2-10:ルーチェ・ヴィーテ・カルダノ
「それで、流行りの髪型を教えて欲しいと」
「はい」
櫛と香油と髪紐とピンと携帯鏡と、一揃えを手にステラはナタリアに頼み込んだ。ナタリアは流行りに詳しく、グローリア様の侍女も兼ねている。ステラにとって、一番身近に教えを請える相手である。
頬に指先をあてて、ナタリアが考え込む。
「問題があるわ」
「な、何でしょうか」
「私は髪が短いのよ」
「あっ」
ナタリアの髪は、艶やかな水色のボブカットである。ルーチェ様の髪は腰まである、かといってステラがモデルになってはステラの練習が出来ないのだ。
「大丈夫じゃよ、ちょっと待っていなさい」
学ぶことは良いことじゃ、と宝飾室のロックを解除して、開いた扉からルカーノ室長がキョロキョロと廊下の左右を見渡した。
「おお、そこの若い方々。お暇ですかの?」
通りがかった女性文官か侍女かを捕まえたのかと思ったら、室長はとんでもないモデルを連れて来た。
「あらあ、ローレ様にリモーネ様」
「……何か御用でしょうか、ルカーノ室長殿」
「そちらのリモーネ殿を少し貸して頂きたく。せっかくですじゃ、一刻ほどお茶を飲んで行かれませぬか」
「はあ」
ルカーノ室長が連れてきたのは、先日百貨店で会った二人だった。紫紺の髪の男性はリベリオ・ローレ北方騎士長、とステラは脳内のメモをめくる。
「久しぶりのお客様じゃ、ワシがお茶を淹れて参りましょう。秘蔵の茶葉をお出ししますぞ」
最年長のルカーノに誘われて断れる人間は城内には少ない。今回も例に漏れず、若い二人はお言葉に甘えますと言って廊下の兵に言伝を頼んでいた。
「すみません、ローレ様。ローレ様ではなくリモーネ様に用があるのですわ」
「アマデオに?」
「一時間ほど、髪を結うモデルになってくださいませんこと?」
「おや、私ですか」
リベリオの影に立っていた人が、一歩前に出た。
「北方騎士長の副官を務めております、アマデオ・リモーネと申します」
背も年頃もリベリオと同じくらいだが、印象は全く違う。アマデオと名乗った騎士の顔はパーツがどれもすんなりとしていて、男性であるのにたおやかな印象だ。紛れもない男性であることは分かるのに、柔らかくて丁寧な物腰も相まって女性と錯覚しそうになる。
そして髪だ。金髪ではなくシトリンのような黄色に透ける髪が、腰の長さで三つ編みにされている。
しかしながら、騎士長とその副官を務めている方を引き止めて良いものか、ましてや髪型の練習台などと。
「……この度、第二王女殿下の侍女を兼任することになりました、ステラ・ミネルヴィーノと申します。よろしくお願い致します」
「おお、ミネルヴィーノ嬢は才媛でいらっしゃるのですね。一時間ばかりではありますが、どうぞこの髪でよろしければお役立て下さい」
「ひえっ」
麗しいご尊顔で言われ、眼鏡の中の目が煌めきに負けてシパシパする。人生初めての、令嬢扱いである。
「で、ではこちらへどうぞ……」
宝飾室のテーブルセットに案内し、座ったアマデオの後ろにステラとナタリアが立った。対面に座ったリベリオにルカーノ室長がお茶を運んでくれて、その隣に座った。
「ありがとうございます、ルカーノ室長殿。お茶を手ずからいただくとは」
「なんのなんの、年寄りの楽しみですじゃ」
ちなみに、ルカーノの淹れる紅茶もコーヒーも、ステラやナタリアが淹れたものより遥かに美味しかったりする。
「じゃあ一時間だから、簡単で日常使いできる髪型二個ね。しっかり見て、それからやってみるように」
「はい!」
傍に置いた髪結いのセットを言われる順番に渡し、ナタリアの手際を見ながらメモを取る。その間、対面に座るリベリオとルカーノは他愛もない世間話をしていた。
「耳の上の髪を取って、捻りながら後ろに持ってきて、最後に薔薇の形にして纏めるの。……ピンの位置はここ。慣れないうちは髪紐で一度縛るといいわ、じゃあやってみて」
「は、はい。……リモーネ様、失礼致します」
「アマデオと呼んで頂いて大丈夫ですよ、年齢も近そうですし。ステラ嬢はお幾つですか?」
「……去年、十八になりました」
「あら、私は呼ばせて下さいませんの?」
「パーチ女史は、私がご夫君に恨まれそうなので」
「まあ!」
ナタリアとアマデオの社交力に満ち溢れた会話を聞きつつ、ステラは結われていた髪を恐る恐る解いた。リベリオもアマデオもステラも同い年だと判明したが、かと言って気さくに話せるかというと別問題である。
「で、ではアマデオ様、御髪を失礼します……」
「はい、どうぞ」
癖のない長い髪に、丁寧に櫛を入れる。金髪よりも日に透ける、シトリンの髪だ。
「……ステラが髪結いの練習したいなんて、よっぽどルーチェ様に気に入られたのねえ」
「ルーチェ様の宮は難しいと伝え聞いております、本当に優秀でいらっしゃるのですね」
「ち、違います…! ルーチェ様が聡い方なので、その、不出来をお目溢し頂いただけです!」
おや、と机に着いていた全員が顔を見合わせる。
「……ステラ嬢は、ルーチェ様のどのような所を聡いとおっしゃられる?」
「そうですね……」
まず丁寧に梳って香油をなじませて、次に分ける部分を取って、と手順で頭がいっぱいのステラは、アマデオの声のトーンが一段落ちたことに気づかない。
