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1-3:エリデ・カルミナティ

「お、お客様……?」


 お客様、とはなんだろうか。病が治る壺でも売りつけられるのだろうか。

「そうよ、あなた目が悪いんでしょ? 生まれつき? 最近?」

「さ、最近です。ここ二年くらいで」

 そりゃ大変だわねえ、とエリデがしみじみと頷いた。

「ヴィーテの街は港町なの、ヴィーテは知ってる?」

「もちろんです。半島の南端にあるこの国で一番の港町で、水運が盛んで、街の中を運河が通っているんですよね」

 商業科の教科書そのものの答えをステラは返した。

「目と目つきは悪いけど、頭は悪くないのね?」

「……は、はぁ…」

 目が悪くなる前は勉強は嫌いではなかったんですよぅ……と、蚊の鳴くような声がエリデに聞こえたかは定かではない。


「海の幸が豊富で歌や工芸が大好きなヴィーテの人々は、精神的な疲労を感じにくいと言われているわ。それは知ってた?」

「いえ、そこまでは」

 この街を出たことがないステラの知識は、あくまで教科書の中だけだ。

「朗らかで陽気で、お祭り好きで長生きなの」

「はぁー…、つまり」

「老人が多い」

 なるほど、それでこの目の病を知っていたのだ。フェルリータの街は人の出入りが激しく、都市の人口年齢は比較的若い。


「私がお客様ということは、エリデのおうちはお医者様ですか?」

「……目は、治せないわね」

 長い前髪の下でステラはこっそりと落ち込んだ。良い薬や治療があればと思ったのだ。

「今日の午後は暇? うちに来ない?」

「えっ」

 今日の授業は午前中で終わりで、午後の用事は何も無い。無いが、イガグリ娘と呼ばれて早二年か三年か、同級生の家にお招きいただくなど何年振りだろう。ワタワタと腕を動かし変な踊りを踊るステラを、エリデは奇妙なものを見る目で見ている。

「なによ、嫌なの?」

「う、嬉しいです! ただ、あの、ご挨拶の品を何も持ってなくて!」

 商業科の同級生は基本的に何らかの商店、商会、工房などの子女だ。卒業した後の顔作りのためにも積極的な交流が推奨されている。お互いの家業の何かを持ち寄って贈り物にするのが定番だ。

 しどろもどろとそれを説明したステラに、

「私たちの交流が家業の交流になるのね。都会は商い上手ねえ……。でもこれ、うちも見習わなきゃの話だわ……」

と、エリデは驚きながらも頷いていた。

「じゃあ、まず私が私の家で贈り物をするわ! 後日にステラ、あ、ステラでいい? ステラの家にお邪魔するのはどうかしら? それなら失礼にならないかしら?」

「は、はい、喜んで!」

 エリデの勢いに、ステラはどこぞの商店のような返事をした。ちょっと落ち着きたい。


 そうと決まれば話は早い。午前の授業を終え、迎えに来た父の内弟子に事情を説明する。伝言用にとエリデが書いてくれた住所はステラの家から遠くなく、本当に通り一本分の距離だった。

 校舎から半刻ほどの距離を、弟子の数や従業員の数など道すがらに三人で話し、エリデの工房の前で店名と場所を確認し、ひとまず内弟子は帰宅して夕方にもう一度迎えに来ることになった。

「さあ、入って入って! まだ片付いてないところもあるけどね!」

「お、お邪魔致します…」

 開けてもらった扉の中に、おっかなびっくり足を踏み入れる。ステラにとっては当然のことだが、片付いてないところとやらは見えないし、そもそも店構えも見えていない。内弟子が確認していたから、拐かされる心配はしなくても大丈夫だろう。


 室内に入った瞬間に、熱気が顔を打った。足元は板張りではなく硬い石畳のままだ、工房とも言っていたから商店部分とは多分別の場所だ。

「ちなみに中の様子って見える?」

 エリデの質問に、ステラは首を振った。灰色の雲が漂っている、そのくらいの見え方だ。

「最前列から黒板が見えないんだから、そりゃそうよね」

「すみません……」

「謝る必要はないわよ、あなたの目が悪いから連れてきたんだから。……すぐ取り掛かるわ、こっちに着いてきて」

 足元に段差あるわよ、と連れて行かれたのは、すのこが敷いてある一角だった。手を引かれて誘導されるままに、ステラはソファーに腰掛けた。横には窓があって、熱い室内に春先の風が涼しい。

 余所様の工房や店では迂闊に歩いたり騒いだりして物を壊してはならないと、商業科の子女は小さな頃から叩き込まれている。


「お茶はちゃんと出すから、先に色々見せてね。パパー! パパー! 手が空いてたらちょっと来てー!」


 突然の大声に、ステラはソファの上で飛び上がった。

「……大声を出してどうしたんだい、エリデ。パパびっくりしたじゃないか」

 人が増えた。パパと言ったのなら、この人はエリデの父親だ。

「商業科で同じクラスのステラよ、連れてきたの」

「ス、ステラ・ミネルヴィーノです! 本日はお招き頂いたのに、手土産の一つもなく申し訳ありません!」

「いやあ、きっとエリデが強引に連れてきたんだろう? よく来てくれました、ミネルヴィーノさん。ゆっくりしていってください」

 エリデの父親は、娘と同じ赤い輪郭を持っていて、穏やかな声でゆっくりと話す人だった。


「ステラ、すっごい目が悪いのよ。それも年寄りぽい感じで」

「おやおや、それは大変だ。……ミネルヴィーノさんちょっと失礼します、これは、見えますか?」

 恐らく文字が書いてあるのだろう板を顔の前に上げられたが、もちろん読めるはずもない。

「いいえ。たぶん、板なんだろうなって、茶色しかわかりません」

「近くが見えないんだね。目が悪いのは生まれつき?」

「中等部までは普通に黒板の文字も看板も見えていました。高等部に入る頃から悪化して、お医者様には亡くなる寸前の老人の病だと言われました」

 思い出す度に暗鬱となる話を、家族以外の他人にしたのは初めてのことだった。同情されるのか憐れまれるのか、反応が怖い。


 けれど、ステラの予想を裏切って、エリデとその父親の反応はあっさりとしたものだった。

「はぁ〜…亡くなる老人の病とは大袈裟だねえ。まあ確かに治りはしないけども」

「フェルリータとヴィーテの寿命の差ね」

「おお、エリデが頭の良いことを言ってる。商業科で習ったのかな?」

「もう! 余計なことを言わないで!」

 目の前で交わされるやり取りは随分と気さくなもので、不治の患者を目の前にしたものではない。

「それでエリデはミネルヴィーノさんを連れて来たのかあ」

「そうよ! ねえ、パパ、私が作ってもいいでしょう?」

「うーん…まあ、友達のなら……いいかなあ」

「やった!」

 出来上がりはちゃんと僕が見るからね、とエリデの父親は言っているが、ステラには何のことかさっぱり分からない。医者ではないと言っていたので、作る、とは薬ではない。


「あ、あの、作るって、何をですか?」

 おどおどと尋ねたステラに、エリデは胸を張ってフフンと笑った。


「エリデ・カルミナティのガラス工房へようこそ!」


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