4-3:されど進む
「褒賞を決めて参りました」
兵は拙速を尊ぶという。食堂での臨時会議で今後の方針を決定したのち、ステラとリベリオは魔法師団の詰所に向かった。
「ミネルヴィーノ女史、昨日の今日ですよ?」
昨日と同じように出迎えてくれたエルネストは、もっとゆっくり考えられてもと慌てていたが、マリアーノ殿下の机まで案内してくれた。
魔法師団の詰所は前触れを出す必要がなく、王城に勤める誰であっても来訪が可能だ。この内部に限り瑣末な情報から密告まで全てを、マリアーノ殿下に対して直言することが許されている。
「あれ? ミネルヴィーノさんにリベリオ君? 早いね」
この場合の早いは時刻の意味なのか決断の意味なのか、ステラには分からない。
「褒賞を決めて参りました、縁談の御推薦を頂けますでしょうか」
「縁談ね。いいよ、王国内であれば多少なりと融通するよ。あ、エヴァルドはちょっと困るかなあ」
エヴァルド殿下の結婚相手、それは結構な高確率で王妃である。間違っても、ちょっと困る程度の話ではない。
「違います。エヴァルド殿下を希望してはおりません」
「あれ、そう? じゃあ誰だろう」
「私です」
リベリオが手を挙げる。後方で盛大に食器が落ちる音がして振り向けば、エルネストが運んで来ていたコーヒーが床で無惨なことになっていた。今日はよくコーヒーが落ちる日である。
「そう来たかぁー!」
なるほどなるほど、とマリアーノ殿下は楽しそうだった。
「国王陛下に挨拶と披露が要るね。年の瀬に大晩餐会があるからそこに出るだろう?」
「そのつもりです」
仔細を言わずとも、マリアーノ殿下はステラ達の今後の行動を言い当てる。突っ立っているステラと落としたコーヒーを片付けるエルネストを置き去りに、殿下とリベリオの会話は進む。
「役所への提出も早いほうがいいね、いつにする?」
「届けの用紙はこちらに」
いつの間に用意していたのか、リベリオが空の婚姻届を机に置く。
「証人の欄を僕が書けばいいね」
「大晩餐会には制服で出席する予定です」
「さすが騎士の鏡、ローレ騎士長。国王陛下への挨拶の文言も僕が用意してあげよう」
サービスサービスゥ、と上機嫌で証人欄にサインをする殿下に、ステラは首を傾げた。
「……あの、マリアーノ殿下、質問をよろしいでしょうか」
「うん? いいよ、どうぞ?」
「あの、マリアーノ殿下はどうして、ここまで便宜を図って下さるのでしょうか?」
この結婚がステラの意向を無視した運用から発生したものだと、マリアーノ殿下が分かっていないとは思えない。今後の無茶な運用への対抗策であることも。
「うーん……僕はねえ、その昔これを結構盛大にやっちゃったんだよ」
「これ、とは」
「最高効率と最適化で人事を担当したら、辞表が数十通出た」
うわあ、という悲鳴をステラは何とか喉に押し込んだ。
「それからは人事は各大臣や侍女長に任せてる。王族が嫌われたらまずいでしょう」
「殿下、もう少し言い方というものをですな……」
眉間を揉みながら、エルネストが新しいコーヒーを出してくれた。ちなみに、マグカップそのものは割れていない。土魔法の応用で作られた丈夫なマグカップである。
「ただの事実だよ。結果的にエヴァルドやルーチェの不利益になるって、僕は気づけなかった」
「エヴァルド殿下とルーチェ殿下の不利益……マリアーノ殿下は、ご自身が王になろうとは思われないのですか?」
それは明らかに、侍女はおろか、貴族であっても領分を越える質問だった。けれど、ステラはその質問こそが必要な気がしたし、マリアーノ殿下も咎めなかった。
「僕がなる必要がない」
マリアーノ殿下はこともなげに答えた。今日のおやつの要不要のほうが余程考えてもらえるのではないかと思うような即答だった。
