2-11:初めての休日
ステラが王城に勤めて早一か月、今日の午後と明日の日曜日は初めての休日を貰えることになった。
「それで、そんなに浮かれてるの」
「はい、ルーチェ殿下。私は王都を王城と百貨店しか知らないので、港を見てみたいのです」
庭園から帰るなり大爆発したあの日から半月、お茶が渋いと怒られる回数は少しだけ減って、髪を結わせてもらう回数が少しだけ増えた。侍女勤めの日数も少し増え、週に三日をステラは受け持っている。
「港が見たいの? 海しかないのに?」
「フェルリータは内陸ですから。海も、王都に到着した初日に初めて見たきりなのですよ」
「ふーん……、ステラはものずきね」
ちなみにこの『ルーチェ殿下』という呼び方をめぐっては、『王女殿下』と呼ばせて頂きたいステラと、姉と被って嫌なので『ルーチェ様』と呼びなさいと命じる姫君、二人の間でひと悶着があった。
居合わせたアンセルミ侍女長によって中間が採用され、『ルーチェ殿下』と呼ぶことに落ち着いた。
今日のルーチェ殿下の昼食は、本宮の厨房で作られ、近衛兵に運ばれ毒見を経て、ステラが窓際のテーブルにセットしたサンドイッチだ。
小さめのフォカッチャで出来たそれを殿下は一口食べて目を見開いて、それから確かめるようにもう一口食べた。
「……おいしい」
「ああ、お口に合って良かったです。今日も侍女長様と料理長様と相談して、味付けを少し変えてもらいました」
ルーチェ殿下が食べているのは特段変わった食べ物ではない。ステラ達の使用人食堂でよく出される、魚のフライと薄切りトマトを挟んだフォカッチャサンドだ。魚は市場から直送の、鮮度の良いものではあるが。
「……こっちも、おいしい」
もう一つの中身はチーズとハムで、これもごくごく普通の組み合わせだ。
「濃い味付けとスパイスとワインが、苦手でいらっしゃったんですね」
「……くさくて、舌がしびれるのよ」
食堂で働くカーラは殿下のことを、好き嫌いが多くてワガママだと言っていた。ステラがルーチェ殿下の食事を初めて見たときも確かに、皿の上の美しい料理を一口食べた後はフォークの先でつつくばかりだった。
下げられた皿を行儀悪く味見させてもらったところ、理由はすぐに分かった。何のことはない、王族の食事は西の帝国風の調理法と味付けだった。一皿ずつ盛りつけられる美しい帝国風料理は、ハチミツとスパイス、ワインをふんだんに使った濃厚なものだ。
帝国風の料理はフェルリータでも高級料理として人気があるが、素材の味を生かしたカルダノ王国の料理とは全く違う。何よりこの濃厚な味わいは、決定的に子供に受けない。フェルリータの帝国風料理店は、子供の来客を断っているくらいだ。
『え、王族の方々の食事って私たちと違うの? 帝国風? そりゃ子供には無理だわ』
とは、ことの詳細を知ったカーラの言である。
成長に支障があるからと侍女長と相談し、本宮の料理長に普段家で食べているようなものをと頼み込んで、試しにトマトとひき肉のパスタを出してもらったところ、ルーチェ殿下はあっさりと完食した。
王国の家庭料理として良く作られる角切り野菜とベーコンのスープも綺麗に食べていたので、空になった皿を見た料理長は「今までの苦労はなんだったんだ」と落ち込んでいた。しかし、この道三十年の料理長は一流の仕事人であった。すぐさま立ち直り、厳選素材で作るカルダノ王国の家庭料理、に意欲を燃やしている。
「デザートはお腹に入りますか? 取り分けますが」
「……食べる」
今日のデザートは料理長特製、最高級地鶏の生みたて卵を使ったプリンである。四角く切り分けられクリームが添えられたそれを、ルーチェ殿下は黙々と食べている。
「……立って見ていられるとうっとうしいわ、ステラも食べなさい」
「ありがとうございます、お招きに預かります」
侍女や侍従が主人からの呼びかけで食事の同席に招かれることは、たまにあるらしい。しかし、ルーチェ殿下が誰かを同席させたのは初めてだと侍女長は言っていた。本来は光栄なことであるのに、侍女達の方がそれを厭んだのだ。
新鮮な卵と牛乳がたっぷり使われたプリンは、とても美味しかった。
「お土産を買ってまいりますね」
「侍女におみやげを買ってもらう王族が、どこの国にいるのよ」
ルーチェ殿下の昼食のあと部屋に戻って着替え、ステラは通用門から外に出た。思えば、怒涛の初日から一か月ぶりの自由散策である。服装は妹が選んでくれたブラウスとラベンダー色のスカートだ。手持ち鞄の財布には、銀貨を三枚と小銭を入れた。
時間は昼の一時を回ったところで、太陽は頭上にある。暑くなったら、帽子を買う必要がありそうだ。
二度目の大通りは相も変わらず、城の正門から港に向かってまっすぐに伸びている。
「……港まで歩いてみるべき……?」
しかし、少しばかり距離がある。店並びを眺めつつ歩いていたらいつまで経っても港に辿り着かない気がする。
