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2-14:初夏の訪れ

 王城に勤めて三か月が経ちステラの制服が緑色になり、季節は初夏になった。

 ステラ自身にも意外なことにルーチェ殿下の侍女勤めは続いており、お茶が渋いと怒られることも無くなった。


 今、王城は夏の始めに行われる大晩餐会と、軍部による技術競技会の準備に忙しい。

 日程は二日に渡り、初日は比較的広範囲の貴族や商人が招かれるガーデンパーティから始まり、その夜には高位貴族と王族が出席する本宮での大晩餐会。一夜明ければ王都の市民も楽しめる、大通りを使った技術競技会の始まりだ。

 このうちルーチェ殿下の仕事は大晩餐会への出席と、次の日の技術競技会の観覧だ。本番を一週間後に控え、ルーチェ殿下はとてもとても不機嫌であった。


「……出たくない」

 朝の食事を終え、ステラとアンセルミ侍女長で運び込んだドレスと装飾品を前に、ルーチェ殿下は深々と溜息を吐いた。暗鬱とする姿すら可憐だが、溜息の深さは勤労数十年の使用人もかくやの深さである。

 しかしそれは絶対に出席しなければならないことを分かっているがゆえの言葉であり、言わば愚痴である。愚痴を聞かせて貰えるようになったことをこっそりと喜んでいると、ルーチェ殿下に睨まれた。

「……何で嬉しそうなの」

「……失礼いたしました。ではルーチェ殿下、まずはこちらのドレスからご試着をお願い致します」

 ステラが箱を開けて侍女長が取り出して広げたのは、薄いベージュ色のドレスだった。

「? 黒のドレスじゃないの?」

 王家の貴色は黒と金だ、王城での正式な晩餐会や公務では王族は黒を纏うことが慣例となっている。ステラがルーチェ殿下に初めて会った時もドレスは黒だった、衣装室の中も圧倒的に黒が多い。

 けれど、ルーチェ殿下が黒いドレスを劣等感に苛まれながら着ていたことを、ステラもアンセルミも知っていた。


「ベージュゴールドの生地で仕立てました」

 王室としての体裁を保ちつつルーチェ殿下に似合うドレスをと、ナタリアと侍女長が何日も検討し、王室御用達の職人に細かく発注を出して、ようやくと出来上がったドレスだった。

「……」

 お茶の前から動かなかった姫君がゆっくりと立ち上がって、作業台の上のドレスに手を伸ばした。細い指先がキラキラと輝く生地を撫でる。

 いつも無表情な侍女長が、皺を緩めて微笑んだ。

「さあ、お手伝い致します王女殿下。どうぞ、袖をお通し下さい」

 ベージュゴールドの上質な生地に惜しげもなく金糸の縫い取りがなされ、胸元を覆う繊細な黒のレースは裾に行くに従ってグレーのグラデーションになっている。黒ではなく金を基調とした、ナタリアと侍女長渾身の『黒と金』のドレスである。

「……」

 新しいドレスを着たルーチェ殿下が、無言のまま鏡の前で何度も回る。

「とてもお似合いです、ルーチェ殿下」

「ステラに何も聞いてないでしょ!」


 グレーのレースで飾られた靴も、ドレスと同じベージュゴールドの生地で出来ており小さな足にピッタリだ。ヒールの高さは長時間立っていても疲れない高さにしてあった。

「髪型はいかが致しましょうか」

 これはアンセルミだ。

「任せるわ」

 アンセルミは頷いて、複雑なハーフアップを結い上げた。いつ見てもどうやっているのか分からない速度と手順である。


「あの、ルーチェ殿下、これを」

 手鏡で後ろと横を確認しているルーチェ殿下とアンセルミに、ステラは持参した小箱を差し出した。アンセルミが頷いて箱を開ける。

「おや」

 侍女長の口から感嘆の声が上がった。ステラが持参したのは、スピネルの首飾りと小さなティアラのセットだった。ブラックダイヤやイエローダイヤ、シトリンなどが頻繁に使用される中で、使う人も無く宝飾室の隅に置きやられていたものだ。