「この国は今、戦争をしていないし、目下の敵だった帝国にはグローリアが嫁いでくれる。僕よりも遥かに王に向いた人間がいるのに、僕がなる必要がない」
『その時勢に最も適した王を』
かの効率王は、自分が王になる必要があったから王になったのではないか。そんなことをステラは思った。そしてその効率王に最も似ていると言われる王子は『なる必要がない』のだと言う。
人の気持ちを慮らない効率化の中に、彼等はまず自らを組み込んでいる。
「……差し出た質問を致しました、お許しください」
「いやあ、どこかしこで内々に聞かれすぎて飽きてるよ。しかも聞いてくる輩は、僕の言葉をそのまま受け取ってくれなくてねえ」
それはそうだ。信用されていない、もしくは王子殿下はまだ意志を秘めていたいのだろうと考えるほうが普通である。
「殿下は、御兄妹を大事にされているのですね」
「そうだね。国を傾けるような馬鹿が居るならいざしらず、この状態から王位争いで内乱なんて非効率すぎて勘弁してほしい。……まあ、そんなわけでね、やっちゃった相手にはそれなりに便宜を図ることにしてるんだ」
先述の辞表数十枚は各大臣や侍女長が聞き取りを行い、配置を改め、多少の手当を加えることでほぼ退職を引き止めることが出来たのだという。
「だから君も、ルーチェやエヴァルドにこれからも仕えてくれると嬉しいな。結婚、おめでとう」
手渡された空の婚姻届、証人欄にはそれはそれは美しい筆跡で、この国の第一王子のサインがあった。
王城のすぐ傍にある役所へ婚姻届の提出を済ませ、十五時は久しぶりのルーチェ殿下のお茶の時間である。本宮の厨房に行って、今日のお茶と菓子を受け取る。半年ぶりの料理長が、久しぶりに顔を出したステラに労いの声を掛けてくれた。
ワゴンを押してルーチェ殿下の部屋に向かう途中で、アンセルミ侍女長と合流した。
「王女殿下、午後のお茶を持って参りました」
「入りなさい」
半年ぶりのルーチェ殿下は、少し背が伸びていた。料理長の努力の賜物だ。
「ステラ・ミネルヴィーノ、ただいま戻りました」
「……怪我はないようね」
「はい。これも、使わずに済みました」
赤紫色に輝く魔石のネクタイピンを取り出す。ハンカチに包んでいたそれを返そうとしたところ、殿下がそっぽを向いた。ツンと尖った鼻梁の線が可憐で美しい。
「何を渡したか、もう覚えてないわ」
「……」
受け取らない、と言うことらしい。どうしたものかとアンセルミ侍女長の顔を窺えば、無言のまま頷かれた。
「失礼いたしました」
タイピンをもう一度ハンカチに丁寧に包み、ポケットに閉まった。
「半年ぶりですが、ルーチェ殿下は背丈が伸びられましたでしょうか」
「少しよ。お茶を淹れなさい」
「はい、すぐにご準備致します!」
侍女長がお茶を淹れ、ステラは料理長から渡された菓子を切り分ける。今日の菓子はパンドーロと呼ばれる、卵をたっぷりと使ったケーキだ。クグロフ型でこんがりと焼かれたスポンジに、粉砂糖を掛けて食べる冬の定番の菓子である。
つい先日、プリンの相伴に預かった気がするのに、今こうして冬の菓子を切っている。ルーチェ殿下のお茶も紅茶から、ミルクをたっぷりと入れた温かいカフェオレに変わっている。
「何で百面相しながらパンドーロを切ってるの……」
「そ、そんな顔をしてましたでしょうか」
分厚いメガネ越しにも、遠い目になっていたことが分かったらしい。
「失礼致しました。こう……帰って来た実感が湧かずに少々困惑しておりました」
視察に行きミオバニアの麓で捜索に参加していた半年と、明るい日差しの差し込む王女殿下の部屋の落差がひどい。
切り分けたパンドーロを銀の皿に乗せて、仕上げの粉砂糖を振れば出来上がりだ。変わらず窓辺にある、ルーチェ殿下のテーブルに運んだ。
「こちらは……そうね。アンセルミ」
「はい」
