2-17:技術競技会②
エヴァルド殿下が予想した通り、王族が観覧するバルコニー前は大混雑だった。フェルリータと違い道幅が広く、すれ違いざまに肩がぶつかることなどないイメージばかりがステラの中で先行していたのだろう、こんなに人が住んでいたのかと驚いた。
バルコニーの手前でルーチェ殿下を降ろし並んで入場すると、歓声が上がる。バルコニーに並べられた椅子にはすでに先客が座っていた。
「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」
ルーチェ殿下に声を掛け隣に座るように促した男性は、エヴァルド殿下と同じ髪の色をしている。後ろに控えているステラの位置から目の色や顔立ちは見えないが、第一王子殿下だと予想をつけた。
ブラックダイヤの髪はサラサラとして、朝の光に透けて輝いている。たしか、第一王子はグローリア様の同母兄だ、これまたお美しいに違いないと心の中のメモを捲る。
「おはようございます、マリアーノお兄様」
「早いですな、兄上」
「会場作りや結界の用意で朝早くから大忙しだよ。今やっと休憩しているところ」
皮張りの椅子の横には、小さなローテーブルとお茶が用意してあった。兄二人で末の妹姫を挟むように座る。
バルコニーの後方にある、侍女、侍従の控える位置に向かうと宝飾室の先輩が居た。この先輩はマリアーノ王子の侍従を兼任していると言っていたので、この後ナタリアも合流することは想像に難くない。
こんなに兼務を重ねて良いのかとも思うが、シルヴィアが捕縛された件からも、そう簡単に人手は増えないのだろう。朝の引継ぎで、グローリア様の侍女達が一斉に異動願いを出してきたと言っていたアンセルミ侍女長の苦労が偲ばれる。
手元の時計で時間を確認すると、開会まで残り五分。間を開けずナタリアを供に王妃二人が入場する。続いて国王陛下とグローリア第一王女、そしてイズディハール皇太子の三人がバルコニーに姿を表した次の瞬間、割れるような大歓声が届いた。
『おめでとうございます、おめでとうございます』『カルダノ王国万歳、ハルワーヴ帝国万歳』『グローリア姫様、イズディハール皇太子様』集まった市民が花を撒き、声の限りに寿ぎを叫んでいる。
バルコニーの奥まったところに立っているステラにも届く、大歓声だった。バルコニーの最前列で、国王陛下とグローリア王女殿下、それからイズディハール皇太子が笑顔で手を振って歓声に応えている。
キャアキャアと騒ぐ女性の声も聞こえることから、ステラの位置からは後ろ姿しか見えないイズディハール皇太子も、見目麗しそうだ。時折目線を合わせては恥ずかしげに顔を赤らめる初々しい両人を見やって、国王が満足そうに頷く。
「この度、我がカルダノ王国はハルワーヴ帝国との友好同盟を結ぶ。我が国の勇壮なる騎士たちよ、イズディハール皇太子殿下の御前である、日頃の鍛錬の成果を披露せよ」
ハッ、と前庭に整列していた騎士たちから敬礼が上がった。
「また、イズディハール皇太子殿下とグローリアの婚姻を祝い、今日より三日間を祝日とする。王城から菓子や酒を振る舞おう、皆、大いに騒ぎ祝おうではないか」
市民の歓声に高らかなファンファーレが重なり、騎馬の行進が始まった。軽快な音楽を奏でる楽隊と騎馬が並んで行進する、お祭りの始まりだ。
エヴァルド殿下は力の限り拍手をしている。その隣で拍手をしているルーチェ殿下の横顔も、朝よりは表情が明るくなっているように見えた。
午前はまず前庭を会場として剣と槍の競技会が行われる。出場者は自薦他薦を問わず騎士団から選ばれ、勝ち抜いた選手には褒賞が与えられる。
王都に来てから初めてのお祭りだ。見てみたいがバルコニーの奥からは、角度的に前庭は見えない。正門から出立した行進は見えるのだから、こればかりは仕方ないとステラが諦めたとき、ルーチェ殿下に呼ばれた。
「ステラ、お茶を」
「はい」
ローテーブルのティーポットごと、あらかじめ用意されていた新しい茶葉のものに取り替え、湯を注ぐ。
「ステラ嬢、私にも貰えるか」
「はい」
自分も、と言い出したのはエヴァルド殿下だ。
「新しい侍女かい? ルーチェ」
「ええ、お兄様」