「それ……」

「はい、絶対に似合うと、以前から思っていた例のものです」

 三か月前の約束をようやくと果たせそうだ。ドロップ型のスピネルを繊細な金で五連に繋いだ首飾りは白磁の首を華やかに飾り、小さなスピネルを星の様にちりばめたティアラは、スピネルの髪に誂えたように収まった。

 ステラとアンセルミは顔を見合わせて満足げに頷いた。

「……」

 姫君がまた立ち上がり、無言のまま鏡の前で何度も回る。

「とてもお美しいですよ」

「だから、何も聞いてないでしょ!」



「あっつぅ……」

「暑いねえ…」

 渡り廊下の横にある小さな中庭で、ステラとカーラはおやつを食べていた。木陰の下ですらすでに暑い、春には絶好の休憩場所だった中庭は、もう半月もすれば暑さで出られたものではなくなるらしい。

「はい、今日は今年初取りのレモンのパイ」

「わあ!……んんん、酸っぱい! でも、美味しい!」

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」

 カーラが作ってくれたのはカスタードクリームに輪切りのレモンを乗せて焼いたパイだ。ステラが宝飾室から持参したコーヒーと合わせて、贅沢なティータイムである。


「ルーチェ殿下も、カーラが作った桃のタルトを美味しいって食べてましたよ」

「ふ、ふぅーん?……まあ、いいけど?」

 どうでもいい、という態度を取りつつもカーラは嬉しそうだ。ルーチェ殿下の嗜好が判明した後、カーラは本宮の厨房を手伝うことが増えた。家庭料理の種類を増やしたいという料理長の方針で、使用人の食堂と軍部の食堂から家庭料理に長けた者や有望な若手を呼ぶようになったからだ。

 先日は桃を乗せたシンプルなカスタードタルトが供され、気難しい姫君が黙々と食べた上に、夕食のデザートにまで続けて所望したことから料理長が歓喜した。その桃のタルトは、カーラのレシピを料理長が作ったものだった。


「おや、ステラ嬢ではありませんか」

 二切れ目を食べようとしたステラに声を掛けたのは、アマデオだった。

 開けていた口を閉じて、慌てて立ち上がる。騎士が使用人の居住区まで来ることないが、玄関ホールは侍女長や侍従長の執務室を兼ねていることから、この渡り廊下と中庭はそれなりに往来がある。

「失礼いたしましたアマデオ様、こちらに御用でしたでしょうか」

「書類を届けに来た帰りです。そちらのお嬢さんはご友人ですか?」

「軍部の食堂に勤めております、カーラ・パストーレです」

 カーラも慌てて立ち上がって礼の姿勢を取った。

「食堂でいつもお見かけしているお嬢さんですね。北方騎士団の我々は貴女の作る食事に首ったけです」

 カーラの顔が首まで真っ赤になった。この三ヶ月で聞くところによると、とかく北方騎士団の面々は王城の女性使用人に大人気らしい。清貧を尊ぶ若き騎士長と、美しく貴族的でありながらも気さくな副長を始め、質実剛健を謳う北方出身の騎士達は女性からの人気が高い、らしい。


「ああ、どうぞ畏まらず。お茶の時間を邪魔してしまいましたね、カーラ嬢がパイを作られたのですか?」

「は、ははは、はい!」

「……あの、アマデオ様、ご一緒にいかがですか。カーラの作るパイはとても美味しいのです」

 甘く垂れている青い目がなんとなく物欲しそうにしているような気がして、ステラは失礼を承知で誘ってみた。アマデオは一瞬目を見開いたが、嬉しそうに笑って頷いた。

「ありがたく相伴させて頂きます。実はレモンのパイには目が無くて」

 ステラたちと同じように庭に腰を下ろしたアマデオに、カーラが危なっかしい手つきでパイを取り分け、ステラは予備のカップにコーヒーを注いだ。フォークを口に運ぶ仕草さえ優美な人だ。