ルーチェ殿下に促されたアンセルミ侍女長が、この半年の王城の動きを説明してくれた。帰還してからこちら、まともに話す機会が無かったので大変にありがたい。
「第一王女殿下の帝国行きの準備が進んでいます。輿入れの際に持参する財や王女殿下の荷物はほぼまとめ終わりました、ただ」
「ただ…?」
アンセルミ侍女長の眉間が、深く顰められた。
「グローリア王女殿下に着いて帝国に行き、帝国の王宮に勤めたいという侍女はおりませんでした」
「……」
ルーチェ殿下は口を挟まない、けれど手に持ったフォークも動いていない。
「嘆かわしい、忠誠がない、と責めることはできませんが。……時代でしょうか、己の教育の至らなさを思い知りました」
効率王より以前、国から王女が外国に嫁ぐ場合、その国に移住した侍女や従者も居たのだという。
「その、ではグローリア殿下に着いていた侍女の方々は、どうされるのですか?」
「グローリア殿下の侍女達はルーチェ殿下ではなく、マリネラ妃殿下とフルヴィア妃殿下のところへ配置します。その分、フルヴィア妃殿下のところに今いる侍女から、ルーチェ殿下に侍女が寄越される予定です」
表立って喜ぶことはしなかったが、ステラは胸のうちで安堵した。フルヴィア妃のところに居る侍女ならば、実子であるルーチェ殿下に対して好意的な者も多いだろう。
こくりと頷いたルーチェ殿下が、パンドーロを口に運ぶ。シンプルな金色のケーキは殿下の口に合ったらしい。
「年の瀬の大晩餐会が、グローリア殿下が出られる最後の式典になります。帝国への出立は年が明けてすぐです」
冬の山脈を越えるのではなく、王都の港から帝国の首都を海路で目指す輿入れだ。港が人で溢れるに違いない。
「そうでした。あの、ルーチェ殿下、アンセルミ様。ローレ騎士長と婚姻届を出しましたので、私も大晩餐会に出席することになりました」
ガシャン、と侍女長の持つ銀器が音を立てた。中身のカフェオレはテーブルに溢れなかった、流石である。
「……」
「……」
パンドーロにフォークを刺したままルーチェ殿下は固まり、アンセルミ侍女長は総銀細工のポットを手に持ったままステラを凝視している。
「お、驚かれますよ、ね……?」
「……ミネルヴィーノ」
「は、はい! 私などの身分で大晩餐会に参列するなど恐れ多いのですが、前半の挨拶式典に出る必要がありまして、あの、」
「違います、その前を説明なさい!」
前、前というと。アンセルミ侍女長の叱責で、自分が説明を求められていることにステラはようやく気付いた。深呼吸を二つ、報告と説明は簡潔さが求められる。
「ししゃつから戻りまして、マリアーノ第一王子殿下から褒賞を頂けることになり、ローレ騎士長と結婚をすることに致しました」
出だしで少しばかり噛んだのは許してほしい。フォークから手を離したルーチェ殿下が、行儀悪くテーブルに肘をついて頭を抱えた。
「婚姻届は先程庁舎に提出致しました。証人欄は、マリアーノ殿下が署名を下さいました。王城に提出する届出も、もう用意してあります」
ぐうっ、と地の底から這い上がったような呻き声が、アンセルミ侍女長から聞こえた。侍女長が、殊更ゆっくりと銀器をテーブルに下ろす。食堂や魔法師団の詰所のマグカップとは桁外れに高価な代物である。
「つ、つきまして、年末の大晩餐会に出席し国王陛下に御挨拶をすることとなりました。ドレス等、手持ちがありませんので両名共に制服のまま出席致します」
ステラの説明を聞いていたルーチェ殿下が、抱えていた頭を上げ、叫んだ。
「だから! どうしてそうなったのよ⁉︎」
きちんとした理由も存在し、順を追って説明をしているはずなのだが、ステラもそう思う。
けれど、ルーチェ殿下の怒声が大変に懐かしく。そんな場合では無いと言うのに、王都に帰ってきたのだと、ステラはようやく実感出来た。