3-1:第一王子殿下と魔法師団
「ご、ごめんくださいませ、ステラ・ミネルヴィーノと申します……。あ、あの、ままま、マリアーノ第一王子殿下にお呼び出し頂きまして……!」
変な敬語になった。お呼び出し頂きましてとは何だ。そもそも何がどうなってこんなところに、とステラは俯いたが、ここは本宮の魔法師団の詰所の前で、床は大理石でピカピカとして埃ひとつないことが分かっただけだった。
技術競技会から三日が経った。マリアーノ第一王子殿下の唐突なお誘いはその場にいたエヴァルド殿下に「兄上は冗談がお上手だ」とやり過ごされ、ステラはそのまま最後まで弓術競技会を楽しむことが出来た。
決勝は予想通り、リベリオとエヴァルド殿下の副官で争われた。両名共に規定の十射を全て的中させ、そのまま延長戦に突入し、いつまでも続くかと思われた勝負は五十射を超えたところでエヴァルド殿下の副官が僅かに的を外してリベリオの優勝で終わった。
準優勝に終わった副官殿は表彰式で「寄る年並みには敵いませんな」とコメントしていたが、決勝に残らなかった三十人の参加者が遠い目をしていたのでまだまだ現役だと思われる。かつてなく続いた熱戦に観客もステラも惜しみなく拍手を送り、同じく熱戦を讃えるエヴァルド殿下のお言葉で技術競技会は閉会した。
しかし話はそこで終わらなかった。そこから三日が経ち祝日と祭りが続いている最中に、マリアーノ第一王子殿下からのお呼び出しが掛かった。ルーチェ殿下とアンセルミ侍女長が意図を問い合わせてくれ、無礼などを咎めるものではなく研究に協力して欲しいという意図を確認して今に至る。
「殿下から聞いております、どうぞお入りくださいミネルヴィーノさん」
ステラの変な敬語と挙動不審を咎めることなく出迎えてくれたのは、青い髪をした壮年の男性だった。濃い青色をした髪はサファイアのようだ。
優しげな微笑みに少しだけ安心しつつ、部屋に足を踏み入れる。
部屋の中には、ステラが見たことが無いものが沢山あった。幾つもの大きな作業机の上に、ガラスの器具、魔石、壁にはびっしりと本棚が並び、王城の中であるのにフェルリータの王立学院を思い出させる部屋だ。
窓際の一番奥、一際大きな机の後ろに、マリアーノ第一王子殿下が座っている。
「殿下、ミネルヴィーノさんが来ましたよ」
「うんうん、分かった。そこ置いといて」
「話を聞いていませんね。宝飾室のミネルヴィーノさんですよ、三日前にお声を掛けられたのでしょう?」
「うんうん、うん……?」
机に向かっていた殿下が顔を上げ、ようやくとステラを見た。
「ああ、君かぁ!」
技術競技会から早三日、三日ぶりにお見掛けすることになったマリアーノ殿下は顔面こそ麗しいものの、日に透ける黒髪はボサボサとしている。身につけている黒のローブも、上質であっただろう生地が見てわかるほど白っぽくくたびれている。
「殿下、今朝は顔を洗いましたか」
「……洗ってないね」
「殿下が呼ばれたお客様でしょう、コーヒーを出しますから顔を洗ってきてください」
「はーい」
よくわからないもので埋め尽くされた机から立ったマリアーノ殿下は、侍従を呼ぶこともなく部屋の端にある洗面所でバシャバシャと顔を洗っていた。部屋を見渡せば、洗面所はおろか、仮眠用なのか二段ベッドや、ちょっとした台所もある。
案内された応接セットの二人掛けのソファは流石に良いもので、恐々と端に座った。
「淹れ置きですが、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
青い髪の男性がコーヒーを出してくれた。無地の白いマグカップだ。
「パーチ、僕にもコーヒー頂戴」
顔を洗って戻ってきた殿下に、パーチと呼ばれた男性がステラと同じマグカップを渡す。全く華やかではないただのマグカップに文句を言うこともなく、マリアーノ殿下はコーヒーを飲んでいる。
そしてパーチ、パーチと言うと。ステラは脳内のメモを捲る。
「あの、パーチ様、ですか?」
「ああ、はい。ご挨拶が遅れました、妻がお世話になっております、エルネスト・パーチです」
魔法師団で、青い髪。聞いていた通り青い髪をしたその人に、ステラも立って深々と礼をした。
「ナタリア様には大変お世話になっております、ステラ・ミネルヴィーノと申します」
「ナタリアから話を聞いています。人手不足の救世主と喜んでいましたよ」
「……」
喜んで良いのか分からない。分からないが、仕事が出来ない奴だと言われてはいないので良しとしたい。あと、ステラ一人ごときで人手不足は解消していない。
「さて、じゃあ君、ちょっと目を見せて」