「……うん、とても美味です」

「は、はぃぃ……」

 微笑みかけられたカーラはタコのようにグンニャリとしている。普段、ステラなど比べ物にならないほどシャキシャキとしている友人の、初めて見る姿である。


「え、ええと、アマデオ様はパイがお好きですか?」

「パイは勿論好きですが、レモンが好きなんですよ」

 そこから、アマデオは少しばかり自分の話をしてくれた。アマデオの家の領地は北方領の中でも最も南にあること、土魔法が得意な家であるので畑を多く持っていること。夏になると母が採れたてのレモンでパイを焼いてくれたこと。

「懐かしい味です。王都に来てから、実家に顔を見せに行く機会をついつい逃してしまって」

 馬ならば三日も掛からないというのに、とアマデオが笑う。


「アマデオ様は、王都にいつ頃来られたのですか?」

「一年と少し前ですね。リベリオと同時に来ました」

 ステラが想像していたより、二人ともずっと最近の登城であるらしい。

「リベリオ様と一緒に来られたのですね」

「ええ。北方軍で共に鍛えられたときからの友人ですよ」

 騎士長と副官であり、公私共に親密である。この辺りの情報はステラの聞いた話と相違ない。しかし、本人から聞く話というのは別格である。顔を真っ赤にしたまま口を押さえているカーラの、『もっと聞け』と訴える圧が背中に痛い。


「アマデオ様は、大晩餐会には出られますか?」

「ええ、リベリオ共々出席します。そうだ、お二人は技術競技会は見に来られますか?」

「はい、私はルーチェ殿下のお供です。カーラは、出場する騎士の皆様にサンドイッチを作って配ると言っていました」

 それは私も皆も楽しみにしています、と微笑み掛けられ、カーラは幸せそうに突っ伏した。見慣れた反応であるのだろう、何事もないように会話を続ける目の前の美青年が怖い。


「ステラ嬢は制服の色が変わられましたね」

「あ、はい」

 臙脂色の制服は三ヶ月未満の新人の服だ。その次の緑は長い、大体十五年を目処に紺色に上がるので、緑が王城における大多数の制服であると言っても過言ではない。目の前のアマデオもステラと同じ緑のジャケットを着ている。

「眼鏡の紐が革紐から銀鎖になられましたが、それも支給ですか?」

「いいえ、これは」

 商売人並の目敏さだ。ステラの眼鏡、そのツルに括り付けていた革紐は、少し前から銀の鎖になっている。ステラとしては初心忘れず見習いたいところだが、カーラに言わせると『我々の細かいところにも気付いてくださる気さくな御方』になるらしい。

「先日、リベリオ様に頂きました」

「ほぉー……」

「妹さんへの贈り物を選ばせて頂いたので、その御礼と言われましたが、その、本当に頂いてしまって良かったのかと……」

 小さな紫水晶が付いた、細い銀の鎖だ。収支が合う、とリベリオは言っていたが、家族とエリデ以外に贈り物をされたことがないステラにとっては、どう扱っていいのかも分からない代物である。

 ただ、贈り物と言うのは着けて貰うことが、贈り主にとって最も嬉しいことだ。宝飾店の娘であるステラはそのことをよく知っていたので、日常的に使わせてもらっている。


「……何それ、初めて聞いたわよ」

「カーラ」

 膝に顔を埋めて突っ伏していたカーラがむくりと顔を上げた。

「……つまり、バーナーと合わせてリベリオ様に交換で買って頂いたと」

「う、うん」

 カーラが頭痛でもしたかのように眉間を押さえた。


「何もったいないことしてるのよ! リベリオ様に自由に買っていただくなら指輪一択でしょ!」


「えええ……、私はリベリオ様の婚約者でも恋人でもないので……」

「買ってもらった指輪を着けて働いたり、誰かに聞かれたときには『高貴な方からの贈り物なので秘密です』って言うのが楽しいのよ!」

「えええええ……」

 分からない、王城の恋愛作法が全く分からない。

「ハッハッハ、カーラ嬢は分かっていらっしゃる」


 困惑するステラを横に、アマデオの楽しげな笑い声が中庭に響いた。

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