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3-6:ミオバニア山脈に向けて

 少しばかり暑くはあるものの、北へ向かう道程は問題なく進んだ。

 村があれば視察し、宿場町では泊まりつつも情報を集め、四日目の今日は街道沿いでの野営である。夕暮れに差し掛かる頃に野営地を決めて、設営を始めた。


 リベリオがステラを呼びに来たのは、ブランカ師長の指示で荷馬車から食料を出していた時だった。

「リベリオ様?」

 エプロンを叩きつつ、荷馬車から降りる。

「彼女を少しお借りしても良いでしょうか、ブランカ師長」

「あら、リベリオくん。食料も下ろし終わったし、大丈夫よ〜」

 荷馬車の横でスープを作っていたブランカ師長が両手で丸を作る。今日の夕飯はチーズ入りのパンに、師長手作りのスープだ。携帯のコンロに寸胴鍋を仕掛け、ポイポイと芋と豆を放り込み魔石で水を注いでスープにする師長の手際はとてつもなく早かった。

「ありがとうございます、鳥でも獲って来ようかと」

 そう言ったリベリオの手には弓矢がある。 

「嬉しいわ、五、六羽くらい頼めるかしら」

「はい」


 二人で少し歩き、野営地のすぐそばにあった小さな森の手前で止まる。橙色の夕暮れを背景に、森の上空を鳥の群れが旋回していた。

 隣で見るリベリオの弓はやはり機構が多く、魔石が沢山付いている。技術競技会で使っていたものだろう。百メートルほど離れた上空の鳥を、矢はあっさりと射抜いた。

 いとも容易く、という表現しか出来ない技術を間近に、ステラは拍手をしてほうっと感嘆の息を吐いた。

「あ、あの、リベリオ様」

「?」

「ぎ、技術競技会、すごかったです」

 散々言われ慣れているだろう、何の捻りもない賛辞になった。商家の娘にあるまじき語彙力の無さが悔やまれる。

「ありがとう」

 ステラの語彙力を嘲笑うでも、聞き慣れていると無下にするでもなく、リベリオが礼を言う。あまり動きのない表情が、少しだけ和らいだように見えた。


「……あの、技術競技会の的は二キロ先でしたが、あれはリベリオ様も見えていらっしゃったのですか?」

 思い出すのは、二キロ先の的の中央を射抜いていた矢の軌跡だ。リベリオが放ったどの矢も、吸い込まれるように的の真ん中を射抜いていた。その場にいた誰もが見惚れ、ステラがはしゃくほどに美しかった。

「いや、あれは……射手には一応この」

 リベリオがポケットから取り出したのは片眼の望遠鏡だ。ステラがバルコニーで貸してもらったものと同じものだ。

「望遠鏡が渡されて、的を灰色の塊くらいには見ることができる。それで」

 リベリオが人差し指を、森の上を飛んでいる鳥に向けた。爪の先から小さな水の粒が湧き出し、並んで伸びて、鳥まで繋がった。一つ一つはビー玉くらいの大きさの粒が鳥の動きに合わせて、グニョグニョと線で動く。まるで鳥の胴体に水の紐が付いているようだ。

「矢をこの導線に乗せて、撃つ」

 風切り音がして、目に見えない速度で矢が鳥を射抜いた。眼鏡をしているステラに見えたのは、ゆっくりと下に落ちていく鳥の姿だけだ。

「…すごい……」

 すごいとしか言いようがない。そしてエヴァルド殿下が言っていた『聞いたがよく分からなかった』の意味が分かった。

「……このくらいの距離なら、導線も加速も無くていい」

 一射目と同じように、導線も引かれず魔石も光らずに三羽目が射抜かれた。このくらい、と言ってもステラの知識ではこの距離そのものが弓矢の限界だ。当たれば上出来、外すのが大半だろう。


 言葉も無いステラに、沈黙を気まずく思ったのかリベリオはポツポツと話し始めた。

「……昔」

「は、はい!」

「うちの家は、貧乏で」

「はい、びんぼ……び⁉︎」

 鸚鵡返しの相槌を打とうとして、止まる。

リベリオの姓はローレと言う。ローレは東南北の三大公爵家で、北の大都市ローレの名にもなっているカルダノ王国で上から三つに入る名門だ。その超名門の御子息が貧乏とは、一体。

