2-12:エヴァルド・ヴィーテ・カルダノ
「……気が付いたか」
「え、あれ、あの……?」
「失神していた。一分くらいだが」
目が覚めたら隣にはリベリオ・ローレ北方騎士長が座っていた。しかも肩を支えられていたので、夢かと思ってもう一度瞼を落とそうとしたら、今度は声まで聞こえた。ということは、夢ではない。
「ヒッ」
三分を過ぎて目を覚さなければ医者に運ぼうと思っていたと、リベリオが言う。
「た、大変なご迷惑を…!」
「……無理もない」
目線だけで促され、そちらを向くと、ステラの正面には気絶する前に見た爽やかなゴリラの笑顔があった。エヴァルド・ヴィーテ・カルダノ、第二王子殿下である。
「…夢かと思いました……」
「兄上を見て失神するご婦人はたまにいるが、私を見て失神したご婦人は初めてだな!」
「エヴァルド殿下、王族に遭遇した新人として、彼女の反応はごく普通です」
ハッハッハ、と闊達に笑いながらステラと同じものを食べるその人は、間違いなく第二王子殿下であるらしい。
「まあ、驚かせてすまなかった。リベリオと港の視察に来ていたら、其方が目に入ってな。ルーチェから聞いていたので、声を掛けてみたのだ」
どうやらエヴァルド殿下は大変に気さくな御方らしい。しかし、直答して良いものか分からず、隣に座るリベリオに視線で問う。
「……エヴァルド殿下は市井の暮らしを見たり、王城で働く人間と話すのがご趣味だ。気兼ねなくとは行かないだろうが、良かったら一緒に食事をして欲しい」
「侍従や爺やは心配性でな、私が街に出ると言うとリベリオを呼んでくれる」
つまりそれは、護衛もといお守りではなかろうかとステラは思ったが、もちろん口にはしなかった。
「歳が近いというのもあるのだろうな!」
「我々の一つ上でいらっしゃる」
ステラ、リベリオ、アマデオ、カーラが今年十九になるので、エヴァルド殿下は二十か。そういえばカーラに以前聞いた気がする。
「ルーチェ王女殿下の侍女と、宝飾室の管理官を勤めております。ステラ・ミネルヴィーノと申します」
遅まきながら名乗ると、エヴァルド殿下は嬉しそうに笑った。
「知っている。眼鏡が分厚くて栗色の髪をしていて、要領が悪いとルーチェが言っていた」
「……」
その通りである。ぐったりと疲弊しながら、ステラは給仕にエスプレッソを追加で注文する。すぐさま持ってこられたそれに、砂糖をスプーン山盛り入れて飲み干した。気付け薬である。
「ルーチェが侍女のことを話題にしたのは初めてだ。よほど其方を気にいったのだろう」
「⁉︎」
「食事も食べるようになったと母上も喜んでいた、代わって礼を言う」
「い、いえ、それは侍女長様と料理長様のご手腕で」
何やら恐ろしいことを言われた気がする。ルーチェ殿下とエヴァルド殿下の母上、その御方は王妃殿下と言うのではなかろうか。
「帝国風の味付けが苦手なのだと気付いたのは、ミネルヴィーノ女史だと聞いたが…」
「……それは子供を断っている帝国風料理店がフェルリータにあっただけです、ローレ様」
全くの偶然である。ちなみに、ステラと妹がその店に入店を許されたのは高等部に上がってからである。
「礼代わりだ、ここの支払いは私が持とう! 好きなものを好きなだけ食べてくれ」
ルーチェ様へ、侍女にお土産を買ってもらう王族がどこにいるのとおっしゃいましたが、侍女に食事をおごる王族の方に遭遇しました。貴女の兄君です。
どれを頼んだものかと混乱していると、横のリベリオが適当に看板料理を頼んでくれた。正直とてもありがたい。好きなものを好きなだけと言われても、メニューには値段が書いてあるからだ。
「其方はフェルリータの出身だとルーチェに聞いた。フェルリータの話を聞かせて欲しい」
「は、はい」
そこからは少し遅めのブランチになった。ステラのたどたどしい話をエヴァルド殿下は時折質問も挟みつつ、楽しそうに聞いていた。
リベリオが頼んでくれた貝類のグリルや、ラビオリなどがテーブルに並ぶ。
「私はラビオリを取り分けようか、ミネルヴィーノ女史」
「ありがとうございます。では私はこちらを取り分けます、ローレ様」
互いの席に近い方をそれぞれ取り分けてエヴァルド殿下に渡そうとしたところで、正面に座っていた殿下が首を傾げた。
「…其方たちは十分に知り合いであるように見受けるのだが、何故互いを名前で呼ばないのだ?」
「何故、と申されましても…」
同僚だからである。
「真面目過ぎるのも良くないぞ! 親近感を持って互いを呼んでみてはどうだろうか! さあ!」
さあ、とは。
隣とギクシャクと顔を見合わせる。しかし正面に座っているのは第二王子殿下であって、奇しくも言われた通り生真面目な両名は、拒否という選択肢を持ち合わせなかった。
「……ステラ嬢」
「……リベリオ様」
呼ぶのも呼ばれるのも失礼な気がして、そのまま二人して押し黙った。
満足げなのは第二王子殿下だけだ。ステラとリベリオにウンウンと頷きつつも、注文した料理が瞬く間にその口に入っていく。エヴァルド殿下は大変な健啖家であった。
「本当に、私と共に帰らなくて大丈夫か?」
「はい、大通りを少し見て帰りたいと思います」
一時間半ほどの食事の後、馬車で一緒に帰ろうかというエヴァルド殿下の申し出をステラは丁寧にかつ固辞した。当然のことながら、迎えに来た馬車には王家の紋が付いていた。これに乗る度胸はステラには無い。
「そうか…まあ、また会うことがあるだろう! リベリオ、ステラ嬢をしっかりと城まで送り届けるように」
「承りました」
迎えに来た馬車には、アマデオが乗っていた。リベリオからアマデオに申し送りがなされ、城に向けて出立した馬車をステラは深くお辞儀をして見送った。
「…きちんと送り届けなければいけないのは、私じゃなくてエヴァルド殿下の方ですよね……?」
「……そういう御方なんだ。大通りを歩いて帰るなら送ろう、ステラ嬢……ああ、いや、ミネルヴィーノ女史」
殿下の手前、二時間近く『ステラ嬢』『リベリオ様』で会話をしていたので、そこそこ口に定着したらしい。
「ご都合が悪くなければ、そのままお呼びください」
「……すまない、では私も都合が悪くなければそのままで」
ポツンと港に二人で突っ立って、どちらともなく苦笑いして大通りに向かって歩き始めた。
「これを全ての女性に対して日々やっているアマデオを尊敬する」
「私も、ナタリア様を常々尊敬しています」
互いの社交力の低さは、良い勝負のようだった。