2-15:グローリア・ローレ・カルダノ
かくあれ、と育てられた。そうあれ、と育てられた。
カルダノ王家の貴色を持ち勇壮な北方領の血を受け継いだ、最も気高き『黒と金の姫』。それが、グローリア・ローレ・カルダノだ。
不満などない、望んだものは全て与えられた。最高の教師と貴重な本を、マエストロが作った楽器を、贅の限りを尽くしたドレスを。
けれど、グローリアが望み周囲が惜しみなく与えたそれら全ては。
「グローリア第一王女殿下! ご入場!」
高らかに鳴らされるファンファーレ、歓声と、二つに割れている人垣の間、レッドカーペットを悠々と進む。耳を打つのは、何一つ常日頃と変わりない賛美の言葉だ。見事な黒髪、黄金の瞳、誰よりも美しい姫君、その賛美のどれもが心からの言葉であることを知りながらも、グローリアの心には響かない。
初夏の大晩餐会には国内の有力貴族を始め、隣国からの迎賓も招待される。年末年始の大晩餐会と並ぶ公式行事だ。
王城で最も広く最も格の高い広間は、効率王と呼ばれた王が建てた城にあっては比較的装飾の多い部屋だった。天井が高く広々とした空間にカルダノ王国と隣国の帝国の様式が織り交ぜられた、国内外の融和を表す広間だ。
王家の入場順はまず、王子王女が年長順に入場し、その後に王妃、王と続く。グローリアの席の隣にはすでに同腹の兄が座っていた。
「やあ、グローリア。ご機嫌麗しゅう?」
グローリアと同じ色合いの麗しい兄のことが、グローリアはいつも苦手だった。問いには答えず無言の会釈だけを返して着席すると、やれやれと肩を竦めるちょっとした仕草にすら、底知れない気味の悪さを抱いた。
最も、それを表に出さないだけの分別をグローリアは持っており、またそれが硬質な美貌と称される所以にもなっている。人は見たいものだけを見る、そのことをグローリアは幼い頃から知っていた。
「エヴァルド第二王子殿下! ご入場!」
グローリアの次に入場して来たのは異母弟のエヴァルドだ。筋骨隆々の身体を黒の正装に包み、輝く笑顔は夜の晩餐会にあってなお太陽のようだった。
「兄上、姉上」
「やあ、エヴァルド。今日もいい筋肉をしているね」
「美貌の兄上姉上と違って、私がそれだけが取り柄ですからな!」
弟の声に一切の卑下や嫉妬は混ざっていない。心からそう思い、そしてそれで足りているという自らへの肯定感に満ちていた。
王子王女の入場順は年長順だ。だがそれは『王位継承順』ではない。カルダノ王国の王位継承権は年長順ではなく、性差もない。ここ数代に渡り少数の男児ばかりでこと足りた故に、姫君が存在しなかった王家だが、遡れば女王もそれなりに存在している。
『その時勢に適した王を』それが、三代前の王が遺した言葉だ。
誓って言うが、グローリアは王になりたいと思ったことなど一度もない。だが、『王になりたくない』と『王になれない』の間には天と地ほどの差があるのだと、心の底から思い知らされている。
「ルーチェ第二王女殿下! ご入場!」
比較的近くに居た高位の貴族達が、ヒソヒソと笑う声が聞こえた。グローリアの腹違いの妹は、王家の貴色を持っていなかった。それは、暇な貴族達にとって嘲笑うには絶好の対象だったのだ。
しかし、この日は違っていた。ヒソヒソとした嘲笑は、次の瞬間どよめきに変わった。嘘でしょ、と扇の下でどこぞの貴婦人が呟き、どよめきはどんどん大きくなった。
どよめきの中、真っ直ぐに前だけを見て歩く妹は、慣例である黒のドレスではなく金色のドレスを身に纏っていた。ドレスの生地と金糸の刺繍が上品に煌めき、その金の上に靡く赤紫の髪がシャンデリアの下で宝石のように煌めいている。
白磁の首を飾るスピネルの首飾り、髪には同じくスピネルの冠。桜桃の唇は愛想笑いの一つもせず引き結ばれ、黄金の目は前だけを見据えている。その全てが華麗で美しく、苛烈とも言える威厳に満ちていた。
自分たちの胸ほどもない背丈の姫君の入場でありながら、カーペットの最前列にいた人間達が一歩後ずさる。
「い、いや、慣例では黒のドレスの筈ではないか」
自分が気圧されたことを認めたくないのだろう、大臣の一人がそんなことを言いかけ、けれどそれは立ち上がった第一王子の声によって叩き潰された。
「やあ、ルーチェ。僕の贈ったドレスだね、とても似合っているよ」
腹違いの第一王子が、レッドカーペットの途中まで妹姫を迎えに行った。空気を含んで柔らかでありながらも、よく通る声だった。揶揄を言いかけていた大臣が脂汗を掻きながら列の奥へと引っ込んだ。
「素敵なドレスをありがとうございます、マリアーノお兄様」
差し出された兄の手を取り、悠々と進んだ妹はグローリアの隣の席に収まった。妹は何かを話し掛けたそうにしていたが、グローリアは扇を口元に広げることでそれを拒んだ。
「両王妃殿下! ご入場!」
次の入場は、カルダノ王の二人の王妃だ。異なるタイプの王妃達に優劣は無く、この日も同時に入場となった。グローリアとマリアーノの生母のマリネラ・ローレ妃と、ルーチェとエヴァルドの生母のフルヴィア・ヴィーテ妃。
