3-3:星の目②
時刻は夜の九時半、静まり返った使用人棟のロビーで、ステラは迎えとやらをまんじりともせず待っていた。胃が痛くて、夕飯はほとんど入らなかった。
心配してくれたカーラにマリアーノ殿下に呼び出された話をしたところ、大いに同情された。ルーチェ殿下とはまた違った意味で、マリアーノ殿下のお付きも難易度が高いらしい。
「夜分遅く失礼します。ステラ・ミネルヴィーノ女史は御在室でしょうか」
姿を現したのは女性の騎士だった。見覚えがある気がして首を傾げると、女性騎士の方が先に挨拶をした。
「ミネルヴィーノ女史とは会うのは二度目ですね、北方騎士団所属スピナと申します」
「北方騎士団……あ」
そうだ、この城に入って初日、嵐のような夜にステラの所持品を調べてくれた騎士だった。
「その節は、大変お手数をお掛けしまして……」
お手数を掛けたのか掛けられたのかよく分からなくとも、深々と頭を下げたステラに、スピナと名乗った女性騎士は笑った。
「とんでもございません、大変なとばっちりを受けられましたね。そしてこの度は、第一王子殿下に呼ばれたとお聞きしております」
「…はい……」
話を聞いたアンセルミ侍女長は真っ青になり、説明に来てくれていたエルネストによって余計な誤解は解かれ、付き添いと居住棟までの送り迎えを徹底する条件付きで許可が出された。
人気のない真っ暗な庭を、スピナの持つ灯りを頼りに鐘楼に向かう。話は通してあるのか止められたり咎められたりすることはなかった。
夜の鐘楼は暗く、見上げると灯りが一番上にだけ付いていた。昼とは全く違った雰囲気だ。塔の中はさらに暗く、自動昇降機はかなり怖かった。
上に上がると、すでに人が待っていた。呼び出した当人と
「……リベリオ様?」
そこには、三日前の技術競技会で大歓声を浴びて優勝した彼の人がいた。
「僕が呼んだよ。応援してたから知り合いみたいだったし」
リベリオがまた苦虫を噛み潰したような顔をした。リベリオは以前、ステラをよくよく面倒ごとに巻き込まれると言っていたが、リベリオの方が直接的に巻き込まれていると思う。
「殿下、夜に侍女を呼びつけるのはおやめください」
リベリオは昼間のエルネストと全く同じことを言ったが、
「だから、君達を呼んだでしょう」
二人きりになってないよ、という殿下の答えも同じだった。
「さて、ミネルヴィーノさん。眼鏡を掛けたまま、そこから夜景を見て」
言われ、鐘楼の淵から王都を見下ろす。大通りに沿って街灯が等間隔に敷かれ、その脇にこの時間でも営業をしている店の灯りが光っている。港近くの一際明るい区画は飲食街だろうか。
奥の方に広がる真っ暗な空間は海だ。昼とは違う夜の海と、街灯の灯りに照らされた景色は、やはり綺麗だった。
「綺麗な夜景が見えます」
「見え方は昼と同じ? 西通用門の兵士の兜は?」
「…同じ、だと思います。兜の模様は見えません」
夜間であっても通用門には必ず兵士が立っている。通用門の両脇には街灯があるので、立っていることは分かるが、それだけだ。
ここでリベリオが手を挙げて尋ねた。
「…不躾な質問をお許しください、マリアーノ殿下。パーチ殿から付き添って欲しいと頼まれたのですが、そもそもこれは何をされているのですか」
「視力検査だよ」
「ステラ嬢のですか」
「あの、リベリオ様、大丈夫です。その、私の目が……妙なこと?になっていて」
最初こそ無理矢理呼び出されたが、自分の目がどうやら妙なことになっていると分かってからは、むしろ調べてもらったほうが安心するとリベリオに説明する。
「……妙なこと?」
「まあ、見てれば分かるよ。じゃあ眼鏡を取って、港、中央広場、正門、西通用門の順番で見て」
「はい」
眼鏡を首に下ろす。額にあたる風は、昼間よりも涼しかった。マリアーノ殿下に言われた順番に、人の顔や服の模様が見えるかを確認していく。
「どう? 昼と同じに見える?」
「見えます。……港は人がいません、でも看板の文字は見えます」
海に沈むように真っ暗な港は、そもそも人がいない。代わりに港にある店舗の文字を確認する。本当に妙な目だ、四キロ離れている港の暗闇の中の文字がはっきりと見える。
