2-13:リベリオ・ローレ②
夕暮れには早い時間の大通りを、リベリオとステラはのんびりと歩いて戻ることにした。
「大通りを見たいと言っていたが、見たい店があるのか」
「いえ、特に決まってはないのですが……あ、どこかガラス工房をご存知ですか?」
「ガラス工房?」
「はい、眼鏡のレンズをもう一組作っておきたくて。アンセルミ侍女長様がお給金を増やして下さったので、当初の予定よりも早く作れそうです」
工房の目処と値段の相場を知っておきたいというステラの顔には、分厚い眼鏡が掛かっている。
アンセルミ侍女長が増やした給金と言うのはほぼ間違いなく、シルヴィア・イラーリオの件の口止め料だろう。そのことをステラに伝えるかをリベリオは迷い、けれど口にはしなかった。本人が喜んでいるのなら、それで良い。
「中央広場から西に曲がった所に、大きめのガラス工房があった気がするが…」
「では向かってみます。…リベリオ様、本当に着いてこられるのですか?」
「ここで君を一人にしたら、エヴァルド殿下から俺がお叱りを受ける」
「……大変ですね」
王都の治安は悪くなく、日中であれば若い娘が一人で歩いても問題無いが、ナンパくらいはある。底抜けに人の良い殿下が心配したのはどちらか、きっと両方だ。
港を背に歩き出した。
「……つまり、エヴァルド殿下と歳が近くて妹さんがいらっしゃるので、お付きになったと」
「俺が王城に来たのが一年前、当時の殿下は近衛師団の団長に就任されたばかりだった」
王家の人間も役職を兼任する。エヴァルド殿下が近衛師団の団長に就任し、入城したばかりのリベリオがそのお付きとなった。当時近衛に歳の近い人間が居なかったという理由はあるが、名ばかりとは言えリベリオがローレ家の人間だったこともあるだろう。
「歳と立場が近ければ親しくなるだろうと」
「妹さんはお幾つですか?」
「十三になった」
ステラが指を折りながら年齢差を数えている。
お付きだった期間は半年もない。十八で成人すると同時に、リベリオは北方騎士長に命じられた。その上で今でも呼び出されるのは、エヴァルド殿下の人となりによるものだ。
「私のような者にも話し掛けて下さって。大変気さくな御方ですね」
「ああ、王妃殿下によく似ておられる」
「ルーチェ殿下とエヴァルド殿下の母君で、ヴィーテ出身とお聞きしておりますが、合っていますか?」
合っている、とリベリオは頷いた。
「殿下に紹介されて何度かお会いしたが、気さくで朗らかな御方だ」
王城に来るまで母というものを実母しか知らなかったリベリオにとって、王城で出会った二人の王妃は衝撃だった。気丈で凛としたローレ出身の王妃と、気さくで朗らかなヴィーテ出身の王妃、そのどちらもがそれぞれの子を愛し養育し、国に深く関わっている。
「はぁぁ…あのルーチェ殿下の母君ですから、さぞお美しいのでしょうね」
「王は美醜を気になさらない御方だが……まあ、お美しいな」
そも、美しくなければ三大公爵家が王城に寄越さない。結果として、王族、高位貴族になるほど見目が良くなる傾向はある。
「ステラ嬢は、ルーチェ様を美しいと言う」
地方貴族出身の侍女、侍従には、貴色の御方に仕えたいという人間は多い。
「私はフェルリータ出身で、お恥ずかしながら王族の方々と政治に疎いのです」
「……なるほど」
自分も妹もローレ家の紫紺の髪と鳶色の目を持って生まれたが、そうでなければどうなっていたかと考えたことは少なからずある。
あんなにお美しい方は初めて見ました、スピネルの髪が黄金の瞳が、幼い身で矜持と自覚を持たれて、と手放しで第二王女殿下のことを推すステラは、リベリオの目に好ましく映った。
「ここだ」
「お邪魔致します」
広場から西に曲がってすぐのところに、ガラス工房はあった。扉を開ければ、壮年の店主が迎えてくれた。
「眼鏡のレンズは、作っていらっしゃいますか?」
「お嬢さん、レンズを希望かい」