朗らかで気さくな社交会の華ことフルヴィア妃が、席に着く前にマリアーノに声を掛けた。
「マリアーノ殿下、娘にドレスを贈って頂いたとアンセルミから聞きました。ありがたく存じます」
「なあに、かわいい妹への贈り物です。喜んで頂けて嬉しいですよ」
「兄上はセンスも良いですからな! ルーチェによく似合っている」
兄二人に褒められ、ルーチェがもじもじと扇を弄るのが目の端に映る。
「国王陛下! ご入場」
最後の入場は、グローリアの父であり国王だ。王妃、王子王女も全員が立礼し、国主の入場を厳かに迎えた。
壮年の王は静かに進み、王家の席の中央、玉座の前でゆっくりと話し出した。内容は時節の挨拶から始まり、たわいもない日常話、そして。
「この度、隣国のハルワーヴ帝国と縁を結ぶ機会を設けたことをここに告げる」
会場がどよめいた。
「ハルワーヴ帝国、イズディハール皇太子を我が国に迎えられたことを、心から嬉しく思う」
最前列から玉座の前に進み出たのは、若い男だった。金の髪、海色の瞳、褐色の肌。騎士服の上に、刺繍の鮮やかな異国の布地を纏っている。
「皇太子、イズディハール・アル・ハルワーヴと申します。ハルワーヴ帝国を代表し、カルダノ王国国王陛下に初夏の挨拶に参りました」
「カルダノ王国、ヴァレンテ・カルダノである。良き隣人のご来訪を歓迎致します」
壮年の国王と、隣国の若き皇太子が固く握手を交わし。それは大きな拍手を持って歓迎された。西の隣国、ハルワーヴ帝国とは山脈を挟みながらも、ここ二百年ほど小競り合いや国境争いを繰り返している仲だ。
王都を山脈のすぐ傍に置き、侵略を足留めした上で海路を開くと同時に、隣国との停戦条約を締結したのが三代前の王。効率王と呼ばれた王は戦争などという非効率極まりない行為を心底嫌っていたと、グローリアは聞いている。
皇太子という男が、甘く垂れた目の奥で容赦なくグローリアを値踏みした。
「グローリア」
「はい、国王陛下」
呼ばれ、グローリアは前に進み出る。
「この度、イズディハール皇太子とグローリアとの婚姻を結ぶ」
どよめきと歓声が入り混じって上がった。
「グローリアは帝国へ向かい、式は年明けを予定している。この婚姻が、永く両国友好の礎とならんことを」
万雷の拍手と歓声に、グローリアは笑顔で答えた。グローリアの前に皇太子が膝をつき、手の甲に口付けると歓声はますます大きくなった。
兄のマリアーノは常と変わらぬ笑顔のまま拍手をし、もう一人の兄のエヴァルドは感極まった笑顔で全力で拍手をし、妹のルーチェは黄金の目を限界まで見開いて固まっていた。生母であるフルヴィア妃に促されて慌てて拍手をしていたが、拍手は不恰好で、表情も全く取り繕えていなかった。まだまだ社交面では未熟な妹だ。
(いつ見ても不細工だこと、あの髪色もみっともないったら)
(さっさと外に嫁がせてしまえばよろしいのに)
侍女達が投げつけていた悪意に幼い妹が傷ついていたことも知っていたが、グローリアは咎めなかった。それが余りにも見当外れだと知っていたからだ。ルーチェを蔑みグローリアに取り入ろうとする彼女らの愚かさに、笑いすら漏れた。
『その時勢に相応しき王を』
平時の王はエヴァルドが成るだろう、国民に愛され信頼される太陽のような王だ。そして、もし戦が起きれば王はルーチェだ。この国で最も魔力が多く、ひとたび戦場に立てば全てを焼き払う炎の女王。
歳の離れた小さな妹は、グローリアの前ではいつも項垂れていた。劣等感に苛まれ、だらりと下げられた赤紫色の美しい髪を、グローリアはどれだけ妬ましく、愛しく思ったことだろう。
不満などない、望んだものは全て与えられた。最高の教師と貴重な本を、マエストロが作った楽器を、贅の限りを尽くしたドレスを。けれど、グローリアが望み周囲が惜しみなく与えたそれら全てはこの日のためにあった。
輸出品の質を高め、いかに高値で売りつけるか。ただ、それだけの話だった。
「……イズディハール皇太子殿下、至らぬ身なれど御身とハルワーヴ帝国にこの身の全てでお仕えいたします。どうぞ、末永く」
「美しい黒と金の姫君、貴女を我が国に迎えられることはこの上ない喜びです。我らと我らの子孫が、永く両国の絆を結ばんことを」
仰々しい、芝居がかったやりとりだ。隣国の皇太子と第一王女の婚姻は、明日には両国中に広まるだろう。
「お姉様…」
妹が呟いた小さな小さな声が聞こえた。
振り向くことはせず、グローリアは自分の夫となる人間を見据える。彼の肩越しに、グローリアが永く友好を築かなければならない帝国の姿がある。
妬ましく、愛しい妹よ、貴女を女王になどさせるものか。
貴女は私のことを「すべてを持っている」と思っていたことでしょう。私は、この国の全てを持たされていながらも、けれどこの国で、何者にも成れはしなかったのです。
作中で恐らく一番主人公らしいキャラがグローリアです。