「……何と言うんだろうか、母が……お花畑な人で」

「お花畑……」

 脳内に、フェルリータから王都に向かう途中で見た、丘陵の花畑が浮かぶ。

「ローレ本家からは半ば勘当されていて、それで……俺と妹は近くの村で生活をしていて」

 思い出すようにぽつりぽつりと話すリベリオが夕陽に照らされ、硬質な横顔が赤く見える。

「村の猟師が弓を教えてくれて。兎や鳥を取るのが、俺の仕事だった」

「……何年くらい前の話、ですか?」

「三年くらい前まで、だろうか」

 そう遠くない話だ。

「様子を見にきた祖父と伯父の手引きで北方軍に入ったが、魔力の使い方も知らなかった。弓は木製で、持っていたのはナイフが精々、剣なんて握ったこともなかった」

 今使っている大層な魔弓は、王都に赴任が決まった時点で剣も槍も付け焼き刃の人並み以下でしかなかったリベリオに、伯父が用意してくれたのだとも。

「俺も妹も、運が良かった。……ステラ嬢は、この話を聞いても笑わないな」

 それは、事情を知らない誰かがリベリオを笑ったということだ。

「……うまく言えないのですが。誰かの苦労を笑う人間には、なりたくない…と」


「……ステラ嬢は、三年前はどんな生活をしていただろうか。フェルリータのことは、あまり知らなくて申し訳ない」

 三年前。

 暗鬱とした三年前を思い出し、ステラは少しだけ迷った。けれど、リベリオはどんな話であってもステラを馬鹿にしたり、笑ったりはしない人だ。

「ちょうど、中等部を卒業する頃でした」

 眼鏡を首に下ろす。笑うような人ではないと思っているのに、万が一笑われてしまえば落ち込みそうで、リベリオの顔を見る勇気がない。

 隣にいる人が紫紺と緑の雲になって、森は少しぼやけて、森の上空の鳥よりも、さらに遠くを飛ぶ鳥の方がよく見える。

「目が悪くなり始めて、本も帳簿も、看板も段々見えなくなりました」

 思い出す。段々と視界がぼやけ、不治の病だと言われたことを。家族の顔がもう見えなくなるのだと言われた絶望を。

「目つきが悪くなってイガグリ娘と呼ばれまして。家の提携を視野に同級生と婚約もしていたのですが、それも破棄されてしまって」

「……別に、目つきは悪くないだろう」

「今は遠くを見ているからです。リベリオ様の顔を見ようとすると、こう」

 こう、とステラは両目と眉を引き絞る。どんなに引き絞っても、端正なはずの顔は見えることなく、紫紺の雲のままだったが。


「それは……苦労したな」

「いいえ、私も運が良くて。編入してきた同級生が、フェルリータでは初めての、眼鏡を作れるガラス工房の娘さんだったんです」

 凄まじい幸運だと今でも思う。エリデと出会わなかった今を思うと、恐怖すら覚えるほどに。

「でも、目が見えるようになったからと、婚約が持続出来たわけでもなくて」

「何故だ? 俺は商家の婚姻には疎いが、気立てが良くて健康であれば問題が無いのでは」

「その気立てが問題で。相手の方は私と同じタイプで接客が苦手で、だから接客を任せられる気立ての方が欲しかったんですね」

「……いや、しかし、婚約していた期間はあったのだろう?」

「ありましたが、その期間、私は相手の顔が全く分からなくて」

 ひどい話だ。逆の立場なら、ステラであっても文句の一つも言いたくなる。

「婚約を破棄されたのは当然だと思いました。……でも、自分が『欲しがられる提携相手』になれなかったのは、役立たずと言われたようで少しだけ、惨めでした」

 家族も相手も、ステラを責めなかった、それが尚のこと惨めさに拍車を掛けた。

 逃げるように勤めに来た王都は楽しかった。見るもの全てが新しく、地元にはない常識も、誰もステラのことを知らないことも、ステラの呼吸を楽にさせた。


「あ、でも王都に来て皆とても良くしてくれて、見たことがないものがたくさん見れて、楽しいです」

 そう言って笑うと、リベリオが何とも言えない顔をした。怒っているような、悩んでいるような、眉間と鳶色の目を顰めた難しい顔だ。

「……ステラ嬢は、自分を役立たずと言ったが」

「はい」

「ルーチェ王女殿下の侍女を勤め、こうして視察にも駆り出されるだけの価値は、持っていると、思う」

 それは不器用であったが、真摯に価値を述べる言葉だった。働き場所も社会的価値も失って逃げてきたステラにとっては、どんな賛辞よりも嬉しい言葉になった。

「貴女が着けているルーチェ殿下の魔石も、マリアーノ殿下から下賜された星の目も高価なものだ。それを下賜されるだけのことを、ステラ嬢はしている」

 ルーチェ殿下から貰った魔石は、三本のネクタイピンにした。握り込んだあと投げつければ暴漢の一人や二人は消し炭に出来ること、王族が魔力を込めた魔石は大変に貴重であり、それもルーチェ殿下の魔石であればこの三つで金貨二百枚は下らないことをルカーノ室長とナタリアに告げられ、ステラが卒倒した代物だ。

 美しいスピネル色の魔石は今、ステラのネクタイを飾っている。三本のネクタイピンは過剰な装飾に見えるやもしれないが、自分も他人も誤って触ることのない安全な装着場所だ。


「ただ、新しいものが見れて嬉しいと言ったが……」

「はい、言いましたが」

 それが何か、とステラは首を傾げる。突然ではあったものの、北へ向かう街道もミオバニア山脈もステラにとっては初めて見るもので、相応の楽しさは否めない。

 リベリオはまだ難しい顔をしている。無表情気味の表情が、これほど分かりやすく顰められているのは逆に珍しい。

「……嫌なものを、見るかもしれない」

「嫌なもの、ですか?」

 杞憂で済めばいいが、とリベリオは頷いた。嫌なもの、の想像は具体的には浮かばない。具体的なものを想像できるような前情報も経験も、ステラにはない。


 それ以上の明言を避けたリベリオがもう三羽をあっさりと射抜いて、人数分の鳥は調達できた。

「……遠すぎる鳥を射抜くと、回収が大変だな」

「そうですね……」

 落とした鳥の回収に向かう。


 西の地平に落ちようとしている夕陽は赤く、昼間は美しく見えた山脈の山稜が今は幾分禍々しく見えた。


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