2-16:技術競技会①
翌日、王都は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
王都が遷都して初の、隣国とのロイヤルウェディングだ。城からの公布と新聞の号外が出され、太陽が登らないうちから王都の貴族と商人が祝いの品を持って城に押しかけ、民衆は王族が座るバルコニーの見える最前列を取るべく正門前に陣取っている。
侍従長と侍女長は貴族と商人の対応に追われ、結果、技術競技会を観覧するルーチェ殿下の身支度はステラに任された。
「昨夜はお疲れ様でございました」
「……」
「大晩餐会は遅くまで続いたとお聞きしましたが、睡眠は取れましたでしょうか」
「……」
「……朝食は、召し上がられましたか?」
「……」
ステラの問いに、ルーチェ殿下は返事をしなかった。いつものように憎まれ口が返ってくることもなく、無表情に黙り込んでいる。窓際のテーブルの上には、サンドイッチとお茶がほとんど手付かずのまま残っていた。
今日の技術競技会は朝の九時に始まり、夕方に終わる。殿下の服装はドレスではなく、ドレスと同じ生地を使ったツーピースだ。金色の生地とグレーのレースを使ったジャケット、チューリップ型のふくらはぎ丈のワンピース。
身支度をする間も、ルーチェ殿下は無言だった。時折何かをステラに話そうとするものの、言葉としては発されない。
金のリボンを髪に編み込んで、スッキリと後頭部で結い上げた。昨晩、侍女長から突貫で叩き込まれた日昼正装用の髪型である。
「……ねえ」
「はい」
「グローリアお姉様が、西の帝国に嫁がれるそうよ」
「……朝礼で、侍女長様と侍従長様から通達がありました」
「……そう」
城内も朝からこの話題一色だ。食堂も、渡り廊下も、とどめは本宮だ。侍女長の所にはグローリア殿下の侍女が異動願いを出しに殺到したが、それどころではないと一蹴されたらしい。
ルーチェ殿下の衣装をステラに、グローリア殿下の衣装をナタリアに緊急で頼み、侍女長は大騒ぎの城内を競歩の如き速度で歩き回っている。
朝摘みの薔薇を留めたチョーカーを首に飾って、今日の着替えも出来上がりだ。迎えが来るにはまだ少し時間がある。昨晩のドレスの着心地や評判も聞いておきたいし、可能であれば少しでも食べ物をお腹に入れて欲しい。
「今日のお衣装もとてもお似合いです。昨夜のドレスはいかがでしたか? 途中で気分が悪くなったりは、なさいませんでしたか?」
「……大丈夫よ、お兄様達に褒めていただいたわ」
まずはドレスの話を振ってみれば、ルーチェ殿下はあっさりと答えてくれた。
「ドレスを贈って下さったのはお兄様だったのね。……あとで、手配をしてくれたアンセルミ達にもお礼を言わないと」
「……」
これは、まずい。ルーチェ殿下からまず聞かない殊勝な言葉が出てきてしまった。お礼や謝罪の言葉が出るとき、それは姫君が精神的に追い詰められているときだ。
サンドイッチをもう少し食べて行かれませんか、という言葉も出せずステラが立ちすくんでいると、扉の外から聞き覚えのある快活な声が聞こえてきた。
「おはよう! ルーチェの用意は出来ただろうか!」
御支度中で御座います、と近衛兵が扉の前で留めているのが聞こえた。
「エヴァルドお兄様よ、入って頂いて」
ステラは頷いて、扉へ向かった。
「おお、ステラ嬢か! 良き朝だな!」
「おはようございます、エヴァルド殿下」
一礼して、部屋の脇に控える。
「お兄様……」
「おお、ルーチェ、我が妹は今日も美人だ! どうした? 朝食を食べていないではないか」
大きな手が、妹姫の頭を撫でる。
「お兄様、グローリアお姉様が西の帝国に嫁がれるお話ですが。……ですが、嫁ぐのは、なぜ」
なぜ、私ではないのですか、と。
もしこれを問われていたら、ステラはおろか侍女長のアンセルミとて答えられなかっただろう。ルーチェ様には価値があるからです、とも。グローリア様の方がよりカルダノ王国『らしい』からです、とも。