「はい、急ぎではないのですが注文する場合の時間とお値段をお聞きしたくて」
レンズの厚さは、仕様は、と打ち合わせるステラと店主を横目に、リベリオは店内をぐるりと見回した。工房と店舗部分が合体したごく普通の店内だ。
会計カウンターの脇には、出来合いのアクセサリーが幾つか並んでいた。百貨店の宝石より値段は高くない、どれもシンプルなガラス細工のアクセサリーだ。
「……贈り物ですか?」
どれともなく眺めているリベリオに、ステラが声を掛けた。
「……どうして贈り物だと?」
「リベリオ様は、ご自分の為には買われないような気がしました」
大正解だ。
「……実家が宝飾店だと言っていたな、よく見ている」
「……何度かお会いして、何も着けていらっしゃらないところを見ているからです。フェルリータは観光客の方が多くて、初見のお客様にオススメの商品を紹介することは不得手でした」
「……そうか」
宝飾室のルカーノ室長やパーチ副室長から、帳簿と計算は早いと聞いている。基本的に初対面がそう上手い方ではないのだろう。
「よろしければ選ぶのをお手伝いしましょうか、妹さんにですか?」
「ああ、頼む」
「妹さんは、どんな方ですか?」
「俺と同じ髪と瞳で、好きなものは木登りと体育」
「……活発な妹さんですね?」
俺より利発で強い、と言うとステラは笑っていた。冗談と取ったのかもしれないが、ただの事実である。
「では、このループタイはどうでしょう。首から下げますので、無くしづらくて、学校にも着けて行けます」
ステラが選んだのは黄色と黄緑色のマーブル模様のガラスに、黒の紐が通されたループタイだった。日々使えそうなシンプルなデザインで、妹に良く似合いそうだとリベリオは思った。
「ありがとう、これにしようと思う」
「はい。あの、……良ければ私に出させていただけませんか」
「?」
ループタイの値段は銀貨二枚。とてつもなく高いわけではないが、リベリオの妹への贈り物をステラが支払う理由はない。
「いえ、その、前回バーナーを買って頂きましたし、今回お食事代も出して頂いたので、その」
思い当たることが何もないのに出してもらってばかりは胃が痛い、とステラが申し訳なさそうに説明する。胃が痛いのだと心から訴えるその姿に、リベリオの方も胃が痛んだ。
与えられるばかりは気が引ける、というのは分からないでもない。リベリオ自身も妹の学費のために働いており、そしてそちらのほうが祖父や伯父に気兼ねせずに済んでいるからだ。
「……では、言葉に甘えて」
「……はい!」
パッと顔を上げたステラが嬉しそうにループタイの支払いを済ませて、包んでもらっている。リベリオの顔を知っているのかもしれない店主が、怪訝な顔をしていた。
会計をしているステラの横顔が見える。目の色は紫、眼鏡のツルには、落下防止の革紐が括り付けられている。手持ち無沙汰に店内を見回すと、棚の端の方にぶら下がったそれを手に取った。
結局、店を出てからも馬車には乗らず、大通りをてくてくと歩いて城に戻った。リベリオは軍部用の東通用門、ステラは使用人用の西通用門を使うので正門前で解散だ。
「今日は本当にありがとうございました」
「いや、こちらこそエヴァルド殿下に付き合ってくれて礼を言う。……これを」
贈り物用のラッピングではなく、簡素な紙の包みステラに差し出した。
「……あの、これは?」
「俺からの礼だと思ってほしい」
「!? い、頂けません!」
「ステラ嬢が出してくれたのが銀貨二枚、これは銀貨一枚。バーナーと合わせて、相殺だ」
「お、お食事代は…」
「あれはエヴァルド殿下持ちだ」
戸惑っているステラの掌に小さな包みを握らせた。
「俺も人に借りを作るのが得意じゃない、胃の壁を助けると思って受け取ってほしい」
そう言うと、ステラはおずおずと受け取った。
「あの、ありがとうございます。大事にします」
分厚いレンズに阻まれて、彼女の眼はほとんど見えない。けれど、その奥で紫の目が嬉しそうに笑ったように見えた。