街灯に照らされた、中央広場の人達の顔や服装は、昼間と同じくよく見えた。西通用門はやはり少しぼやけて見える。近くが見えないのだ。
「うわあ、集光までしてるのか。港は……そうだね、あそこの繁華街の人の顔とかはどう?」
そこ、と指示されたのは港の近くの明るい区画だった。
目を向ければ、大通りより狭い道の区画だが店先には椅子と机が出され、人々が楽しそうに食事や酒を楽しんでいるのが見えた。
薄暗い路地を歩いている人も見つけて、目線で追う。
「繁華街の人の顔も、暗い路地の人の顔も、見えます」
「昼でも夜でも見える距離は同じで、夜は集光付き。すごい目だねえ」
「集光……?」
「星とか月とか自然の僅かな光を集めて増幅して、暗闇を可視化するんだ。そういう魔道具を作ろうとしたことがあってね」
夜空を仰ぐ。フェルリータの尖塔の隙間と違って空が広い。群青の夜空に浮かぶ月の模様が、幾分か鮮明に見える。
「……本当に、見えるのか?」
半ば呆然と呟いたのはリベリオだ。
人は自分の目でしか物を見れない。どう見えるかを確認する術は無いのだから、ステラが「見えます」と言ったところでそれを証明することは出来ない。リベリオの疑念は当然だった。
「はい、ではそんなリベリオ君のために、今夜のメインディッシュです。ミネルヴィーノさんは一旦眼鏡を掛けてね」
マリアーノ殿下が美しいビロード張りの箱を開けると、そこにはレンズが二つ仲良く並んでいた。
「片眼鏡……?」
「そう、モノクル。でもこれは魔法師団が作った物でね、ミネルヴィーノさんがまずこっちを着ける」
よく見ると二つのモノクルには装飾の違いがあり、装飾と機構の多い方を手渡される。もう一度眼鏡を外して、モノクルの金具を右耳に掛けると、ゴボッと水音がして、風呂で誤って耳に水が入ったような感触がした。予想だにしなかった気持ち悪さにステラはすくみ上がった。
「ひっ⁉︎」
「あ、ごめん。耳に水が入ったような感じになるから。で、僕がこっちを着ける」
マリアーノ殿下は悪びれない、嬉々としてもう一つのモノクルのほうを装着した。
「ミネルヴィーノさん、そっち見て。港とか中央広場とか」
気持ち悪い水音はしたが、モノクルのレンズ自体に度は入っていないようだった。港の看板の文字や中央広場の人々の見え方は、何も変わらない。
けれど、別に何も変わらないなあと首を傾げているステラの横で、マリアーノ王子がいきなり踊り始めた。
「⁉︎」
「うっわ、これなにすごい、すっごいね⁉︎ あ、こっち向かれると本当に何も見えないや」
そっち、そっち向いてと港の方を指される。マリアーノ殿下と横に並んで夜景を見るという奇妙な状況だ。
「これはね、そっちのモノクルで見たものを、こっちのモノクルに画像として映し出す魔道具。すごい、本当に港の看板と繁華街の人間の顔まで見えるや」
すごいすごい、とマリアーノ殿下は楽しそうだ。本来は防犯用の道具として製作を進めていたものらしい。レンズに圧着した水魔法を通して見たものを受信機側に送って云々という説明をしてくれたが、当然のことながらステラには全く分からない。
「魔石は人為的に割れないんだけど、ごく稀に自主的に割れることがあってね。その対の魔石を使って、試作品だから名前はまだ無かったんだけど。うん、名前は『星の目』にしよう」
夜空を見てステラの顔を見た殿下が、満足げに頷く。
「では、この『星の目』を、リベリオ君に貸し出しまーす」
「は⁉︎」
間違いなく貴重であろう魔道具を、マリアーノ殿下はこともなげにリベリオに手渡した。こんなにも無防備にリベリオが驚いた声を、ステラは初めて聞いた。
「二人にミオバニア山脈に行って来て欲しいんだ。あ、これ僕の名前で明日明後日には通達出すから、北方騎士団連れてひと月以内に出立してね。よろしく!」
よろしく、とは。ステラはモノクルを着けたまま、リベリオは受信機側のモノクルを持ったまま、顔を見合わせる。よろしくもへったくれもないが、相手はこの国の第一王子殿下である。
ステラの右目にあるモノクルもリベリオの手にあるモノクルも、困惑を収める説明などしてはくれない。
「……マリアーノ王子殿下よりの勅命、謹んでお受けします」
地の底から絞り出したような声音で、リベリオが了承した。