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3-8:白雷の射手と星の目、それから

 後方からアマデオ達が追いつき、スピナに半ば抱えられながら入口に戻り着いた。


 暗がりから日中の太陽の下に戻って目が眩む。伝令が転がり込んできてから五分と経っていない。それでも、先行したリベリオはとうに吊り橋を渡って対岸に行っているものとステラは思っていた。

「嘘……吊り橋、が」

 対岸の集落は煙で白く霞み、時折、赤い火の手が見える。渓谷の間を繋いでいた大きな吊り橋は無惨に燃え、入口前には他に人も見当たらず、先行していたはずのリベリオの背中だけがあった。


「! ペトロさん、ペトロさんは……!」

「リベリオ」

「アマデオ。…帳簿が、持ち去られていた」

「それくらいは予想していたが。……まさか、燃やすとはねえ」

 そのとき、吊り橋を渡ろうと逃げ出してきた町民が、木立の中から対岸に姿を現した。その背後から男が迫る。すりきれた革の衣服、毛皮、山賊のように見えた。その男が持つ鉈のような刃物の銀色が光って、それから。

 町民が地面に倒れる様子は、コマ送りのように見えた。


「………え?」

 明確な害意を持って、男は町民を斬った。では、この火事は自然に起きたものではなく。

「町長! 吊り橋が落ちている、迂回路はあるか!」

 リベリオが問う。

 恐慌状態だった町長が跳ね上がり、しどろもどろになりながらも答えた。

「も、もっと上流に、もうひとつ吊り橋があります!」

「集落までの時間は」

「は、半刻ほどで……!」

 三十分、とアマデオが舌打ちする。

「リベリオ、ここから狙撃は出来るか?」

「対岸まで出てきた奴なら撃てる、だが」

 渓谷を挟んで対岸までの距離はニ百メートルもない。煙はあるものの遮蔽物はなく、橋があった広場に出てきた者を、リベリオが撃つことは容易だ。だが、集落に向かう小道の先は木立に遮られ視界が悪い。

 高低差のない対岸の木立の先、集落に家屋は幾つあるのか、何人が住んでいたのか。何よりも、燃えた原因となったであろう襲撃者の人数は、こちら側から目視出来ない。

「見えれば撃てるが……ああ、だから」

 殿下が、とリベリオがステラを見た。端正な顔は、苦渋に満ちていた。


「アマデオ、射撃台を作成ののち、ブランカ師長と町長を連れて上流の吊り橋を渡れ。ブランカ師長、私がここから撃ちます。賊は、捕縛した後は救命を」

「承りました」

 ブランカ師長がアマデオの馬の後ろに飛び乗った。アマデオの馬には二人掛け用の鞍は着いていない、そんなことを感じさせない軽やかな動きだった。

「スピナ、下の警護を頼む。ステラ・ミネルヴィーノ、こちらへ」

「は、はい!」

 リベリオがステラの胴に手を回し、引き寄せる。ベルト同士の金具を繋いだのを確認したアマデオが、手持ちの革袋をひっくり返す。リベリオとステラの足元にザラザラと落ちたのは、アマデオの髪と同じ色をした魔石達だ。

「撃ち終わったら、そちらに向かう」

「おう、全部撃ち殺すなよ!」

 黄色の光が輝く。次の瞬間、リベリオとステラを中心に直径二メートルほどの地面が盛り上がった。上から押さえつけられるような衝撃に膝をついたステラを、リベリオの腕が抱える。

 その間もメキメキと音を立てて地面は上がり、三十秒後にはステラとリベリオを乗せた円柱の高さは三十メートルほどになった。


「ひ、ひっ…」

 観光用のフェルリータの尖塔とは訳が違う。何の柵もない高所の恐ろしさに、下は見れず顔も上げられない。土台に突っ伏してガタガタと震えるステラのカバンを探ったリベリオが、星の目を取り出した。

