4-4:指輪と婚姻届
話は少しだけ前に遡る。
婚姻届にマリアーノ殿下のサインを貰ったのち、ステラとリベリオは城のすぐそばにある役所に来ていた。銀行が併設されており、アンセルミ侍女長やナタリアの手伝いで書類を届けたり取りに来たりとそれなりに往来のあった場所だ。
「婚姻届を出しに来たことはないな」
というリベリオの台詞が、冗談だったのかは悩むところである。
役所が混むのは朝であるので、昼過ぎのロビーは比較的ゆっくりとしていた。空いている窓口を選んで、記入してきた届出をカウンターに置いた。
「お久しぶりです、ローレ騎士長」
「届出の確認と受理を頼む」
「はい、少々お待ちください。ええと、こちらですね、婚姻とど……は⁉︎」
記入済みの婚姻届に目を通した女性職員が口をあんぐりと開き、言葉を失って固まった。気持ちは分かる。一度固まった彼女が、カウンターからぎこちない動きで立ち上がる。
「しょ、少々、少々そこでお待ちください! 部長を呼んで参ります!」
動いてくれるな、と言われて二人で止まる。婚姻届を提出しにきた男女というより、重要参考人か事故の目撃者のような扱いだ。
カウンターの奥から、部長が前に進んできた。丸々とした体格に隙のない化粧、侍女長とは長い付き合いだという女性部長はステラも何度か書類を届けたことがある。そも、役所には王城からの異動もあるため、この女性部長も元は王城に居たことがあるのかもしれなかった。
「ローレ騎士長、ミネルヴィーノ女史、部下が失礼致しました」
そう言って部長は婚姻届を受け取って、不備が無いかを丁寧に見て、最後に受付の印鑑を押した。
「おめでとうございます。王城にはこちらの書面をお出し下さい」
代わりに出されたのは、王城に提出する書類だ。王城内で結婚した場合、届出を出して以後は同部署に配属されることが無くなる。ステラとリベリオはそもそも部署が違うので、同部署に配属されることはないが、届出は全員に義務付けられている。
婚姻届の提出と受理は五分も掛からず終わってしまった。あまりの呆気なさに拍子抜けしたくらいである。
「理由を聞かれたら、どうしようかと思いました…」
「役所で理由は聞かないだろう……多分」
結婚理由とは大変デリケートな話である。王都の市民同士であっても、貴族の結婚であっても。ステラとリベリオの場合、ローレ家と家名は付くものの本人達の意識としては市民のほうに近い。
役所を出て、背伸びを一つ。昼のお茶までに片付けたいことはまだある。
行き先はすぐそこだ、役所、銀行ともう一つ並んでいる百貨店に向かった。王都に来てすぐナタリアに案内されて以来、たまの買い出しに来ていた百貨店だ。
広い店内は相変わらず賑わっている。その中で、宝飾品売り場に用事があった。
「お帰りなさいませ、ローレ様。指輪のサイズはいかがでしたでしょうか?」
「緩かった」
最初に寄って以来、買い出しでは寄ることのなかった宝飾品売り場の店主は、リベリオの姿を見ると個室に案内してくれた。
「とりあえず大変お急ぎとのことでしたので、台座のデザインやサイズを改めて伺わせて頂きたく」
「あの、リベリオ様、もしや……」
「開店と同時にここに飛び込んで、あるもので用意してもらった」
「わあぁ……」
結婚指輪をとりあえずで急いで買う、しかも相手の指のサイズも知らずに。宝飾店の娘としては男性の一人客がもしそれをしようとしたら全力で引き止めるところだ。それを重々承知で、出来合いの指輪を用意してくれたのであろう店主の心労を考えるだけで、胃が痛い。
「お祝いのご挨拶が遅れまして申し訳ありません。以前お越し頂いた宝飾室の方でお間違いございませんでしょうか」
「は、はい! ステラ・ミネルヴィーノと申します」
個室に案内してくれた壮年の店主は、ナタリアと百貨店に来た時にその場に居たのだという。半年前にたった一度しか来ていない、しかも自分が接客していないステラを覚えているのが流石である。
「改めまして、ご結婚おめでとうございます。指輪のサイズはいかがでしょうか」
「申し訳ありません、緩いです…」
試着をしていないのだから、当たり前だ。中央に座る四角のアメトリンは美しいが、細身で繊細なリングはやや緩い。手を洗ったら、恐らく抜ける。
「開店と同時にローレ騎士長が駆け込んで来られて、何事かと思いました。どうぞ、指輪をこちらへ」
ステラとリベリオと二人とも指輪を外し、用意されたトレイに乗せた。
「聞けばこれから結婚を申し込みに行くと。大変驚きましたが、急ぎ用意させて頂きました」
「すまなかった」
「とんでもございません。サイズは合っておらずとも、プロポーズに指輪無しでは締まりませんからね」
「あの、私からも、お礼を申し上げます。そうですよね、サイズやデザインは後で直せば良いんですよね。お恥ずかしいです…」
リベリオは求婚にあたって指輪を用意してくれた。その気持ちこそが重要であって、サイズやデザインは後から一緒に来て貰うことも出来るのだ。自らの機転の効かなさを恥いる想いである。
