまた別の話だ。
首を傾げたリベリオが、ステラに訊ねる。
「……ちなみに、千里先は見えるのだろうか?」
無理だ。