「……ヒエッ⁉︎」
コーヒーを一口飲んだマグカップをローテーブルに置いて、マリアーノ殿下がステラの隣に座る。それだけではなく、ステラの顔をガシッと両手で掴んで自分に向けた。
「……⁉︎‼︎‼︎⁉︎」
「あ、眼鏡邪魔だね」
硬直したステラの顔から、眼鏡はアッサリと下ろされた。そうなると、ステラの目に映るのは何やら黒っぽい雲だけになる。
ステラの目を覗き込んでいるのだろう、マリアーノ殿下の美しい顔が近い。息が掛かりそうなほど近いが、見えないのは幸いだったとも言える、脂汗を掻きながらも気絶せずに済んだのだから。
目をかっ開いたまま、制服の上から掴んだ膝がガクガクと震えたが、当の殿下はステラの挙動を気にも留めず、目を覗き込んでいる。
「ちょっと光当てさせてねー、目は開けたままねー」
光を当ててみたり、角度を変えて覗き込んだりとフェルリータの医師が診察したときと同じことをマリアーノ殿下は行った。少し違ったのは、ステラのこめかみのあたりをペタペタグイグイと何やら触ったり軽く押したりしたことだった。
「……目が悪いね?」
「は、はい。フェルリータの医者には老人の目だと、レンズを作ってくれた人には強い遠視だと言われました」
尋ねられ、怖々とステラは答えた。
「遠視……僕の顔って、どう見えてる?」
「……黒っぽい、雲です」
「パーチの顔や、部屋の様子は見える?」
「見えません……」
エルネストの顔も部屋の風景も全てが混ざって、ごちゃごちゃとしたまだら色の雲だ。
「そっかー。じゃあ眼鏡掛けていいよ」
顔から両手を離され、首に掛かっていた眼鏡を掛け直す。視界が戻って安心したが、同じソファに第一王子殿下が座っているという事実は変わらなかった。震える膝を叱咤して立ち上がった。せめて隣のソファに移動したい。
「そうだね、ちょっと移動しよう。パーチ、鐘楼に先触れ出して」
そうだね、とは。移動とは、鐘楼とは。
マリアーノ殿下はエヴァルド殿下よりも更に型破りであるらしい。マリアーノ殿下の考えていることがステラには全く分からないので、行動がなおさら突飛なものに感じる。
今も、ステラは恐れ多さで立ち上がっただけなのに、何故かマリアーノ殿下はうんうんと頷いている。
「……私も共に参ります」
「なんでさ」
「殿下、ミネルヴィーノさんはルーチェ殿下の侍女です。殿下が連れて歩くと要らぬ誤解を招きます」
ステラは一瞬首を傾げたが、ルーチェ殿下の侍女を外された、もしくはルーチェ殿下のところからまた侍女が抜けた、という誤解は確かに良いものではない。そして、近衛兵は付いてくるにしろ、この御方と二人というのは心臓に悪すぎるのでエルネストの申し出は大変にありがたかった。
「じゃあ行こうか」
結果、三人で鐘楼まで移動することになった。鐘楼は王城の北西にあり、この王都で唯一かつ最も高い建物だ。西に横たわる山脈を見通し、帝国の動きから山賊までを広く見張る為に建てられたという。ステラ達使用人にとっては、朝を告げる鐘だ。
王城の北西角に移動し、庭から見上げた鐘楼は高かった。城壁がおよそ三階建相当、鐘楼はこの数倍の高さがある。ステラ達の居るほぼ真下からは鐘楼の鐘は見えない。首を上げても、垂直な白い壁と青空が見えるだけだ。
「先触れは届いておりますか。魔法師団のエルネスト・パーチと、マリアーノ第一王子殿下です」
エルネストが尋ね、近衛兵が鐘楼の入口を開ける。鐘楼の中にはフェルリータの尖塔と同じように螺旋階段があった。ステラは久しぶりの覚悟を決めて階段に踏み出そうとして、優しげな声に止められた。
「ミネルヴィーノさん、自動昇降機はこちらですよ」
「へ?」
螺旋階段の中央に柵状の扉で仕切られた小部屋があり、その中から声を掛けられた。
「これが自動昇降機……」
そういえば以前、宝飾室での会話で聞いた気がする。
手招きされて小部屋に入る。エルネストが何やらパネルを操作すると、三人の入った小部屋がぐんぐんと上昇し始めた。脚と頭を引っ張られるような妙な感覚だ。
「うわぁ、初めて乗りました……」
「一分も経たずに上に着きますよ。ああ、フェルリータの尖塔には自動昇降機が無いとナタリアに聞きましたが、子供や足の悪いご老人はどうやって上に……?」
小等部の遠足で、皆で息切れしながら尖塔の二百段の階段を登ったことを思い出し、ステラは地元を儚みたくなった。返せる言葉もなかったが、ステラはそれこそ気合だけの答えを返した。
「……気合いでしょうか」
11月はお休み頂きました。
予定通りに再開できてホッとしています。
変わらず1日おき奇数日に予約投稿です。