「いや、俺もこういったものに詳しくなくて……」
「ああ、ですが石だけはしっかりとローレ様が選ばれましたよ。大変にお似合いです」
「そ、そうなんですか……?」
リベリオがこくりと頷く、その仕草がかわいいと思ってしまい何やら気恥ずかしい。
「サイズが合わなくとも、この青紫と黄緑のアメトリンが良いと。ですので、一旦お渡して、お相手の方を連れてもう一度来て頂くようにお願い致しました」
「……」
ステラは気合を入れ直した。ここが腕の見せ所である、むしろここで腕を見せずして宝飾室勤めなどと名乗れない。メモ帳と筆記用具をポケットから取り出した。
「リベリオ様、リベリオ様は指輪のデザインの希望はありますか?」
「……考えたことがない、が、宝石がついていたら割りそうで怖い」
「なるほど」
騎士らしい意見だ。ならば、リベリオの指輪は石の着いていない方が良いだろう。
「ローレ様の意見ばかりではなく、ミネルヴィーノ様はいかがですか?」
「……私ですか?」
リベリオの指輪のデザインを描こうとしていたステラに、店主が声を掛けた。
「ええ、結婚指輪はお二人の意見を聞くものですよ。こう在りたい、という形ですから」
「……こう、在りたい」
「ステラ嬢、石はそれでよかっただろうか?」
変えても構わないがと言うリベリオに、ステラは慌てて首を振った。
「い、石はとても気に入りました! すごく素敵で、嬉しいです」
「そうか」
鳶色の目が緩む。ごく近いどこかで見た、大きな大きな安堵の色。どこで見たのだったか。
「……あ…」
あの、鐘楼だ。自分が叫んだこと、どうなりたかったのかを、ステラは思い出した。
私がもっとしっかりしていれば、毅然としていれば。
「……あの、デザインの相談に乗って頂きたいのですが」
「勿論でございます」
「私は、気が弱くて臆病で、だから強くなれるような指輪が欲しくて。それで……」
テーブルの上に出したメモ帳に、ステラは台座の形状のラフを描きつけていく。今のような細い輪じゃない方がいい、もっと厚くてしっかりとしていて、力強くて。でも四角のアメトリンはそのまま使えるような。
「シグネットリングは、いかがでしょう」
「シグネット?」
ステラの描いたラフに、店主が描き加える。
「ええ、厚みのある台座の頂点を平らに潰して、丸く印鑑のように作ります。石を埋め込んだり、家紋を刻んだりするメモリアルリングです。フェルリータでは見掛けられませんでしたか?」
「平らにするのではなく、厚いままドーム状にして大きなカボションカットの石を嵌め込むデザインが多かったです。……あ!」
流石王都、モダンで力強いデザインだと頷いたところで閃いた。デザインを描き込むペン先が軽い。
「私の分はアメトリンを平坦に埋め込んで周りをミル打ちして、リベリオ様は……リベリオ様、この平らな部分に刻む紋のご希望はありますか?」
「家紋か、北方騎士団の紋、だろうか?」
「結婚指輪ですから、家紋がよろしいかと存じます」
「ではそれで」
デザインを描くなどいつぶりだろう。二人分のシグネットリングを描き出すのはとても楽しかった。
「で、出来た…! あの、これをベースに装飾を足して頂けますか」
ステラは王都の流行や、貴族階級の装飾には詳しくない。盛ったり刻んだりの装飾は専門家に任せたい。出来上がったデザイン画を囲んで、三人で頷く。
「大変、御二方にお似合いのデザインで御座いますね」
「店主、年の瀬の大晩餐会にこの指輪は間に合うだろうか。急がせる分、料金を足してもらって構わない」
店主は少し考え、けれどしっかりと頷いた。
「最優先で承ります。……前日、いえ前々日に王城にお届けで宜しいでしょうか?」
「北方騎士団の詰所まで頼む」
リベリオが頷く。
ここで、ステラがオズオズと手を挙げた。
「あの、お代は、幾らでしょうか」
アメトリンは高級な類の石ではないが、このアメトリンは透明度もあり、四角のカットも美しい。台座の金属と加工代にデザイン料、さらに特急料金だ。
しかし、ステラに怖いものはなかった。何故なら、視察に行っていた半年分の給金がほぼ手付かずのまま、アンセルミ侍女長によって通帳に記載されていたからである。頭の中の見積りが外れていなければ、自分とリベリオと二人分の指輪代を払ってもお釣りが来る。
「わ、私が求婚したので、私が二人分払います!」
「……ステラ嬢、それは流石に…」
「……ミネルヴィーノ様、心意気は宜しいのですが、その、こういったことは一方的ではない方が今後の夫婦生活がですね…」
ステラから求婚したのだからという気合いは、リベリオと店主両名から遠慮がちに、だがしっかりと否定された。残念ながら空回りである。
結局、デザインよりもよほど長い時間を話し合い、リベリオがステラの指輪の分を、ステラがリベリオの分を払うという、王都ではよくある支払い分担に決着した。