ルーチェ殿下とエヴァルド殿下の後方に立ってポットを持ったステラを、ルーチェ殿下のさらに反対側にいた第一王子が見た。
ステラの予想の通り、第一王子も絶世の美貌の持ち主だった。グローリア様によく似ている。いや、グローリア様の兄なので、グローリア様が似ているのか。すんなりとした輪郭に配置された一つ一つのパーツが繊細で、けぶる睫毛は瞬きのたびに音がしそうだった。
「ふうん、……僕にもお茶をくれるかい?」
「畏まりましてございます」
緊張で多少おかしな敬語を使いつつも、ステラはなんとかお茶のお代わりを淹れることが出来た。ティーポットもカップも総銀細工、持つだけでも震えがくる代物であるのに加え、供する相手はこの国の王子殿下お二人と王女殿下である。
無事に三客のお茶を淹れ終え、元の位置に下がろうとしたステラを
「いちいち呼ぶのが面倒だわ、そこに立っていて」
と、ルーチェ殿下の命が引き止めた。
「はい、ルーチェ殿下」
引き止められ、ルーチェ殿下の斜め後ろに立ったところでステラは驚いた。続く行進も、前庭の剣と槍の競技会場も見える。横を見れば、ナタリアも同じように王妃殿下二人の間の後方に立っていた。
ルーチェ殿下のお心遣いだ。嬉しくてお礼を言いたくなるのを堪えていると、第一王子殿下が何やら楽しそうにステラのことを見ていた。もっとも、相手からは分厚い眼鏡に遮られてステラの顔はほとんど見えていないことだろう。
「お、ルーチェ、ステラ嬢。アマデオが出るぞ」
エヴァルド殿下が指した会場には、アマデオが立っていた。切り出された石板を敷いた正方形の試合場の上で、明るい黄色の髪は目立つ。が、そもそもそういう問題では無かった。人が、多い。すぐ横にある槍の会場と比べて明らかに人の寄りが違う。
先程までは剣の会場も槍の会場も、観戦客の数は大差無く見えていたというのになぜ、という疑問はすぐに解決した。増えたのは若い女性だった、上から見ているとよく分かる。ドレスに身を包んだ貴族の女性から、ワンピースを身に纏った王都に住む女性まで、会場の最前列を争って我も我もと集団が揉み合っている。
開始、という審判の合図と同時に剣が打ち合わされ、五合も打ち合わないうちに相手の剣が飛んだ。
「勝者! 北方騎士団、アマデオ・リモーネ殿!」
キャアアアア、と黄色い声が上がり、花束が幾つも投げ込まれた。人気俳優が出る歌劇のアンコールのようだ。
「アマデオの相手は我が近衛騎士団の有望な若手だったのだが……。まあ、クジ運が悪かったな!」
「……」
不運な青年である。
各参加者三十二名ずつの勝ち抜き戦は着々と進み、昼の十二時を過ぎた頃に剣はアマデオが、槍は東方騎士団の団長が優勝した。東のパレルモは東端の港と豊かな穀倉地帯を持っており、所有する面積の広さから馬と槍を扱える者が多いのだとエヴァルド殿下が説明してくれた。
最初に行進した騎馬隊と楽隊は、東の騎馬隊と南のヴィーテの楽隊の合同である。南方騎士団には楽器を扱えるものが多く、歌姫や合唱隊もいるとのことだった。
剣と槍の競技会が終わり、一時間半の休みを挟んで午後からは弓の競技会だ。夕方に閉会の挨拶があり、通例ではその後は慰労会だが、今年は国王陛下が告げた通り菓子と酒を振舞って市民を交えての大宴会になる。
「お食事のご用意が出来ました」
いつ戻ってきていたのか、アンセルミ侍女長が告げ、バルコニーから引き上げた広間には昼食の準備が出来ていた。ビュッフェが設けられ、沢山の料理が並んだ後ろに料理長の姿が見える。王族の方々は席に付き、用意されたメニューリストから好きなものを頼むオーダービュッフェの形式だ。
「じゃあ僕、結界の設営があるから一旦抜けるね。エヴァルド、ルーチェ、また後で」
マリアーノ殿下はそう言うと、ビュッフェからサンドイッチを貰って廊下に抜けていった。
エヴァルド殿下とルーチェ殿下が同じテーブルにつき、メニュー表を眺める。迎賓の皇太子殿下のためか、王国と帝国両方の料理が載っていた。
「……任せるわ」
ルーチェ殿下はメニュー選びを早々に放棄し、ステラに寄越した。
「私はルーチェと同じものを三人分頼む」
「畏まりました」