「ここから狙撃する、これを着けて集落を見ろ」

 狙撃、という単語がかろうじて耳に届いた。ステラは恐慌状態になりながらも眼鏡を下ろし、星の目を右目に着けた。リベリオはすでにモニター側を装着している。

 集落、集落を見ろとリベリオは言った。北方騎士長の命令には絶対に従えと侍女長には何度も言い含められた。判断ができないときには特に、考えられずとも従えと。


 煙が蔓延した渓谷に高低差が出来上がり、射撃台の上からは見下ろす形になった集落が視認できる。

「……リベリオ様、集落が、燃えて」

「……ああ」

 目を凝らさずとも、一キロ程度の距離しかない集落の様子は、ステラの目には仔細逃さず見えた。燃えおちる家屋も、火を放って回る山賊のような男たちも。

 火を放たれた家屋から女が飛び出し、飛び出すのを待ち構えていた男が女の髪を掴む。振りかぶられた鉈の銀色が光り、

「や」

 やめて、という声は出なかった。

 鉈が女を切るよりも先に、鉈を持ったままの男の右腕が弾けて飛んだ。

「次」

 横にいるリベリオが男の腕を撃ち抜いたのだと認識するのと同時に、胸を怖気が競り上がった。飛んだ腕、弾けた赤い飛沫、直視するにはおぞましいそれらを、ステラの目は鮮明に映し出した。

「う、ぐ、うぇ」

 ゲホゲホとえづけば、涎と胃液が地面に落ちる。数時間前に朝食を摂ったきり何も食べていなかった胃に固形物は残っておらず、ただ胃酸だけが喉を焼いた。


「ステラ・ミネルヴィーノ」


 静かな声だ。突っ伏すステラを、リベリオは叱責せず、けれど慰めもしなかった。

「吐いていい。貴女が吐いている一分は、アマデオ達が辿り着く三十分よりも短い」

 だが、とリベリオは続ける。

「吐いたら、もう一度見てくれ。何が起きているか認識しなくていい、ただ見てくれればそれで」

「い、いや、嫌だ……嫌です‼︎」

 ステラは目をつぶり、幼子のように頭を振った。見たくない。

 襲われている集落を助けて欲しいと思っているのに、襲った襲撃者を倒して欲しいとも思っているのに。千切れ飛んだ腕が、赤い飛沫が、どうしようもなく恐ろしい。


「……ステラ・ミネルヴィーノ、マリアーノ殿下は何と言った? 貴女の仕事は何だ」

「マリアーノ殿下、は……」

 『ちょっと戦場に来てみない?』

 そうだ、殿下は『戦場』と言った。

「戦場に来てみないか、と……」

 開いた目から、涙が溢れた。一度溢れた涙は止まるところを知らず、次から次へと頬を伝って首へと落ちた。

「マリアーノ殿下は我々よりも多くのものを、それこそ貴女の目より沢山のものを見通す御方だ。だが、我々を慮ることはされない、する必要もない。……薄々、予見しながらも明言を避けた俺の責だ」

「……いいえ、いいえ」

 無邪気に、能天気に、殿下の言葉をきちんと噛み砕きもせず、新しいものが見れるとはしゃいだステラに非があったのだろうか。非はない、第一王子殿下の考えをステラに想像など出来るはずもなく、ましてや想像が出来たとして拒否権を持っていないからだ。


「酷を承知で、もう一度命じる。何が起きているか認識しなくていい、ただ見てくれればそれでいい。命じたのは俺で、撃つのも俺の仕事だ」

「……」

 ステラはのろのろと顔を上げる。

 リベリオが頷いて、ステラの涙を指先で拭ってくれた。


「次」


 ステラの目は、よく見えた。燃える家屋も、逃げ惑い襲われる人々も、襲う輩がリベリオの矢に撃ち抜かれるのも。

 技術競技会で見た美しい矢の軌跡は何も変わらず、白雷のような金切音を立てて対象を射抜く。だが、射抜く先は的ではなく、人間だ。石板をも射抜く矢が、正確無比に襲撃者の腕や脚を次々と撃ち飛ばしている。

 見て、襲われている人を探して、襲撃者が撃たれるのを見て、また見て、また探して。

 見えなくなっていたものが見えるようになったのは、嬉しかった。遥か遠くが見えるのだと分かったときは戸惑いはしたが、周囲からの反応に、それは悪くないことだと思っていた。

 新しい景色を見れたことが嬉しかった。襲われている人々を助けられることも嬉しい。ステラが望んだ通り役に立っているはずなのに、隣から放たれる美しい白雷が、ただただ恐ろしい。


 開いたままの視界が滲む。

「……泣くな」

「無理です」

 命じられた通り、瞼だけは開けている。

 ボタボタと見苦しく、涙は落ち続ける。ステラの涙を拭う指先は辿々しく、けれど温かかった。


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