「そこの停留所から、王都の内側を回る馬車が出てるよ」
正門前で悩んでいたステラに声を掛けてくれたのは、門番の衛兵だった。
「えっ? あ」
王城の正門のすぐ横に、馬車の停留所があった。しかもおあつらえ向きに馬車が止まっている。
「港まで四キロあるから、お嬢さんの脚だと一時間以上かかるよ。馬車に乗った方がいい」
「ありがとうございます、乗ってみます」
お礼を言って馬車に走り寄った。王都の紋のついた小さめの馬車は王都内を循環しており、料金はどこで降りても小銅貨二枚だという。
幌ではなく、雨除けの屋根が付いた馬車が発進する。左右を歩く人たちや店並みを見ながら、広い大通りの真ん中をどんどん進むのが楽しかった。
二度目に見る噴水の中央広場も抜けて、三十分も掛からずに馬車は港に到着した。料金を払って降りる。
「うわぁ……!」
生まれて初めて間近に見る港と海に、ステラは圧倒された。
接岸された船舶からは次から次へと荷物が降ろされて、筋肉隆々の男達がそれらを手際よく荷台に運び込んでいる。
鼻に届く匂いが噂の潮風か。働いている人々の邪魔にならないように船が係留されていない場所で眼鏡を首に下ろし、今度こそ潮風を顔いっぱいに浴びて吸い込んだ。初めての潮風は魚の臭いで結構生臭い、しかも額がベタベタする。
「うふふ、ふふ」
輝く海面には、これから港に入る船も港を出た船も、沢山浮かんでいる。水平線までに何隻あるのか数えてみようとしたところで、お腹が鳴った。
「……」
プリンの御相伴には預かったが、お昼ご飯は食べていなかった。
港には日中から開いている食堂がいくつもあり、そう高くない店を選んで入ったところ、天気が良いからとテラス席に案内された。港に面して海の見える、良い席だ。四人掛けのテーブルを一人で使うのは気が引けたが、ステラが席の移動を申し出る前にメニューを渡されて押し黙った。
「……生牡蠣……カジキ……」
しかし、メニューに書いてあるものは、内陸育ちのステラが食べたことのない海産物ばかりだ。料理の名前から、味の想像は全くできない。
「……オススメを一人前持ってきましょうか?」
「すみません、お願いします……」
一人で唸っていると席に案内してくれた給仕さんが助け船を出してくれたので、ステラはありがたくお願いした。
「生牡蠣とエビの盛り合わせと、ジャガイモです。レモンを掛けてどうぞ」
大皿に乗ってきたのは殻付きの生牡蠣と茹でたエビの盛り合わせ。ジャガイモはなぜか緑色をしている。
人生初の生の貝類である。恐る恐るフォークで刺し、覚悟を決めて口に入れた。
「………」
もう一つ口に入れる。
「………」
エビと、得体のしれないジャガイモも食べてみる。
「………え、おいしっ…え、ええぇぇ!?」
ぐにゃぐにゃの貝は一口噛めば美味しさが溢れ、エビは今までに食べたことのないプリプリの弾力をしている。塩とハーブで和えただけと思われるジャガイモは、これがまたやたらと美味い。相性は抜群だ。
ステラはそれらを黙々と搔き込んだ。最初は食べきれるか不安だったというのに、今ではこんなにも美味しいものを残すことは考えられなかった。
脇目も振らず一心不乱に食べていたステラは、対面にいつの間にか人が座っていたことに気づかなかった。
「………美味しかった」
「うむ! 良い食べっぷりである!!」
「……!?」
「そこの給仕殿、彼女と同じものを私にも五人分頼む」
「え、え……あの」
「私は怪しい者ではない、安心してほしい」
錯乱しながらも対面に座る男性を見ると、港で働く男たちのように筋骨隆々の身体は騎士服に包まれていた。城内でよく見る騎士服だが、黒の騎士服は初めて見た、けれどサッシュを肩から掛けていない。
太い首と、短く刈り上げた煌めく黒髪と、黄金の瞳。既視感に首を傾げる。給仕が五人分の料理を持ってくるのと、男性の背後に見知った顔が現れるのは同時だった。
「……一人で歩き回らないで頂けますか」
「おお、ちょうど良いところに! お前も一緒に食べよう、リベリオ」
「ロ、ローレ様……?」
「……貴女もよくよく面倒に遭遇する人だな、ミネルヴィーノ女史」
紫紺の髪、鳶色の瞳、すっかりと見知ってしまったリベリオが、眉間を揉みながら立っている。
「あ、あの……これは一体」
そしてこの方はどなたでしょう。
「心配しなくていいぞ、私の身元は確かだからな!」
「はぁ……」
気のない返事をしたステラの前に、右手が差し出される。これは握手を求められているのだろうか。目で問いかけたステラに、リベリオは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
ためらっていたステラの手が取られ、握手をしてブンブンと勢いよく振られる。爽やかなゴリラのような美形が、白い歯を見せて満面の笑顔で自己紹介をした。
「近衛師団長エヴァルド・ヴィーテ・カルダノだ! よろしく頼む!」
ステラは気絶した。