港でお会いしたときに知っていたが、エヴァルド殿下は健啖家である。料理長に相談しようとしたところで、鈴を転がすような声が掛かった。
「わたくしも、こちらで食べて良いかしら」
飛び退く勢いで壁側に後ずさると、王妃のお一人がこちらへと近寄って来ていた。
「お母様」
「母上」
薄紅の髪をした麗人は、ルーチェ殿下とエヴァルド殿下の実母でヴィーテ出身のフルヴィア妃だ。席は四人掛けのテーブルであるので問題はない。妃殿下についていた侍女が椅子を引き、妃殿下はルーチェ殿下の隣に座った。
「……そちらの方が、ルーチェの新しい侍女さんですね?」
「は、はい……!」
「アンセルミから、若いのによく仕えてくれていると聞いています。母として礼を申します」
「そんな、お、恐れ多いお言葉です……!」
自分に言葉を掛けられるとは思ってもおらず、脂汗を掻いて挙動不審になっているステラを咎めることなく、薄紅のお妃様は柔らかく微笑んだ。
「お腹が空きましたね、私にも二人と同じものをお願いします」
「う、う、ううう承ります!」
責任重大だ。早足でビュッフェコーナーへ向かい料理長に相談すると、流石の料理長は御三方に合ったコースを組んでくれた。トマトとチーズのブルスケッタ、冷たいコンソメスープ、メカジキと野菜の串焼き、デザートはシロップを染み込ませたナッツパイ。メインの魚料理とデザートが帝国風だが、どちらもスパイスが控えめの料理で、ルーチェ殿下の口にも合うだろうと言ってくれた。
給仕が振り分けられ、各テーブルに料理が用意される。コース風ではあるが、時間の都合上、ある程度同時に運ばれる料理は壮観だ。
素材こそ最上ではあるものの、ブルスケッタ、コンソメスープという、王国の郷土料理を前に、フルヴィア妃はふふふと笑った。
「懐かしいわぁ、ヴィーテではよく食べていたの。……うん、美味しい」
「? お母様のご実家では、これを食べるのですか?」
王城で生まれ育ち、最近カルダノ王国の料理を口にし始めたルーチェ殿下には不思議なことだったらしい。
「ええ、そうよ。ヴィーテは自然の豊かな土地ですからね。……ああ、ルーチェのところで食事をしたらまた食べられるのかしら? ルーチェ、母を食事に招いてもらえますか?」
「は、はい! お母様!」
ルーチェ殿下が年相応の喜びをあらわに、力一杯何度も頷く。
「この串焼きは美味いな! もう五本ほど貰えるだろうか」
帝国の海でよく採れるというメカジキを野菜と串焼きにしたものは、エヴァルド殿下の口に合ったらしい。帝国のマナーに乗っ取り串から外さず三人分を片付けた上で、さらに追加を所望された。
野菜はズッキーニとタマネギで王国でもよく食べられる野菜だ。塩とレモンを味付けに焼かれたメカジキはルーチェ殿下も大丈夫だったらしい、串から外して行儀良く食べている姿にステラは胸を撫で下ろした。後で聞いたところ、料理長もホッとしていたそうだ。
デザートはシロップの掛かったナッツパイ。貴重な砂糖をふんだんに使った、帝国らしい贅沢なパイだ。
「お茶と一緒に少しずつお召し上がりください、と料理長から言づかっております」
紅茶を出しつつ料理長からの伝言を伝えると、パイを切っていたエヴァルド殿下のナイフが止まった。当初の大きさを、さらに四分割して口に運ぶ。
「……うむ、これはジューシーな甘さ」
「思い切り濃いコーヒーが欲しくなるわねえ」
「……お淹れ致しましょうか?」
「今日は式典ですもの、ルーチェの食事に招かれた時はお願いしますね」
ちなみに、ルーチェ殿下のパイにはシロップが掛かっていない。料理長がこっそりと上掛けのシロップを抜いたごく普通のナッツパイを、ルーチェ殿下は黙々と食べていた。
「……美味しかったわねえ。ルーチェがちゃんと食べているところも見れて、母は安心しました」
「ルーチェ、母上を食事にお招きするときは兄も一緒に頼む」
「は、はい。エヴァルドお兄様」
「午後の弓術にはマリネラ様の従兄弟殿も出られるとお聞きしましたが、腕前はどのようなものですか?」
「リベリオですな。昨年は不参加でしたが、今年は初参加でいきなり優勝候補です。いやあ、表彰式が楽しみです」
空いた皿を片付けつつ、ステラはエヴァルド殿下とフルヴィア妃の会話を咀嚼する。
マリネラ、従兄弟、とは。