「一昨日に、ルーチェ様が庭に向かわれたんです。そしたらグローリア王女殿下とその侍女の方々に遭遇してしまって」
「……私がグローリア様の宮に居ないときね」
「姉君との会話にもびっくりしたんですけど、帰り際に、侍女の方々にものすごい…なんて言うんでしょう、揶揄? 悪口? を背中に投げ込まれまして」
「……その侍女の顔は、覚えてますか?」
質問したのはリベリオだ。
アマデオの髪を小分けし、クルクルとねじって細紐で先を結びながら、ステラは首を振った。
「いいえ。紺の侍女服に銀のサッシュでしたが、お顔までは。……私は地元で散々、イガグリ娘と言われて来たんですよ。でもそれは実際に目つきが悪いからで、一応根拠はあるんですよね」
根拠があっても人の美醜を揶揄するな、という話ではあるが。
「でも、ルーチェ様は超絶美少女じゃないですか。超絶美少女本人に向かって不細工だのみっともないだのと投げつける、その人たちがすごく怖かったんです」
「……私や侍女長が居ないと好き放題言ってくれるわねえ。ええ、それは相手を貶めたいという悪意よ」
正面に座るリベリオの顔が怖い。元々無表情気味であるが、無表情のまま鳶色の目が剣呑な色を帯びて光っている。
「でもルーチェ様、その場では何も言い返さなかったんです。黙って立ち去って、部屋に戻ってから爆発しました。スピネルとブラックダイヤの話をしたら、値段が違う、って市場価値のことも分かっていらっしゃった」
ワガママだと聞いていたので、その場で爆発して喚き散らすだろうとステラは予想していたのに。
捩じった左右の編みを中央に持ってきて交差させながらまとめると、少々不格好だが黄色の薔薇の花が出来上がった。
「うん、初めてにしては悪くない出来よ。……その侍女たちは、ルーチェ様の聡明さに救われたわねえ」
「救われた?」
「私の髪は土の魔力が高いのでこの黄色なのですが、ルーチェ様の髪は美しい赤紫だったでしょう?」
「はい。火の魔力が高いのだろうだと思いました」
火は赤、水は青、風は緑、土は黄色、先日習ったことだ。
「ミネルヴィーノ君の魔力量は五ぐらいじゃろう。魔道具を使うには何の支障もない、一般的な数値じゃ。およそ五十くらいから髪の色が変わり出して、ナタリア君のようになる」
「簡単な魔法として発現できたり、魔石に魔力を込められる最低魔力量よ。魔法師団にいる夫はもっと青い髪で、魔力量は九十ちょいくらいかしら。氷の槍とか壁とか作れるわね」
ナタリアの嫁いだパーチ家は、代々水属性が強いらしい。
「私の属性は土ですが、魔法を使える騎士は七十から八十前後の魔力量を持っています」
「……ひえぇ」
魔法というものに接して来なかったステラには、別世界の話である。
「……? では、グローリア王女殿下は何の魔力をお持ちなのでしょうか、ブラックダイヤのような髪をしていらっしゃいましたが」
「王家の貴色は黒と金です。あの髪と目は、火、水、風、土、四つの属性を全て持っている王族にのみ現れる色です」
「絵の具を全部混ぜると黒になる、みたいなものじゃの」
リベリオとルカーノ室長の説明はとても分かりやすかったが、室長は絵の具なんて手近なもので例えないで欲しい。
「一つ一つは七十弱くらいだけど、そもそも属性の複数持ち自体が貴重なのに四つ全乗せなのよねえ。……次は豪華な編み込みを教えるわ、熱したコテを使ったカールは難しいから、また次にしましょ」
ステラと立ち位置を交代し、ナタリアがアマデオの髪を解く。香油を付けなおして、頭頂から編み込みを作っていく。
「それでルーチェ様は、お姉様の髪色を羨ましがられていたのですね……」
こんな髪大嫌い、と泣き叫んでいた姿を思い出して胸が痛む。
「そのルーチェ王女殿下は、火の魔力量の国内最高保持者です」
「へ」
こくないさいこうほじしゃ、とステラはリベリオの言葉を復唱した。
「魔力量はすでに百二十を超えています。成人されたら百五十を超えるでしょうと、魔法師団から報告が上がってきています」
「ルーチェ様は、その侍女たちを文字通り消し炭に出来るんですよ」
リベリオの言葉を引き継いで、アマデオがニッコリと笑う。美しく、けれど毒のある笑い方だった。
「グローリア王女殿下の侍女は北方のローレ領の人間がほとんどです。北方騎士団は王都で罪をしでかしたローレ領の人間を処罰する役目を持っています」
「ルーチェ様に対する直接的な罵詈雑言、ストレートに王族侮辱罪だ。ルーチェ様がその場で侍女たちを消し炭にしても、リベリオも私も文句など言いません」
「消し炭……」
ステラは呆然と呟いた。
「ルーチェ様は、人どころか、その気になれば王城ごと消し炭に出来る。それを分かっておられる、聡い御方じゃよ」
ルカーノ室長が紅茶を啜りながら、しみじみと頷いた。癇癪とは桁が違う、王城を消し炭にできる、とは。ステラは混乱したが、ふと、あることに気づいた。
「……でも、あの侍女の方々もそれを知っているのですよね? 何故、ルーチェ様にあんな失礼なことを言えるのですか?」
ルーチェ様の気分ひとつで、消し炭コースだというのに。ステラなら間違っても失礼したくない。
「……ローレ領の恥なのだが、彼女らには想像力というものが無いのだと思う。……言わせないで欲しい」
「……わぁ」
聞いては駄目なやつだった。