そして、そのことを分かっている聡い王女は使用人の誰にも、これを問わなかった。
「頭の出来の悪い兄には、父上や姉上のお考えは到底わからぬが。……歳ではないか?」
「お歳……?」
「うむ、帝国のイズディハール殿は御歳二十五と聞いた。グローリア姉上が似合いではないか」
それは実にシンプルな答えだった。
ステラの考えついた理由は政治的に正しいのかもしれない、だがルーチェ殿下を深く深く傷つける答えだ。「観光客は、より観光地らしい土産を求める」そんな答えしか思いつけなかった自分をステラは恥じた。
尊敬の目で見たエヴァルド殿下は、今度は窓際のテーブルに近づいて頷いた。
「美味そうなサンドイッチであるな、少し貰っても良いだろうか」
足りなかったのだ、と笑いかけられステラは全力で頷いた。
「は、はい!」
「一人では寂しい、ルーチェも兄と一緒に食べよう」
エヴァルド殿下は、飲み掛けのまま放置されていたカップに手づからミルクを注ぎ、一番薄いサンドイッチと一緒に妹に差し出した。もはや紅茶風味のミルクになったそれと、マーマレードのサンドイッチを、ルーチェ殿下はゆっくりと、けれど全部食べてくれた。
「よしよし、では行こうか。ステラ嬢、ルーチェの靴を」
昨晩の靴よりも踵の低い昼用の靴を差し出す。靴を履いた妹を軽々と左腕に乗せ上げ、悠々とエヴァルド殿下は歩き出した。
ステラの今日の仕事はルーチェ殿下のお付きだ。片付けを呼ぶようにと近衛に伝言をして、慌てて両殿下の後に着いて行った。
「ステラ嬢は技術競技会は初めてか」
「はい」
「楽しいぞ、私の近衛師団を始め、王都に駐在する東と北と南の騎士団も交えての祭りだ!」
気さくな王子殿下は、歩幅広く歩きながらも今日のイベントの説明をしてくれた。
国王陛下のお言葉から始まり、正門から中央広場まで大通りを練り歩く騎馬の行進、前庭では剣と槍の競技会が行われる。正門は開け放たれ、王都の市民は正面バルコニーに座る王族を見るも良し、好きな競技を各々の会場で見るも良しだ。
「イズディハール皇太子も姉上と共に観覧されると聞いている、バルコニー前は大混雑だろうな」
それはステラも見たい。ステラの今日の位置はルーチェ殿下の後ろであるので、席の配置やバルコニーへの着席順によってはお見掛けする機会はあるかもしれなかった。
「エヴァルド殿下は参加されないのですか?」
「私も参加したいのだが、毎年周囲に止められているのだ……」
曰く、剣も槍も刃は潰してあるが、王子殿下が参加しては相手の選手が萎縮してしまう、と。大型の犬が項垂れるように、ションボリとした殿下はかわいそうだった。
「ステラ嬢の知り合いなら、リベリオ達が出るぞ。アマデオが剣、リベリオは弓だ」
正門前に射手が並び大通りの直線を使って二キロ先中央広場の的を射抜く弓術競技は、市民の中でも観戦人気の高い競技らしい。全長二キロのコースの左右にビッシリと観客が並ぶという。
「に、二キロですか……⁉︎」
読書と催事で知った程度のステラの知識では、弓とは精々五十メートル先を射るものである。
「ああ、ステラ嬢はフェルリータの出であったな。王都の使っている弓矢は、弓にも矢にも魔石が付いているのだ」
曰く、弓と矢それぞれに魔石を取り付け、射手が風の魔力や火の魔力などを独自に込めて射ることで、従来の弓矢とは桁違いの飛距離や威力を叩き出すらしい。
「……、あ、あの、それは左右の観客の方々に危険は無いのでしょうか…」
二キロ先を射抜く速さの矢、想像しただけでも怖い。
「コースの両側は兄上の魔法師団が固めて、防御用の結界を張るのだ」
「結界」
「魔法師団と魔石を等間隔に配置してだな、だが市民にも矢が見えるように風の結界を張るのだ」
的は二メートル四方で、命中すれば得点になる。命中は旗で射手に伝えられる。採点方式こそ普通の競技だが、距離といい結界といい、ステラにとっては物語の世界である。
「リベリオは腕が良いぞ、楽しみにしておくといい」
「はい」